最新号はこちら
教授の随想 早川正士(アーカイブ)

2012年10月16日に早川社長のメルマガ「教授の随想」第1回がスタートしました。
以下は「教授の随想」のアーカイブです。第1回から2013年12月末の第49回分までをまとめています。

●第1回 2012年10月16日
今も燃え続ける地震予知研究への想い。

その原点となったエポックメイキングな事象をお話しします。
1995年兵庫県南部地震。その際対馬VLF送信局(オメガ局)からの電波を犬吠観測所にて受信し、そのデータをロシア科学アカデミーのモルチャノフ教授(小生の親友、昨年逝去された)、大学院生と共に寝食を忘れ数日間に渡り調査検証しました。
この時、データを一日毎に縦に並び換えることにより、明瞭なターミネータタイム(日出、日没の振幅、位相の最小の起こる時刻)が、通常の日に比べて著しく有意にずれていることを発見しました。
世界で初めての明確な地震の前兆です。電離層が地震の前数日にわたり、数km低下することを発見し、解明できました。
この時の発見の興奮は今も鮮烈に残っています。半信半疑だった地震電磁気現象が確信に変わった瞬間でもありました。
この興奮が今も研究を続ける最も大きな原動力になって、私をつき動かしているのです。


●第2回 2012年10月22日
今回は、地震に関わるようになるまでのお話をしましょう。

小生の前任地名古屋大学(空電研究所)では、電波観測を用いた(1)雷やその世界分布(2)超高層(電離圏/磁気圏プラズマ)中での電磁放射の発生・伝搬機構の研究などというどちらかというと理学的側面の強い研究を行っていました。
1991年名古屋大学から電気通信大学へ異動しました。着任した際、当時の学長先生より電気通信大学は工学系の大学なので、工学的側面の研究も行ってくれませんかとの事でした。
直ちに、(1)地震と電磁波(地震予知)と(2)環境電磁工学(EMC)という二つのことを開始することとしました。何故「地震」?といいますと、地震に伴う電磁波の話は以前より知っていましたし、関心があったのです。そこで1982年のソ連その他の論文を読みあさりました。しかしデータを見る限りなかなか信用できることができませんでした。ところが、1993年頃モルチャノフ教授とロシア衛星上での電磁波を調査検証していくうち、どうも地震と電磁波の間には何か因果関係があると直感したのです。ただ、確信にはまだ程遠い状況でした。その半信半疑だった地震電磁気現象が確信に変わったのが、前回お話しした1995年兵庫県南部地震だったのです。

●第3回 2012年11月05日
イタリアの地震裁判(ラクイラ地震)について。

この裁判は「地震予知が可能か不可能か」という問題ではありません。
行政、学者が地震に関する情報を如何に国民に伝えるべきかという課題です。
やはり、問題の地震学者の発言はあまりにも不注意だったと思います。
ここで、皆様に是非知っていただきたい重要な一点を述べます。
ラクイラ地震、エミリア地震の後、イタリアは国として地震予知の重要性を認識し、「地震予知学」に初めて予算を出したのです。
額は約1億円で、そのうちの1/3が地震予知学の研究者にあてられました。
我々地震予知学のソサエティとして大変喜ばしい限りです。
財政状況の良くないイタリアにおいてです。さて日本の反応は・・?


●第4回 2012年11月26日
2011年の年末に出版した地震予知に関する啓蒙書、早川著「地震は予知できる」KKベストセラーズについて。

大変好評の様ですが、まだ御存知ない方のために少々書かせて下さい。
本書は先ず2011年の3月11日の東日本大震災の前兆を著者は事前に把握していたのですが、どうして情報配信できなかったのかから始まり、電磁波を用いた地震予知が現在如何に進んでいるか、なぜ日本が地震予知後進国になってしまったのかなどを書いています。
最大の論点は地震学は過去の地震を扱うもので、その統計により地震を予測するもので「ここ20年にて東京でM7の地震の起こる確率が○%」という中長期予測は可能ですが、短期予知は地震学では対応が難しいということを説明しています。それに対し、我々が目指す地震予知学は短期予知には“電磁気手法”が最適である考え、これから発生する地震だけを対象とし、数日から10日間程度先の地震の予知を目指しております。

本書はかなり難しい研究内容を最大限やさしく書いています。
主婦の方からも、地震予知というものがどの様なものなのか初めて分かりました、と小生のもとにお電話がありました。
機会がありましたら是非一度読んで下さい。


●第5回 2012年12月03日
「電通大VLF/LFネットワーク」について

今回はちょっと難しいかもしれませんが、地震解析ラボからの地震予測情報配信の基になっている電通大VLF/LFネットワークについて紹介します。
1995年の神戸地震の際の明瞭な前兆VLF/LF伝搬に関しては、すでにメルマガでも紹介した通り、地震の前に電離層が乱れることは間違いないと思いました。
その後の旧宇宙開発事業団(JAXAの前身)の地震リモートセンシングフロンティア計画(1996年~2001年までの5年計画。最初で最後の国からの支援。)で、VLF/LFネットワークを大々的に構築することを考えました。
VLF/LF送信局電波はいろいろな効果に対して極めて敏感です。

(1)惑星の効果、太陽の影響、地磁気嵐の影響(2)雷やその関連現象の影響これら様々な影響を総合的に研究することを想定し構築したVLF/LFネットワーク。これが第1期ネットワーク。その当時の観測点は、北海道母子里、調布、春日井、高知で、受信するVLF/LF送信局は今と同じ国内の2局(JJY、JJI局)と外国3局(NWC、NPM、NLK局)でした。
下部電離層擾乱のいろいろな種類のものを同時に研究した事が、地震による擾乱を弁別する時に極めて大きな力となりました。
小生は数年前に停年退官しましたが、その後着任された芳原先生が本システムを引き継ぎ、観測点の充実やシステム(アナログ系からデジタル系)の更なる近代化を行い、第2期VLF/LFネットワークとなっている事は頼もしい限りです。

実は、現在我々のVLF/LFネットワークを用いて電離層擾乱研究するという概念は世界的潮流となっているのです。先ず、欧州では、イタリアグループが中心となって14観測点で構成される欧州ネットワークが数年前より稼動しています。
同様にインドそして南米ネットワークも構成され、稼働しています。
ただ残念ながら、これらはすべて科学的ネットワークで、我々(地震解析ラボ)の様に実用化されるものではありません。
しかし、インドグループはインドネットワークデータを用い、電通大が開発した解析信号処理法(ターミネータ・タイム法)の更なる改良なども追究しています。そして最近ではロシアネットワークもスタートしました。


●第6回 2012年12月10日
地震となまずのお話し。

世の中、地震が起こる毎に、なまずその他の異常な振舞いが話題となることがあります。地震の前に動物(イヌ、ネコ、鳥その他いろいろ)が異常な行動をすることが報告されています。これらは学問的には「宏観現象」と総称されているものです。
大きな地震に伴う多くの人からのアンケートをまとめると、「宏観現象」に何か特徴的な事がないものかという質問をよくみかけます。
それについては、故力武先生からよい本が出ています。

実は小生にもつい最近、「動物(Animals)」という雑誌の特集号(地震前兆の動物の異常行動のメカニズム)に、地震に伴う動物の異常に関する論文を書いてほしいと要請がありました。ここで論文の一部をご紹介します。
調べてみると動物の異常行動は地震の約1週間前に第1回のピークがあり、第2回のピークが数日から数時間前にピークがあるようです。
この時間変化は実に極低周波の電磁放射(ULF放射やELF放射)の時間変化と極めて良く似ているのです。その強度は弱いものですが、数日から1週間も続くため、この様な電磁放射を動物たちは感じているのではないかとの結論です。
動物の異常行動も何かしら意味があるのかも。


●第7回 2013年01月07日
新年あけましておめでとうございます。
昨年(2012年)は、地震解析ラボからの地震予測情報が法人だけでなく個人向けにも、携帯電話・PC等により配信が開始された年でした。
本2013年は地震予測情報を広く世の中に定着させる年にしたく存じます。
2011年の東日本震災後から2012年の前半までは週に複数回の講演依頼を受け、2012年の後半は週1回程度と少々減りましたが、いろいろな所にて講演をおこなってきました。今後も呼んでいただければどこへでも出掛けます。

さて、講演後の皆様との質疑応答にて感じた事があります。
おそらく地震予知の考えが中々爆発的に広がらない理由だと思います。
大きく二つあります。
(1)永年、地震予知は不可能であるという報道が様々な形でなされてきた。
(2)日本人特有の自然に対する考え方です。

(1)については、小生の啓蒙書(「地震は予知できる」KKベストセラーズ・2011年12月)にも書いていますが、50年近い国民への強いアナウンスは生易しく取りさられるものではありません。故に地道に啓蒙を続ける以外にはないと思っています。命ある限り続けます。
(2)これは相当に強く感じています。即ち、日本人は自然とともに生きてきている。もちろんこれは悪いことではなく素晴らしいものです。しかし、自然がもたらす災害(地震、台風など)についてはどうでしょう。起きる前からあきらめていいものでしょうか? 例えば地震発生の前、1週間前後の期間、高い確率で予測が可能であるとしたら。守れるものならなんとしても守りたい。
特に大切な人、企業でしたら従業員そして事業継続。
自分の身は自分で守るという【姿勢は】基本的に重要ではないかと思います。
地震予測情報があるのであれば、それを最大限活用すれば良いのです。

本年2013年が地震予測の重要性がより多くの皆様に理解される年になることを祈っています。
また、個人的には、どうして地震の前に電離層が異常を示すのかという物理メカニズムの解明に集中したく思っています。
皆様にとりまして幸多い一年であります様、お祈りします。


●第8回 2013年01月28日
地震予知に従事する世界の研究者

昨年(2012年)、早川が編集者(Editor)として出版しました「地震予知研究の最前線」(日本専門図書出版)は、現時点で国内外の研究者による地震予知学の集大成となっています。
この企画は実は2011年3月の東日本大震災の前から進行していたものです。
出版社の社長から、(1)地震予知は日本が世界に先駆けてすべきものである。
(2)地震予知は地震学では無理でも、電磁気手法では可能であろう。
という2つの理由から、この種の本を是非とも出版したいのだがと相談があり、併せて編集者(Editor)としてお願いできないかとの事でした。社長の主旨には全く同感であり、すぐにお引き受けした次第であります。

この本は31章(約800ページ)から成り、日本グループは14章を執筆し、残りは世界中のグループが執筆して、地震予知学に関する全ての分野を網羅しています。この分野(地震電磁気関連)におけるほぼ全てのグループによる労作です。
できるだけわかり易く書いていただく様にお願いし、併せて何故かかる研究を始めたかについてもふれる様にお願いしました。
日本はじめ、米国、ギリシャ、ロシア、ウクライナ、仏国、イタリア、台湾、インドの研究者が財政的状況が極めて厳しい中、如何にガンバッテいるかが伝わって来ると思います。
少々高い(3万円)ことが難点ですが、是非自治体など公的機関にて購入いただき、地震予知学が学術的に成立していることと、献身的に取り組む研究者がいることをご理解いただけたら幸いです。

●第9回 2013年02月11日
先月末の山口でのセミナーについて簡単にご紹介します。

大変ユニークなものであり、皆様にも御興味があるかと存じます。この会合は山口県(即ち、県産業技術センター)、産業技術総合研究所(産総研)中国センターと山口大学が主催したものです。
小生は「地震予知の可能性」と題する基調講演を行いましたが、他に「南海トラフの巨大地震等に備える」などあり、当初60人の予定が、100人を大きく超えるという大盛況となりました。
この理由は、山口県は南海地震の時には高知県よりも被害は少ないと想定されていますが、西日本の瀬戸内海沿いには極めて多くのコンビナートなどがあり、防災に対して極めて高い関心があるためです。
特筆すべき事は、(1)県、(2)産業界、(3)大学、(4)民間がこの会合でも一同に会し、真剣に議論に参加していることです。
関心の高さと真剣な取組みには敬意を払いたくなりました。是非とも、地震解析ラボとしても積極的に対応したいと考えています。
例えば、VLF/LF受信器を山口県の数カ所に設置するとか。ULF放射観測器を設置するといったことです。

最後に、大変御世話になった三浦さん、三浦先生、山田さんにこの場を借りて御礼です。懇親会後のパーティでのふぐ三昧忘れられません。
有難うございました。


●第10回 2013年02月18日
「パスポートが見当らない」

2月11日の建国記念日、祝日のことです。祝日ですが、月曜日のため、地震予測情報配信日であり、小生は出勤日です。電通大学生さんによるルーチンデータ解析を待つ間、本年4月の欧州地球科学連合(EGU)総会への出席準備をしようと決めていました。
旅行社へ日程を知らせ、飛行機、ホテルの予約をしてもらうべくファクスを送るなど着々と準備を進めておりました。最後に念のためパスポートの確認でいつもの場所を見ましたが・・・、見当りません。少々パニクりました。
結局それから数時間パスポートを探す羽目になってしまいました。いろいろな場所を探しましたが見つかりません。そこで前回の外国出張はどこだったかと考えたてみました。やがて昨年(2012年)の同じくEGUだと思い出し、EGU関連の書類の入っている場所を重点的に探し、やっと見つけられました。
この2012年のEGU国際会議は小生にとって今までとは違った意味の会議でした。
ここ数年は国際会議には出席していませんでした。その理由は、2010年の地震解析ラボの設立、2011年3月11日の東日本地震、その状況下既に決定していた4月頭からの地震予測情報の正式配信開始。しかも観測に重要なJJY送信局(福島)の長期に渡る停波。解析に困難が生じていました。しかし正式に配信を始めた以上停波がなどという言い訳は出来ません。更には地震予知に関する啓蒙活動、メディアとの対応など超多忙であったためです。
そのような経緯を経て出席した2012年のEGU会議では、多くの外国人の友人、同僚から「元気そうで安心した」などの反応をいただいたのを嬉しく覚えています。メールなどで連絡を取りあっていても、直接会って確かめあうということは重要なことだとあらためて感じさせられました。
今回のパスポートの件は、小生が年を重ねたせいも一因ですが、やはり年にわずか1回程度の外国出張というのが原因でしょう。小生の現役の時の最も忙しい時には、年ではなく、月に少なくとも1回は外国出張でした。国際会議での色々な役職、発表などあったことは今は昔です。
とはいえ現在は地震活動の動向、地震予測に関する社会の関心などもあり、国内でのいろいろな活動(地震予測情報の配信、地震予知の啓蒙活動、地震予知に関する本の出版、メカニズムの学術的研究など)に集中したく考えています。


●第11回 2013年02月25日
「盟友モルチャノフ逝く」

小生の盟友、ロシア人のモルチャノフ教授についての追想を書きます。
昨年10月日本(御殿場)にて地震電磁気に関する小さな国際会議が開かれ、小生は同教授の追悼トークを頼まれました。モルチャノフとは30年来の友人であり共同研究を永らく続けてきた仲間ですが、2011年東日本大震災の数か月後に72才にて亡くなられました。

先ず、二人の馴れ初めについて簡単に。二人とも1970~1980年代は現在の地震電磁気学がテーマではなく、地球超高層(電離圏や磁気圏)プラズマ中での電磁ノイズに関する研究を行っていました。

例えば、反対半球(地球の反対側)の雷に起因する口笛の音の様なホイスラ波や超高層中でのVLF/ELF電磁ノイズの発生メカニズムなどが研究対象でした。
どうして波動が発生するかという学術的に極めて興味深いテーマです。

そのような経緯があり、モルチャノフさんが小生を彼の研究所へ招待してくれたのが始まりです。暗いソ連の時代であり、今思うと身が震える時代のことです。
モルチャノフさんは多くの成果を残していますが、最大の功績はVLF送信局電波が磁気圏内にて高速電子と非線形相互作用し、VLF送信局電波が振幅振動を示すことの発見です。

1980年後半になり、宇宙研究の先行きが暗くなり、また二人に大きな転機が訪れました。
偶然にも、早川は名古屋大学(空電研)を、モルチャノフはIZMIRAN(電離層・地磁気・電波伝搬研究所のこと)を去らざるを得ない事態に遭遇していました。

ともに働き場所が変わるのに伴い、新しいテーマをやろうという事になりました。
いろいろ考えましたが、それほど問題もなく、「地震と電磁波」にて合意したのを覚えています。モルチャノフが小生をモスクワの飛行場まで送ってくれたのですが、早目に着き、飛行場の駐車場にて、このテーマを日ソにて共同して行おうと合意したのを覚えています。このテーマなら、我々の以前の知識・経験が充分に活用できるからでもあります。

1991年小生は前任地より電通大へ赴任したが、両者にてソ連の人工衛星による電波観測データを共同解析を始めました。すると、やはり、地震の前に電磁放射が出ているように感じられました。
勿論、充分に信ずるまでのレベルではありません。完全に地震の前兆現象を信ずるに至ったのは、神戸地震の時の電離層擾乱の発見です。
これについてはすでにメルマガにて述べています。

1995年の神戸地震時(前兆)電離層擾乱の発見をモルチャノフとともに発見し、運よく1996年~2001年の宇宙開発事業団(NASDA)の地震リモートセンシングフロンティア計画がスタートしました。小生が責任者を担当したが、モルチャノフさんには招へい研究者としてお迎えしました。

モルチャノフさん一家は合計で8年近く日本に滞在されることとなり、研究面での楽しい思い出や家族ぐるみのお付き合いをしました。

グアム地震の時のULF電磁放射の検出など、多くの発見や貢献をしたことが思い出されます。
最初に来日された1980年後半の事、仙台でのスペースの国際会議にて英語で発表した時には一文しゃべるとフーといっていた事を覚えています。
しかし、NASDAフロンティアの終わる頃には人を制止して自分を主張するという光景が目に浮かびます。今となっては懐かしい思い出です。

多くの記憶のほんの一部だけを紹介しましたが、モルチャノフは極めて個性的な、偉大な科学者であったと信じます。次から次へとアイディアが溢れ出ていました。
地震電磁気分野のモルチャノフさんの貢献は特筆すべきです。

もう一緒にテニスが出来ませんが、同氏を知る皆さんとともに御冥福をお祈りする次第です。


●第12回 2013年03月04日
「地震予知」研究では発見が続々!

我々の「地震電磁気学(地震予知学)」では、いろいろな発見が続いており、発見は科学者にとっては胸躍るものです。
ここでは1例を紹介します。

中部大学太田健次先生が最初に気付かれたものです。
先生は地震電磁気学に入られる前は、超高層電波や雷電波の方位測定(電波がどちらから飛んでくるかを決める高度な手法)を開発されるなど世界的に高い評価を受けた先生です。2000年(?正確には覚えていない)だったか、太田先生より電話がありました。
「中津川のシューマン共振現象に異常があり、1999年の台湾南投縣の集集鎮地震の前兆だと思うので、すぐにデータを持って行きます。」という。

シューマン共振現象について一言説明いたします。
赤道地域は雷の多発域であり、その雷から出る電波のうちELF電波(周波数100Hz以下)は、電離層と大地から成る空間を何周もします。
その結果、特定の周波数にて共振するのです。その周波数は、8、14、20、26Hzなどです。
ドイツのシューマンという先生が1952年に発見した事から、この名前が付いています。

太田先生の指摘は、地震の約一週間前に中津川観測点でのシューマン共振の26Hzの共振が、約1Hzずれているというものでした。通常の共振周波数は1日で最大でも0.1Hz程度ずれるだけなので、この発見は俄かには信じがたいものでした。論文として発表するまで数年温めることとなったのです。

新しい発見には最大級の考察が必要です。先ず何か人工的な雑音ではないのか?
シューマン共振の異常なのかなど考えた上に、シューマン共振の共振周波数のずれが電離層の乱れによって理論的に説明できるのかなどなど。
更に、太田先生は台湾の6年間の地震と中津川でのシューマン異常を徹底的に調べ、両者の明確な因果関係も確かめられました。これらの努力により、これなら論文として発表できると考え、2005年に欧州誌に発表し、多大の注目を集めました。最近では中国の研究者が中国国内での観測でも、2011年3.11地震に対して同様の異常現象があったことを確認しています。

また、一週間ほど前、米国の研究者からこのシューマン異常を地震予知法として大々的に調べたいから協力してほしいとのメールがあった所です。

多分、今後も地震電磁気分野では新しい現象が発見されることは多いに期待されます。これも学問が新鮮であるためです。
この様な発見が研究者の研究意欲の最大の原動力となるものです。


●第13回 2013年03月11日
「ファラデー(Faraday)の言葉と恩師、金原淳先生」

「Work,finish and publish.」 これは、電磁気分野での大先生ファラデー(Faraday)の有名な言葉です。

私はこれを生涯の座右の銘としていますが、私が名古屋大学生時代の授業において、私の恩師故金原淳先生より教えられたものです。
ファラデーは「ファラデーの電磁誘導の法則」にて巨人ともいえる科学者ですが、地震電磁気学でもこの法則には大変お世話になっています。

この言葉は、「研究者たる者、研究を始めたら、どんな困難に遭っても挫折することなく、忍耐強く頑張って、仕上げ、更に発表しなくてはいけない。」という意味です。

この一連の作業のうちでも、特に仕上げから発表の段階は極めて大事なことだと思います。
何故なら、この段階で完成した仕事をもう一度精査でき、どこまでが確実に自信が持て、どの部分がまだまだ未解明な点があるのかなどを明確に出来るからです。次の研究ステップへのスタートとなります。

恩師金原先生からは極めて多くの事を御指導いただきました。
私が名古屋から東京へ移った後は、しばしばご自宅にお招きくださり、その際、いろいろなご助言をいただきました。

また、先生が語ってくださった昔話で印象に残っているのは、1960年のURSI(国際電波科学連合)のロンドン総会にて、その当時の最大関心事であったホイスラ(英国ストーレイ博士が体系化した)の説明を、英国ラトクリフ先生が口笛を交えて行った際、聴衆の受けた大きな衝撃、興奮の様子などです。

ホイスラは、超高層の電波ですが、音に変換すると口笛の音になることから、この名前がつけられたものです。
このホイスラ波は、超高層を磁力線に沿って伝搬してくるため、当時よくわかっていなかった電離層より上の領域を調べられる可能性が高く、スペース物理の新しい扉を開くものとして注目されていたのです。

さて、金原先生からいただいた多くのご助言のうち、いつも私が心掛けているのは、「新しい事をやりなさい。」です。

先生は空電(雷からの電波の総称)の大家であり、名古屋大学に空電研究所を創設されるなど、新しい研究領域の設立等を御自身にて実践された方です。
故に先生のお言葉は、極めて重いものです。
私はこの言葉を守るべく、スペース研究でも、雷研究でも人とちがう方向を常に模索してきました。
そして、地震電磁気を始めたのは、まさしく先生の言葉に沿ったものです。

“新しい事をやりなさい。”

今私は、この言葉を若い研究者に贈りたいと思います。


●第14回 2013年03月25日
「論文は著者の性格も伝える!」

私は名古屋大学空電研究所において研究生活をスタートしました。前回お話しした金原 淳先生が創立した雷に関する総合的研究を行っている、当時世界で唯一の研究所でした。

大学院の修士課程の研究としてストーレー(Storey)博士が英国ケンブリッジ大学の博士論文として1953年に書いた“ホイッスラ”を研究テーマに選びました。
この論文は、地球周辺宇宙空間の研究において五指に入る画期的な論文です。即ち、1953年当時は地球上空に電波を反射する層、電離層が存在することまでは明らかになっていましたが、その層の上がどうなっているかを調べる手段を人類は持っていなかったのです。

ホイッスラについて少々説明します。雷放電から発射される長波(VLF帯)の空電は、地表と電離層の間を伝搬するのが原則ですが、一部の空電は電離層を通り抜け、地球の磁力線に沿って反対半球まで伝搬し、受信されます。
この空電は発生源ではガリガリという不快な雑音ですが、反対半球で受信されるときにはピューピューという美しい口笛の様な音となります。
これがホイッスラという名前の由来です。

ストーレイ博士の論文に戻りましょう。先ずは論文の入手が一苦労でした。
今のようにネットからすぐ手には入りません。やっと入手して次に驚いたことは何と大作の論文か?正確には覚えていませんが、確か40頁はあった様に記憶しています。
次に驚いたことは、すこぶる丁寧に書いてあること。ホイッスラの概念をはじめて示す先駆論文であるので当たり前といえば当たり前かも知れませんが。先ず、ホイッスラの理論的解釈から始まります。
続いて、博士自身による英国内で行った観測が記されています。この論文の最大の特徴は、この部分までは自信を持って言えること、しかしこの部分はまだ不充分であると記されていたと記憶しています。
この未解明部分は今思えば、将来出てくるであろう課題が示されていたのです。この論文により、ストーレイ先生は大変誠実で几帳面な先生ではないかと推測されました。

さて、このストーレイ先生と初めてお会いできたのは小生が英国シェフィールド大学に留学していた時です。小生の先生はカイザー(Kaiser)教授とブロウ(Bullough)博士でした。そのカイザー教授が主催する国際会議がシェフィールド大学にて開かれた時です。
小生も二つの論文を発表しました(この時のエピソードはまたの機会に)。
さて、会議の晩餐会にて偶然小生と女房の前に座られたのがなんとストーレイ先生でした。今の若い人には信じられない事でしょうが、論文で見ている先生とすぐに会う機会など昔はなかったので、この時の感激は言葉に尽くすことができません。
いろいろともどかしい英語にてお話しして感じた事は、この方が1953年の大論文を執筆された御本人であるという事。まさしく英国紳士であり、くだらない事には全く御興味のない大先生であると。
論文を読んだ時の印象そのままであると感じた次第であります。その後は、先生の仏国オルレア郊外の森の中の御自宅に御招待いただいた事などなつかしく思い出されます。
今もクリスマスカードのやり取りが続いています。

最後に、我々が論文を書く時の注意として、論文からは著者の性格まで伝わることを肝に銘ずる必要があるということを忘れてはなりません。


●第15回 2013年04月22日
Old soldiers never die, they only fade away.「老兵は去るのみ」か?

私は一年ぶりにオーストリア・ウィーンを訪れています。(この原稿はウィーンで書いています。)
欧州地球科学連合(EGU)の国際会議への参加です。
1万人を超える巨大な会議のため、誰が来ていて、誰が来ていないかすらよくわからない。とりあえず自分のセッションにて発表するのが主たる目的である。

月曜日の午後にウィーンに無事到着し、ホテルへ向かう。
初めてのホテルだが、部屋が広くて心地良い。
しかし、11時間という飛行機は中々堪える。

火曜日午前に会場へメトロで出掛け、登録し、名札とプログラム概要をもらう。
昔の興味の対象であった雷関係のセッションがあったので、冷やかしで参加した。
すると、懐かしい顔が数人私を見て挨拶に来てくれた。嬉しい限りである。
英国バース大学/マーチン・フルクルーク、イスラエル/コリン・プライス、同じくヤイール博士など。

フルクルーク教授の所へは小生のもとで数年過した若いロシア人(アンドリュー)を推薦して受け入れてもらった経緯もあり、同君の活動はどうか聞くと、著しくガンバッテいるとの事。一安心である。
アンドリューは同教授の主たる興味の雷関係の仕事に加えて、地震に関する電磁放射の論文を国際誌に投稿しているとの事。フルクルーク教授も新しい方向性を出してくれたこと大いに喜んでいた。

プライス教授は昨年体調を崩されていたのを聞いていたが、本年は随分回復している旨。また、我々に刺激されて始めた地震に伴うULF波の観測も第3観測点を設置するところまできたようだが、残念ながら同国では地震が少ないのです。

この人達は50歳前後という若さであるが、雷分野の世界をリードする優秀な学者たちである。

雷セッション後ポスターセッション(メチャメチャ大きなスペース)にていろいろなポスターを見ていたら、久し振りにセルゲイ・プーリネッツ教授(ロシア)と偶然遭遇した。
そこへウーズノフ教授(米国)も加わり、2時間以上集中的に話した。
プーリネッツ教授は私とほぼ同じ歳の老兵だが、依然として現役で活躍している。
ウーズノフ教授は現役バリバリの若者です。
三人とも地震電磁気学(地震予知学)に従事していることから、この学問分野の将来について突っ込んだ話しをした。新しい共同研究の話しも。
有意義なロビー外交と言える。

帰りがけ、向こうから大先生がゆっくりした歩調でいらっしゃった。
私の尊敬する英国のマイケル・ライクロフト大先生である。
私よりも10歳以上年上だと思うが、依然として良い論文を発表されている老兵です。

私は「老兵は去るのみか?」とお尋ねした所、笑いながら「頭が呆けない為にも一緒にガンバロー」との御返事でした。


●第16回 2013年04月29日
「台湾での『国際地震前兆』ワークショップに参加して」1/2

先週(4月24日、25日)台湾National Central Universityでの国際会議IWEP(International Workshop on Earthquake Precursors)に参加した。地震前兆という言葉が堂々と入っており、日本では考えられないことだ。皆様もご承知のように、地震学では前兆、予兆という言葉を今後使わないことを決めた事が新聞紙上にて紹介されていた事を考えて下さい。

私が日本(電通大)にて過去に4回主催した国際会議はIWSE(Int. Workshop on Seismo Electromagnetics)と題し、地震予知の基礎となる地震電磁気学をタイトルとして用いました。今回のIWEPはIWSEの延長上にあるものです。前兆を探すことなく地震予知はできないのである。幾度も本メルマガにて述べている様に、地震予知学は地震学とは別物である。

このIWEP自体は、参加者40~50人前後のこじんまりしたもので、外国人(日本人6人と米国人1人)、中国人(台湾と中国本土)及び同大学に留学している外国人10人前後などの構成である。主催するのはTiger Liu教授で、50代半ばのバリバリの現役で、この分野の将来を担う学者である。国際会議はその主催者の特色、特性が著しく現われるが、大変楽しいものであった。
毎晩のパーティだけでなく、サイエンスとしても。

台湾の地震予知の国家プロジェクト(iSTEP)の第3次計画が2013年(本年)から2018年までの4年計画で進むとの事。
即ち、10年以上国からの支援があるということだ。
日本も本気で減災を考え、再びプロジェクトが立ち上がることを願うものです。


●第17回 2013年05月06日
「台湾での『国際地震前兆』ワークショップに参加して」2/2

もともとこの台湾プロジェクトは私たちの日本フロンティア計画(1996年-2001年、5年計画)(理化学研究所(上田先生リーダー)と旧宇宙開発事業団(NASDA)(早川リーダー))の成功に刺激されて開始されたものである。日本の2つのフロンティアは充分な学術成果が出ていたにもかかわらず、我々の強い要請を無視して、政治的に地震電磁気学の継続は“没”となった経緯があることを考えると、台湾は先進国と言えよう。

もう1点述べると、このiSTEPを最初に企画されたのが地震学者Y.B. Tsai教授であったことも驚くべきことだ。私の大好きな、尊敬している大先生である。

会議の内容について2点ほど書きます。上田先生の基調講演では、地震予知の歴史から始まりこれまでの地震学の問題点を強烈に指摘されるなど、参加者に強く地震予知学の重要性を伝える素晴らしいお話がなされた。また、その中で、私たち「地震解析ラボ」の情報配信についても触れていただき、「早川教授は学術成果を企業化したパイオニアであり、会社の成功を祈る」と言っていただいた。大変心強い限りであり、より一層の勇気を持って進むだけである。

次に、主催者の主たる興味もあり、電離層の乱れが中心課題になっていたようだ。

私は電離層乱れの一つの説(大気振動説)を詳しく述べ、他方もう一つの説(ラドン説)をネット講演にてロシア・プーリネット教授がこれまた詳しく説明した。参加者は両説を一緒に聴く機会が得られ、極めて有用だったと信じます。


●第18回 2013年05月13日
「ブラボー ロシア人研究者」

私は、「先生の御専門は?」と尋ねられると、最近は「電磁環境学」と答えています。聞き慣れない言葉ですが、要するにキーワードは「電波」と「環境」です。

具体的には色々な事をやってきましたし、今も続けています。
(1)宇宙(上層大気)中での電磁雑音(宇宙で発生する電波がどうして発生し、伝搬するかを調べる)
(2)大気圏での電磁雑音(雷からの雑音電波、電波を用いた地球温暖化の監視、上空への雷放電など)
(3)地圏からの電磁雑音(これが地震予知に関係するもので、地下の効果を用いて地震を予知することです)
(4)生活空間での雑音(環境電磁工学(EMS)、例えば電気・電子機器からの雑音電波の特性を調べ、それを抑制するなど)
(5)通信と雑音
などです。

各々のテーマについていろいろな国の研究者と共同研究を数多く行ってきました。そのなかでもロシア人研究者の優秀さについてここでは述べます。

私の永年の友人モルチャノフ教授についてはメルマガにも書きましたが、ロシア人(旧ソ連も同様)研究者の最大の特徴はと言えば、
(1)基礎学力が著しく高いこと、
(2)新しい現象やテーマに異常なほどの好奇心を示すこと
です。
勿論、私がお付き合いしたロシア人がすべて世界的権威であった事はまことに幸運でした。

昔(数十年前)、旧ソ連時代に私はソ連を数十回にわたり訪問しています。
その時のエピソードを一つ。

当時、いくつかの研究所における小生の研究成果を活かし、色々な研究者と議論すると、私レベルの研究者はロシアにはゴロゴロ居ることに驚かされました。多分、彼らは「日本の教授は真に教授と言えるか?」と心の中では思っていたのでは。恥かしい限りでした。彼らはいろいろな理由(最大の理由は英語かな)により、世界に出られなかったのです。特に、ロシア崩壊前には、教育は完璧で、基礎的な”数学”と”物理”を十分に教育されたことが大きな力になっているのです。
残念ながら、最近は優秀な学生は給料の安い研究者を目指さず、給料の良い会社へと流れているようです。


●第19回 2013年05月20日
「地震、雷、火事、親父」

地震、雷、火事、親父は昔から我が国では恐ろしいものの代表と考えられてきた。最近では親父の威厳は地に堕ちているので、風水害と取りかえた方が良いかも知れない。私はこの「並び方、順番」に最も大きな意味があると考えている。即ち、「恐ろしさ」はその事を予測(ないし予知)する困難さと強く関係しているのでは。

先ず、親父は子供が良い子である様に努力すれば、親父の爆弾が落ちることもない。火事も同様に我々が火の元に充分な注意を怠らなければ避ける事が出来るのです。

これに対して、最初の二つは自然現象でもあり、火事、親父に比べて格段にその予測は難しく、怖いものである。

私が所属する日本大気電気学会では航空機への雷撃や人への落雷の報告をしばしば聞いている。旅客機の運行には、雷が恐ろしいから、空港からの警報はもちろん、機上のレーダでも注意している。
夏は雷雲の下部は雨滴で、雷活動の激しい所は雨滴も大きいので、レーダでもよくわかる。
冬は【前線性]の雷が多いが、雷雲の下部は雪片または氷片になるから、雷活動の激しい所をレーダで見つけることは困難である。この時には、雷放電から放射される電波(即ち、空電)に基づいて、その源たる雷の位置や強度を観測することも必要である。

今日では、観測時には細かい時間(例えば、5分単位)にて雷雲を追跡したり、又大型電子計算機を用いて、刻々に雷の位置を知り得るという進んだシステムが完成に近づいている。

最も予知(予測)が難しい、極端に難しいのが地震である。私は最近20年は雷関係の仕事も続けているが、格段に難しく挑戦的な地震予知にのめり込んでいる。そして、用いている手法は宇宙物理の研究や雷関係の研究にて開発した観測手法や概念を活用している。
即ち、従来の地震観測に基づく力学手法ではなく、電気、磁気、電磁気を用いる電磁気手法である。本メルマガにてすでに何度も述べているが、雷の予測が完成に近づいている様に、地震予知にはもう少し時間はかかるにせよ、近々実用化されるであろう。
事実、長年の観測により、地震との因果関係の明確になっている「電離層の乱れ」などが発見されているからである。
しかし、昔の人が決めた地震、雷、火事、親父の順番が変わることはないだろう。
●第20回 2013年05月27日
「工学と理学」

世の中には、「科学技術」というあいまいな言葉がしばしば使われている。本来、理学と工学とを一緒にしたように見える境界が交差する領域の研究が大切であり、盛んになって来たことは理解できる。しかし、理学と工学とは区別する必要がある。

テレビジョン、電子計算機、通信衛星等を造るのが工学である。これらの具象は、そのものが目的ではなく、人類文化を豊かにすることを目指している。工学者の死後には、これらの具象が残る。

他方、理学は自然界の法則、原理を発見することが目的である。相対則、量子則などがこれであり、理学者の死後には、論文が残るが具象は残らない。

私は工学部の出身で工学者であり、またある時には理学者でもある。即ち、物を造る時には工学者であり、原理・原則に精通する時は理学者であると言える。

大学の工学部と理学部では、上で述べた様にその目標が本質的に異なることから、研究の手法、方法、考え方も違う。これは異なる学部にて4年間にわたり異なる考え方により教育されているから、その素養が違うのはいたしかたがない。私は工学部(電気科)出身であるが、約10年間宇宙研究という理学テーマを研究してきた。工学者と理学者は別々の環境にいるので、その人生観や世界観にも差が出ることは避けられない。これは、いずれの価値が高いということではない。座標が違うのだと考えた方が良い。

工学は理学の応用だと思っている人がある。一部では正しいが、全体から見ると間違っている。実際、電子工学などでは、理学の発見に依存するところが比較的多い。そのため、工学は理学の下位であると取る立場の人もいる。
そうではない。発見されていない未知の世界のことでも、人類文化の向上に役立つと思えば、自然法則が発見されるまで(原理・原則が確立されるまで)待つわけには行かない。例えば、理学の人と工学の人が同席する会議にて、理学の人が自説を最後まで押し通そうとするが、工学の人はある所にて妥協して前に進むことが多い。言い換えると、工学の世界は独特な手法による実験と用意周到な判断によって遂行することが可能だからである。工学の世界に安全率という言葉があるのはそのためである。

ヘルツ(独)が実験室で電波を発見したのは理学的であるが、電波を使って無線通信を発展させ、今日テレビジョンにて海外のオリンピックが見られるのは工学である。


●第21回 2013年06月03日
「ファーストネームで呼ぶこと」

海外で研究生活している時から感じていたことですが、最近、研究所に海外からの来訪者が増え、やはり気になりましたので・・・。

皆様も外国人のお友達をお持ちの事と思います。一般的には、親しくなるとファーストネームで呼び合うようになります。
この事は両者の親密度を示す様にも考えられています。

しかし、小生には少々違和感なり、抵抗なりを感ずることが多々あります。
同年輩の仲間からファーストネームで、「マサシ」と呼ばれても全く問題ありません。
それに対して、かなり若い人(50歳前後)からファーストネームで呼ばれることも多々ありますが、かなりの違和感を感じます。
これは私一人のことでしょうか?
勿論、若い人のなかには必ず、Prof.Hayakawaで通して来る人もいます。

実は、小生も初めて英国シェフィールド大学に留学した際(1975年~1976年)、小生の指導教官Tom.Kaiser(トム・カイザー)教授はこれからはトムと呼べと言われましたが、私は一度もトムとは呼ぶ事が出来ず、Prof.Kaiserで通しました。あまりにも偉い大先生なので。

今週古い友人をロシアからお迎えしています。ロシア人のメンタリティは日本人に極めて近い様に感じます。
目上の人を呼ぶ時には、ファーストネームとともにミドルネームを加えるのが一般的だと聞きました。即ち、年長者への敬意の表し方なのでしょう。同感です。


●第22回 2013年06月17日
「論文を査読すること」

正確に数えていませんが、私の所へ月当たりにて平均すると、一日少なくとも1編の論文の査読の依頼が世界中から来ます。
多い数だと思いますが、それは小生が(1)スペース、(2)電気/電子工学、(3)地震電磁気、(4)環境電磁工学(EMC)など多くのテーマに関係しているためです。
雑誌も誰もが知っているJGR(米国地球物理学会誌)、Radio Scienceから、インドなどの国内誌(国際誌を目指す)まで幅広いものです。

最近は学術論文の執筆、本の執筆、会社の業務など自身の仕事が多いので、ほとんどの論文の査読は拒否しています。
しかし、論文のタイトル、アブストラクトを見て、何か新しいものがありそうな論文は査読しています。従来の思考の延長というような常識的論文には興味がありませんが、何か新しい視点を提案するなり、取り組んでいる論文は自分たちの最新の仕事に即活用できるものがあるからです。
レフェリーレポートを書くのもそれなりの労力が要るので、参考にさせてもらうことが少々あってもいいのでは!?
もっと言うと、世界中の最前線の研究をする学者は熾烈な競争を行っており、同じ事を1ヶ月の差で発見なり、発明なりがなされることが良くあるものです。
ある研究者が自分と同じ考えの論文を見てびっくりし、出版を遅らせる様なコメントをすることがあることを聞いた事があります。
少々えげつない話ですが、これも学問の世界での”C'est la vie”です。


●第23回 2013年06月24日
「雑誌のEditorとは」

前回の論文査読と密接に関連することを書きます。雑誌のEditorについてです。

私は多くの雑誌(国際誌、国内誌)のEditorial Boardの仕事をしてきましたが、その中でもEditorとして主なものは、(1)米国地球物理学会関連のRadio Scienceと (2)国内誌J. Atmospheric Electricityです。

前者は、国際的な学会URSI (Int’l Union of Radio Science)という学会の雑誌としての位置付けです。URSIは、電波科学に関する世界で最も権威のある学会で、電波に関する全般を網羅しています。電磁雑音、電離層、リモートセンシング、電波天文、医用電磁波など。
(2)は、日本大気電気学会の機関誌です。

さて、本題のEditorの仕事について書きます。
国際誌のEditorは学術的に高いポテンシャルとしっかりとした見識が求められます。
レフェリーはあくまでEditorへの参考意見を言うだけです。その意見を考慮し、Editor自身が論文を読んで、採録するか否かを決定する権限を持ちます。
レフェリーの意見に従うこともあれば、レフェリーと反対の結論の事もあります。

例えば、実名は出せませんが、ある研究者がEditorに投稿した論文を二人のレフェリーに廻したところ、二人のレフェリーとも意見の内容も不親切であり、不採択とのレポートがあがってきました。
しかし、その論文を読んだEditorは”何かあるな”と直観され、英語などを徹底的に直して出版したという話もあります。その後、その論文は多くの読者に読まれたとの事。これはEditorの見識と言えましょう。

小生も6年間Radio Scienceに関わってきましたが、新しそうな内容の論文の時には、レフェリーが何と言おうと可能なら出版する方向で対処したことを覚えています。


●第24回 2013年07月01日
「科学に限界はあるか?」

2011年3月11日の東日本地震後の地震予知に関する動向を今一度考えてみよう。

3月11日の大地震が予知されなかった事もあり、地震学に対する社会、マスメディアの激しい批判が殺到した事は記憶に新しい。
地震学の従来の力学的手法(地震計などの計測による地殻変動測定)では地震の短期予知は極めて困難であることが地震学者のみならず、社会(一般の方)にも認められる様になったと感じる。

震災後のあるテレビに登場した、ある地震学者は、キャスターのいろいろな指摘に対して、地震学の手法が地震の短期予知には不向きであることを述べ、更に「科学には限界がある」と付け加えた。

同氏は地震予知は不可視であると言いたかったのでしょう。しかし、科学者とは何かを考えてみたい。

ある課題を解き明かそうとする時、ある手法では難しければ、全く新しい手法を提案したり、トライしてみるのが科学者では。
科学者は限界を作るものではなく、限界を乗り越えようと最大の努力を惜しまない。それが科学者ではないか。
これがまた科学者の醍醐味ではないかと思うのですが。


●第25回 2013年07月08日
「最近考えること(科学者とは)」

1969年に大学院生として日本物理学会ジャーナルにショート論文を初めて発表して以来40年以上にわたり電磁環境をテーマとして多くの論文を書いてきました。

2009年大学を定年退官した後は、ベンチャー企業を起こし、研究と事業との二股生活を楽しんでいる今日この頃です。

その日常の中、考える事があります。

研究者とは何か? 研究者とはどうあるべきか? など・・・。

40年強の研究生活の結論としては、何か新しい事に関わり成すことが研究者の最上の喜びではないかと思います。
結果的には、小生の大学時代の恩師金原先生が時ある毎に言われていた「新しい事をやりなさい。」に尽きます。それでは何か新しい事を成してきたか振り返って見ましょう。
先ず、スペース(地球周辺領域)と雷の研究分野における方位測定の開発を挙げることが出来ます。地上からだけでなく、人工衛星上での電波の到来方向を決める技術です。
この技術はいろいろな波動がどの様に発生し、どの様に伝わるかを解明する鍵となるものです。

もう一つは、電通大赴任後始めた地震に伴う電磁気現象の研究でしょう。地震予知への道を開くものとして新しい学問の体系化に貢献できたのではないかと思っています。

次に、研究者として要求されるものは何かと自問すれば、(i)謙虚さと (ii)偏見のないことではないでしょうか。
これはどの分野でも同じかも知れませんが。実は、この二つのことはある意味ではよく似ている様にも感じられます。
特に、新しい研究課題を探すのには、(i)と(ii)が不可欠ではないでしょうか?

即ち、革新的なテーマを探すには、各分野での過去の(先人たちの)仕事を正確に把握し、その中から問題点を探すこと、またいろいろな分野の物事にも興味を持って眼を開いていることが重要です。

自分に近いグループの研究だけでなく、批判的なグループの仕事にも注意を払うことも必要ではないでしょうか。

小生の経験では、(1) URSI(国際電波科学連合)においてE分科(電磁雑音)の国際チェアを努めたことや色々な国際会議での各国研究者との交流と (2)国際誌のエディタやレフェリーとして得られた事は新しい情報の収集や世界的研究動向の把握に大きな力になったと思います。
若い研究者・技術者には、謙虚さと、偏見を持たず、真摯に研究に取り組んでいただきたく存知ます。


●第26回 2013年07月15日
「米国民間会社(地震電磁気)がホワイトハウスに招待される!」

数日前ある情報が届いた。私たちの研究仲間であるTom Bleier博士が社長を務める「QuakeFinder」という民間(研究)会社がホワイト・ハウスの「挑戦的会社」10社に選出され、社長がオバマ大統領より祝福を受けるというものである。

この会社は私たちの地震解析ラボと同じく民間の研究機関である。NASAなどの外部資金にて地震電磁気の研究を行っている。
数年前にはULF電波を受信する人工衛星を打ち上げ、最近は世界中にこのULF受信器をばらまいて地上観測を行っている。
ただ、まだ私たちの様な一般への情報配信提供までには至っていないが。

直ちに祝福のメールを社長Tomに打ち、私たちとの共同研究も打診した。昨日返事があり、この種の表彰は大変光栄なことであると喜んでいる。彼のグループのより詳しい研究内容は、私が編集した本(「地震予知研究の最前線」日本専門図書出版)にも含まれているので、是非読んでください。彼のグループはサンノゼ大学のF. Freund教授との共同研究を強力に実施している。更に、彼のメールの返事では、極めて小さな会社であり、現在世界中に展開している100個以上のULF観測点の維持ですでに過負荷であるとこぼしている。
永年ネットワーク観測を行っている私にはわかるだろうとも。

この嬉しい情報は米国でも地震予知に対する考えが大きく変化していることの表れでは!

私が2000年前後NASDAのフロンティアを実施した際、米国のアエロスペースという、これも半官半民の研究機関と共同研究を行った。その時、私が大好きだった共同研究者 故Harry Koons博士が私も協力して地震電磁気専用の人工衛星計画をNASAに提案したのを覚えている。その当時は、NASAの反応は惨々たるものであった。即ち、(i)地震に伴う電磁気現象自体が疑わしい、(ii)そのメカニズムがわかっていないという二点にて不採択となったのをよく記憶している。

米国でのこのすばらしい情報は、同じ民間会社の人間として、私たちにはとりわけ勇気付けられるものである。

米国だけでなく、日本でも地震予知に関する環境も徐々にではあるが、明らかに変化しつつあるのを感じている。

まさしく近々世界的な流れになると信ずる。


●第27回 2013年07月22日
「科学者にとって留学とは」

私たちの時代には「外国へ留学すること」は大変な出来事でした。生涯での最大イベントの一つです。

私は最初は英国、シェフィールド大学へ1年間(1975~76年)留学し、2度目は2年間(1980~82年)仏国、惑星大気物理化学研究所(オルレアン)でした。
実は、どの国の、どの先生のもとへ留学するかは、その科学者の将来に著しく影響するのです。
私は米国にはあまり興味がありませんでしたし、米国人の現金な所が好きになれませんでしたので、文化豊かな欧州が良いと元々思っていました。

私の最初の英国留学の経過を述べましょう。

以前のメルマガでも書いたホイッスラの発見者ストーレイ先生(英国ケンブリッヂ大学出身)が仏国の電離層研究所にて仕事されていることから、同先生のもとでの留学を希望し、名大空電研(小生の前任地)の恩師より推薦状(手紙にて・・・電子メールではないのですよ)を送ってもらいました。
結果的に、英国シェフィールド大学のトム・カイザー先生(以前のメルマガで述べた)を紹介していただきました。

その当時、シェフィールド大学グループはスペース研究での世界で五指に入る活動的なグループであり、いつも外国人研究者が多数滞在していました。
宇宙研究の最盛期であり、米国はNASAが潤沢な資金に任せて、多くの人工衛星を打ち上げ、新しい現象を発見し、論文を書くという流れでした。

それに対し、例えばシェフィールド大学では財政的にはそれほど恵まれず、衛星搭載機器など大学の研究室にて自作しているのを見て驚きました。
更に、観測面では安価なものでもよく考えた(頭を使った)方式を用いていました。小生の様な日本人には大いに参考になるものでした。
少ない資金にて、最大限の結果を出すべく、新しい観測手法を考え出すのです。
シェフィールド大学の宇宙グループはカイザー教授とリーダ(Reader)のケン・ボロー先生がトップにて、常勤のスタッフ4~5人とかなりの数の技官にて構成されていました。

カイザー先生はグループ全体の方向性に関して明確なイメージを持たれていて、実質的な研究をリードしたのがボロー先生です。
カイザー先生はオーストラリア出身で、戦争中は日本人と戦ったとの事。
戦時中のレーダの研究から始まり、マンチェスターの45m電波望遠鏡の設計、シンクロトロン(加速器)の研究、そしてシェフィールドにて宇宙の研究を始められ、英国の人工衛星エアリアルIII、IVの責任者でした。

スペース(地球周辺の電離圏/磁気圏)内でのVLF/ELF放射は少々むずかしくなりますが、サイクロトロン共鳴により発生していて、そのメカニズムはまさしくシンクロトロンと同じであり、"物理と数学"が出来れば何でも出来るというのがカイザー先生の口癖でした。大先生だから言えることです。
懐の深い先生で、学生が答えが出るまで数時間でも待たれるという信じられない光景を私は見ていますが。
先生に会いたい時は、昼食時に大学会館2階のファカルティ(職員用)パブへ行けば必ず会えたことも思い出されます。今でも憧れの先生です。


●第28回 2013年07月29日
「グローバル化とは?」

グローバル化、国際化が叫ばれてから久しいが、今なお日本・日本社会は国際化には程遠く、日本人の国際舞台での存在感がますます薄くなっているという危機感を皆様は感じませんか。最近ではグローバル化のために、英語の聞き取りと会話能力を上げようと、小学校より英語を教え、大学入試では「TOEFLの点数(スコア)を条件につけるべき」などなどの議論も展開されているが、全くnon-senseな議論だと思います。

「国際会議の場で日本人は寡黙すぎるので、何はともあれ発言することが肝要だ」と言われても、自信のない発言、整理されていない発言、結論のない発言なら発言しないで黙っていたほうが良いのでは!

グローバル化、国際化で最も大事な事は、英語力ではなく、その個人の人間力を高めることに尽きるのではないでしょうか! 即ち、自己の確立です。我々科学者なら、先ず明確な方向性(何をしたいのか? 何をなすべきか? 等)を持つこと。続いて、その方向にて自分の実力を高める様に研究し、その成果を国際社会へ発表することです。本来は若いうちにすべきですが、この過程にて基礎的な教養を習得することも不可欠でしょう。

私がいつも不充分だと痛感しているのが、日本の歴史、伝統、文化などに対する知識のなさです。また、社会の一員として、目上への礼節、相手への思いやりなども人間関係の上で基礎となるものです。若いときに学ぶべきは国語、そして数学です。そして、第2外国語を習う事。英語は国語力、聞き取り力さえあれば、いままでのように中学校から始めても充分だと思います。大学で出来ることもいろいろあります。従来の教養教育の復活ではなく、新しい基幹教育として、課題発掘・解決や対話に重点を置いて自力にて考え得る能力をつけること!

国際会議において日本人の存在感を高めるには、この様な人間力の高い日本人をいろいろな分野に育成することではないでしょうか。高い人間力に基づく発言であれば、英語の上手、下手は全く関係なく、相手には伝わると信じます。

私のことを一つ書きます。

いつもお話ししている電波関係の最も権威ある国際会議(国際電波科学連合、URSI)には、国内対応として日本学術会議のなかに電波研究連絡委員会(電波研連委という)があります。
私は40才前半に、この電波研連委のE文科(電磁雑音)の委員長に選んでいただきました。URSIの総会(3年毎)期間中には各分科毎に数回のビジネス・ミーティングが開かれ、各国代表が集まり、その分科の将来などについて議論するのです。従来から感じていたのですが、URSIは元々長老先生たちの社交場という意味合いが濃く、分科会を活性化するにはどうしても若い研究者の参加が重要だと感じていました。そこで、ビジネス・ミーティングにて、若造として生意気にも、その旨を下手な英語で真剣に発言しました。長老たちが多く、不愉快な顔をされる方もみえました。しかし、ミーティング後ある外国人(それなりの年配の方)が小生の所へ来て、名前を聞かれました。また、会議後E分科の国際チェアのスツンパー先生から次回の総会では一つのセッションを企画する様にとの有難い手紙をいただいたのは忘れられません。


●第29回 2013年08月05日
「食と国」

今日はちょっと趣向を変えて、各国の食について書きます。
30才前後から現在までいろいろな国を訪れ、いろいろなものを食べてきました。
それほど美食家でもなく、食に関する知識や見識もない。従って、極めて私的な見解であることをご容赦下さい。

最初に長期滞在したのが英国です。英国の名物料理を尋ねられれば誰もが口を揃えてローストビーフというでしょう。
この事は他にそれほどのものがないことの裏返しです。
有名ホテルの “ The Grill ”レストランのローストビーフは美味との事ですが、残念ながら英国の食べものは全般的にはいただけない。
勿論、英国の庶民食であるフィッシュ・アンド・チップスは私が英国にいた頃はずい分お世話になりました。

米国ではほとんど美味しいものに出会っていません。
美味しいものを食べたいと、料金が倍の料理を注文すると、美味しさが倍になるのではなく、単に量が倍になってきただけでした。
ある時は、極端にお高いレストランへ行き、珍しく美味しいものが出てきたと思ったら、それが実はイタリアに本店を置くレストランだったりと。
(つまり米国の料理ではない。)

米国の科学技術、英国の堅実な実用主義には敬意を表しますが、両国ともこと食べものに関する限りはいただけないと思いませんか。

これが仏国、伊国へ行くとまるで状況が違っていました。有名で、高価なレストランにはほとんど行っていませんが。
驚いたのが、ほとんど例外なく、田舎の食堂のおばさんの定食がすこぶる美味しいことです。

仏国での長期滞在中でなく、仏国に数ヶ月滞在して仏国研究者と電波観測の共同研究を行った際のことです。
自身でレンタカーにてオルレアンから1時間程度の田舎のシャンボン・ラ・フォレという観測点まで出掛けた時のこと。
途中小さな町(村)にて食堂を探すと、町には大体1軒くらいしかありません。
メニューは定食だけ。選択の余地はないのですが、おばさんの家庭料理が出され、これが安くてなんとも美味なのです。
しかも、これがほとんど例外なくということでした。今はどうなっているかわかりませんが。

次に、イタリアでの料理は小さな港町バーリのことを紹介しましょう。バーリ大学の古い友人ビアッヂ先生のお宅へ妻ともども御招待された時、海岸近くの小さな食堂に行きました。
そこで、魚料理、特に魚の天麩羅がうまかったのは忘れられません。
イタリア人は魚を、しかも色々な魚を食するのです。タコもイカも。
フランス、イタリアのうまい料理は生まれつきの舌の感受性と料理に対する熱意と誠意の賜物でしょう。

さて、日本はと言うと皆様も感じておられる様、私達はなんと恵まれていることか!
仏国、伊国などの西洋各国の料理だけでなく、中華料理も味わえます。更には、世界に誇れる日本料理も味わえると言う贅沢に浴しています。
日本料理には味もさることながら、更に「旬」と「器の美」があり、各地方には独特の「銘菓」もあります。


●第30回 2013年08月12日
「ピッコロバイオリンと地震」

先週末、恵比寿のライブハウスにおいてピッコロバイオリンのコンサートがありました。
実は、このピッコロバイオリンを日本に紹介したのは私です。

1999年というと皆様は覚えているでしょうか。この年台湾の集々地震にて多くの人が犠牲になったことを。 当時私が日本に招待していたロシア人研究者コロフキン教授(電気工学)の友人で、バイオリン弾きのセドフさんが日本に来ており、彼がおもしろいバイオリンを弾くとの事で、先ほどの台湾集々地震のチャリティコンサートとして調布で演奏してもらったのが事の始まりです。

そのすばらしい音色に魅せられて、その後10年ほどうちの女房が中心になり日本中いろいろな所でピッコロバイオリンのコンサートを開いてきました。
ピッコロバイオリンの啓蒙も地震予知の啓蒙と同じく中々大変でした。
最近では小生の友人川島佳子さんに引き継いでいただき、大きく発展しているのを見て嬉しく思っています。

先週末のコンサートでは、セドフさんとその仲間による、チャイコフスキー、ビゼーなどのクラシックからステンカラージン、トロイカなどのロシア民謡まですばらしい演奏を披露され、友人たちと堪能しました。
余談ですが、日本ではトロイカは明るい曲の様になっていますが、実はもともとは大変悲しい曲との事で、本来のトロイカは実に良かったです。
音楽会の日はその興奮でよく眠れないのが常です。

さて、ピッコロバイオリンについて更に一言。
ピッコロバイオリンは単に大きさが特徴的と言うだけでないのです。
米国のバイオリン製作者であるとともに音響学者でもあった、故ハッチンス女史が数10年前に一般のバイオリンより1オクターブ高いものとして製作したのです。その弦は極めて細く、製作にはNASAの技術が入っているとの事です。

実は同女史は7~8台のピッコロバイオリンを作ったのですが、1台しか使われていません。その1台で1人だけ弾くことを許されたのがセドフさん(ロシア、サンクトペテルスブルグ交響楽)です。あとのものはすべて博物館などに所蔵されているとの事。
更に、ピッコロの高周波の音は身体にも良いとも言われ、将来はその方面の物理療法としての可能性も考えられるかもしれません。


●第31回 2013年08月19日
「昔のソ連と今のロシア」1/2

前回ロシアの音楽について述べたので、その関連で今回は昔のソ連と今のロシアについて書きます。

私が大学院学生の時、当時書いた論文がソ連の科学者によって引用されている事を偶然に発見しました。
名古屋大学空電研究所(早川の前任地)の研究所報告に英語で書いた論文です。
超高層プラズマ中を電波が如何に伝わるかを論じたものです。
1970年代前半のことで、大きな驚きとともに大変嬉しく感じた事を記憶しています。これが最初にソ連という国を感じた時です。

その後、超高層プラズマ波動の世界的大家であるソ連アルパート先生にも小生の仕事に興味を持っていただきました。
実は故モルチャノフ先生はアルパートのお弟子さんの一人でした。そんな経緯から旧ソ連時代に数10回ソ連を訪問しています。
当時ソ連を訪問するのは言葉には言い表せない恐怖心の中で大変な思いでした。あわせて煩雑な手続きが必要でした。
先ず、検証(ビザ)そして訪問日程表など。事前に誰と会いたいか、何を議論するかも申告するのです。
急にこの人にも会いたいと言い出しても許されません。2~3のエピソードを書きます。

故モルチャノフ先生の所へは何度も訪れていますが、最初にイズミラン研究所(ソ連でも最大級の研究所)の彼の研究室へ行った時です。
突然理由もなく1人の男性が部屋に入って来るのです。これは実は“監視”なのでした。
どんな話しがなされたかがすぐ上に報告されるとの事。しかし、秘密の話しをしたい時はそれなりの手段があるのです。
「外で話しましょう」というのです。すると、監視はついて来ず、庭で他では話せないような深刻な話しも含めて、いろいろ複雑な話しが出来るのです。不思議な気がしましたが、しめつけるだけでなくフリーな環境を多少残していたのですね。


●第32回 2013年08月26日
「昔のソ連と今のロシア」2/2

もう一つ。
尊敬するアルパート先生について。
有名だった反体制派学者サハロフ博士のように、アルパート先生も反体制派と目されており、外国への出国は全く認められない時代でした。
いろいろな国際学会がソ連に対して著名学者の招待講演を企画し、招待状を出すのですが、国として許可しないのです。

アルパート先生も例外ではありません。
しかし、アルパート先生の御自宅に招待された時の、先生の「そんな事は全く気にかけない」という極端に明るい表情は印象的でした。
彼曰く、「この部屋は国際会議場であり、国際会議へ行けなくても全く問題ない」と。
即ち、著名な学者がソ連を訪問した時には必ず皆さんが、アルパート先生を尋ねてくれるのです。
自宅を訪問された方については、B4の紙1枚にその時撮った写真とともに議論した内容をまとめているとの事で、その枚数は数百枚にも及んでいました。
見せていただくと、ホイスラの先駆的仕事をされたストーレイ先生、スタンフォード大学ヘリウェル先生など錚々たる顔ぶれです。
私も若僧ながら1枚に加えていただきました。

ゴルバチョフの登場によりソ連が崩壊し、新生ロシアとなりました。多くの劇的な変化があったと想像されます。
友人研究者たちの最大の喜びは、自分たちの意見を(それなりに)発言できるようになったことだといいます。

しかし、良い事ばかりではありません。
近年は経済発展もあり、“お金”が社会にて重要な役割を果たしている様です。
そこで、科学者の社会では深刻な問題が起きています。即ち、給料の低い研究職が敬遠され、高収入の職業に理系の学生が流れていっているという事です。
政治的に大きな問題はありましたが、ソ連時代のあの高い文化、芸術と科学、技術はどう継承されていくのか? 教育体制も明らかに劣化していると言えよう(勿論、世界中共通の現象ではあるが)。

最後に一つ。アルパート先生は現在、奥様と米国にて生活されています。


●第33回 2013年09月02日
「日本人研究者は第1外国語の勉強に奮闘」1/2

先週、私は4~5日の夏休みを取ったのですが、その間に8/15の終戦記念日がありました。
「もはや戦後ではない」というフレーズが一時流行りましたが、私にはまだ戦後は終っていない様に感じられます。
依然として「アメリカ様々」で、早く日本が真に自立した国となってほしいと思うのは私だけでしょうか!
ふと、思ったことを書きます。

私たちはどうして論文を英語で書き、米国雑誌に競って論文を発表するのでしょう? それは以前のメルマガでも述べたグローバル化と関係していることは明らかです。
科学の世界もアメリカを中心に廻り、世界一と称される米国誌に発表することにより私たちの成果をより早く、より広く世界に知らしめることが出来るからです。
そこでは、英語が学術研究での唯一の言語となっている状況が、昔よりさらに強くなってきているという印象をつくづく感じます。
英語は単にコミュニケーションの手段にすぎないはずなのですが。

日本人研究者の多くは、第1外国語として英語を、第2外国語として独語又は仏語を選択し、勉強しています。研究者だけでなく、いろいろな分野の人もほぼ同様だと思います。
これらの第1、第2外国語の習得に私たちは如何に多くの努力を払っていることか! 労多くしても私たちの英語は覚束ないですよね。
これに対し、アメリカ人は英語が母国語ですので、上手な英語にて論文を書けるのは当たり前です。
私たちが米国誌に論文を投稿すると、必ずといっていいほど英語が良くないという指摘を受けるのです。
しかし、アメリカ人研究者のほとんどは第1外国語という概念すら知らないし、日本人が第1外国語の勉強に膨大な時間を割いていることも理解していないのです。何という不平等でしょう。
英語を母国語としない研究者たちは、英語を習得するとともに、本来の研究でも対等に闘わなければならない状況に置かれているのです。
私はこのハンディを背負って日本人研究者はよく頑張っていると評価したく思います。


●第34回 2013年09月09日
「日本人研究者は第1外国語の勉強に奮闘」2/2

実は電波分野では、以前は英語と仏語が公用語であった事を皆様御存知でしょうか。例えば、私の主要な国際学会はURSI(ウルシ)といいます。
仏語でUnion Radio Scientifique Internationaleの略で、英語訳International Union of Radio Scienceの略ではないのです。
すべての会議録は英語と仏語両方で書かれています。私は深く考えることなく大学時代は独語を選びましたが、仏語にしておけば良かったとたびたび思ったものです。

1980~82年の仏国留学時には毎週水曜日は研究所へ行かず、仏人と結婚されていた日本人女性から仏語の特訓を受けました。
勿論、週1回の特訓では上達など望むべくもありません。
また、仏国政府から奨学金をもらっていたのですが、毎月A4サイズ1~2枚の仏語でのレポートを提出し、OKが出てはじめてお金がもらえる仕組でした。
これも今となっては良い思い出ですが、私も皆様同様外国語には随分悩まされてきました。

もう一つ言語に関するエピソードを。
これは小生の恩師金原先生からお伺いした話です。
従って、50~60年以上前の話であることをお断りしておきます。

金原先生が参加されたある重要な会議での出来事です。
議長が議事を仏語にて開始し、「本日は議事を仏語で進めるが良いか」と問うたとの事。反対意見はなく、会議は終了しました。
終了後、出席していたアメリカ人が金原先生に今日は何を議論したのかわからなかったと怒った様子で話しかけてきたとの事。
その時、先生は「最初に議長が訊いたではないか」と答えたそうです。先生は英語だけでなく、仏語、独語も堪能な方です。

このアメリカ人の話から皆様は何を想いますか?


●第35回 2013年09月16日
「イノベーション・ジャパン(2013)に参加して」

イノベーション・ジャパンは「日本の知」の祭典と言われ、大学等の研究機関における最先端技術を紹介するとともに、民間企業との連携により更なる発展を目指すものである。
分野は広範囲で、ナノテクノロジー、情報通信、医療、防災、ライフサンエンス(生命科学)等々である。

本年は10回目で、8月28日(木)、29日(金)の二日間にわたり東京ビッグサイトにて開催され、のべ2万人強の来客を数えました。
レセプションには文部科学大臣、経済産業副大臣が出席され、それぞれが祝辞を述べられました。その内容によると安倍内閣では秋には科学技術振興の諸施策を発表するとの事です。

展示ブースは400超にて興味深いものであった。
私たちは電通大の展示として、防災部門に「地震予知研究の最前線」と題するブースを出しました。
これも地震予知の重要性を知らしめる啓蒙活動の一環であります。私たちのブースは全般的には大変好評だったと言えます。
持参した資料の数から推測すると、約180人の来訪でした。

しかし、私たちのブースを見て、「地震予知風(みたいなもの)」といって通過する人も。
即ち、出来るはずもなく、いかがわしいとの感じである。批判的な方も4~5人あり、予測確率についてしつこく聞いた方も。
はじめから私たちのブースに来ていただく方はもともと強い関心を持っていただいているのですが。
私の5分間のショートプレゼンを聞いてこられた方などもあり色々です。
しかし、全く偶然に私たちのブースで私の20分バージョンのプレゼンを聞かれ、そこまで進んでいるのかと驚かれた方もいらっしゃいました。

いまだ啓蒙は依然として充分ではないことを痛感。また驚きもありました。
私の隣の隣のブースの東北工大の野澤先生は地震解析ラボの地震予測情報を有意義に活用されており、良く当たっている印象がありますとの事です。
予期せぬ、嬉しい出来事でした。

忙しくてほとんど他のブースは見ていませんが、防災分野で人気を博していたのが東北大、佐藤先生の地雷センサでした。
電波関係の古くからの仲間であります。


●第36回 2013年09月23日
「Potluck partyでのある出来事」 私が共同研究のため留学した(1975~76年)英国シェフィールド大学物理科の卒業シーズンのことです。卒業シーズンは学生さんも先生もともに忙しくなります。卒業できるか否かの問題で、シェフィールド大学も例外ではありません。ブロウ先生に物理科の学生は無事に卒業できますかと問うた時、数人の学生が問題があるとの事。そのなかの一名が後で述べるDerek(デレク)君という学生でした。

この年の卒業パーティは物理科主任のガルブレイス先生の郊外にある大邸宅にて行われました。庭は森の様で、150人程度の集会は全く問題がないほどの広さです。学生は40人(今とちがってほとんど白人の男性)前後で、パーティにはガールフレンドを同伴する(何んと8割の学生はすでに同棲している)のが常です。先生、教官は20人前後で、夫人同伴にて倍の人数。更に、英国の教授は日本と異なり、その数が絶対的に少ないこともあり、著しく社会的位置が高く、町(市)の名士をパーティの際には招待するのです。市のお偉方、牧師などと多彩な顔ぶれです。

ガルブレイス先生の奥様エリザベスさんから教官の奥様方に御連絡があり、何でもいいので料理を一品作って持参してくれとの事。これがPotluck partyなのです。しかも、持参するカトラリーには名前をちゃんと(Hayakawaと)書いておくようにとの指示。パーティが終了した後片付けがテキパキ(自分のものを持ち帰る)進むためです。
日本の様にホテルでの豪華なものではなく、おしゃべりが主たる目的のフレンドリィなパーティです。

私たち教官は主として屋内にて歓談し、あわせて私たちの様な外国人は町の名士たちにご紹介いただき、大変楽しい時間を過ごすことが出来ました。勿論、白人のなかには明らかに東洋人が嫌いという人がいるのも感じました。物理科の建物でも挨拶もしない人が現にいるのですから。
学生諸君もいろいろな料理を楽しみながら、会話がはずんでいました。宴も酣になり、ガルブレイス先生がピアノがあるので、皆で歌を歌おうとの提案。
一瞬の静寂の後、例のデレク君が手を挙げ、ピアノに向いました。皆の要望になんなく答える見事な演奏振りでした。更なる盛り上げです。私はブロウ先生と顔を見合わせて感心しきりです。この日を境としてデレク君への見方、印象が大きく変化した事は言うまでもありません。更に、デレク君のガールフレンドはダイアンさんという、日本語科の知的なお嬢さんで、私たちの前からの知り合いであったことも驚きでした。

理科系の人は、何か特技(や趣味)で文化的なことが出来るとすばらしいですね。大きな助けになることも疑いないことです。


●第37回 2013年09月30日
「捕雷役電」

今年の夏の猛暑は私のような老人にはこたえます。この猛暑のため必然的に地表面が温められ、上昇気流が発生し、積乱雲の成長を促し、雷が多発します。
落雷により死者が出ているためか、複数の新聞社より雷を避ける方法についての電話インタビューを受けました。雷のことを一つ書きます。

私の前任地、名古屋大学空電研究所(当時愛知県豊川市)の玄関に掲られた額に書かれている言葉が表題の捕雷役電です。この額は同研究所の初代所長金原淳先生が名大初代総長渋沢元治先生より贈られたもので、空電研究所職員全員の心の寄り所となっていました。

捕雷役電とは、雷災の著しさを見て、どうにか雷の電気(電力)が利用できないかと誰しもが考えることです。ところが、その破壊力の割には、電力はそれほどでもなく、わずか4~100キロワット時に過ぎません。落雷は1万分の1秒という短時間の現象であるためです。勿論、電流はすこぶる大きく、数万アンペアとなります。残念ながら再生可能エネルギーとしては役立ちそうもありません。

雷には別の考え方もあります。落雷の時には雲から大地まで火柱が立ち、その高さは数キロ~10キロ。これを電波を発射するアンテナと考えれば、大無線局に相当します。仮に高さが2キロメートル、電流を5万アンペアとすると、その威力は私たちが地震予知に使用しているJJY局(福島、40kHz)の数百倍になります。これは世界第一流の大電力送信所で、欧米各国とも通信できる出力です。雷放電から発射される電波、即ち「空電」が如何に強力かを理解できることでしょう。空電研究所はそのような空電を総合的に研究する世界唯一の研究所でした。

1980年代には航行用電波としてオメガ局電波(10kHz前後)システムが開発されました。世界8ヶ所に設置された送信局電波を受信して、自分の位置を知るのです。航行用電波としては、減衰の少ないことと安定していることが重要な要求です。オメガ局電波など多くのVLF/LF送信局の出現により、空電はテーマとしてもう不用であるとする時期がありました。航行については電波技術の発達により、1997年にはGPSシステムがオメガシステムに取って代わることとなりました。

長波局をつくるには莫大な費用(数10億円)を要しますが、絶えず出ている空電を使えば無料で、広範囲の長波伝搬の研究が出来るのです。勿論、電波のものさし「標準電波」としてJJY局のVLF/LF波は電波時計として活用されています。また、近年は不用とまで言われた「空電」が息を吹き返しています。雷に関連して、上向き放電、雲内での粒子加速など新しい現象が近年続々と発見され、各々の現象に固有の長波「空電」が放射されている様です。「空電」の重要性が再認識される昨今です。しかし、皮肉なことに、「空電研究所」は平成2年に消滅してしまいました。


●第38回 2013年10月07日
「電気工学は潰しが効く」

私はすでに定年退官していますが、現役時代には新入生にいつもこう言っていました。
「君たちは電気工学/電子工学学科へ入学してきたが、卒業後は電気工学に固執せず、あらゆる分野へ進んでほしい。

日本のいろいろな分野は電気工学/電子工学の力なしには、これ以上進展する見込みはない」と。即ち、「電気工学/電子工学の基礎(電磁気学、電気回路、量子力学など)をしっかり身につけた上で、広い視野に立って、ものを見る教養を怠ってはならない」と。

先日、別の電気/電子工学出身者の集まる会合でも、同じ様な話が出ました。電気/電子工学科を卒業しても、生涯電気/電子工学の仕事に従事するのは、大学か研究所に務める人ぐらいで、それもまずは1割程度でしょう。それにしても、専門の仕事をするのは精々10年。それから先は、電子工学で訓練した頭を活用して、管理、運営の仕事をしなければならない。電気/電子工学に固執すると行き詰る。それ故、大学では、エキスパートになれるだけの基礎知識を、しっかり訓練するとともに、広い視野に立って色々な事を判断できる教養と良識を身につける事だ。

特に修士に進むと、研究に携わり問題を見つけると同時にそれを解決しようとすることで、自ら考えることと解決していく能力を養うことができるようになります。

今日、修士卒業生が社会にて歓迎される理由はここにある。彼らは専門知識を充分に持っていると同時に広い視野を持っているので、仕事に大変適応能力があります。メーカにしても、修士を摂らないと競争にならないのだ。しかも、彼らは広い視野に立ってものを見る事が出来、年を経て管理、運営に携わってもよい判断が出来るのだ。

今日では電気/電子工学はいかなる分野でも不可欠の技術になっており、「潰しが効く」と言い換えても良い。私も電気屋ですが、最近では電気/電子工学の本筋からは離れて、地震に伴う電磁気現象(地震予知)、乳がんセンサーの開発、その他の事に従事している。これも「電気工学は潰しが効く」事を最大限活用していることの証しです。


●第39回 2013年10月14日
「英国人の紅茶好き!」

渋谷、恵比寿界隈が私たち夫婦のお散歩コースである。
途中入る喫茶店ではほとんど紅茶を注文します。でも、満足できた時はほとんどありません。高級店へ行かないせいかな・・・
こんな時ふとイギリスの紅茶のことを思い出します。

すでにメルマガで述べた様に、1975~1976年の1年間英国シェフィールド大学に滞在して共同研究を行いました。
滞在当初には必ず誰かが私の部屋へお誘いに来てくれました。午前11時前後、また午前3時前後のティータイムです。
色々とおしゃべりするのです。
そこで出て来るティーはそれほど高価なものとは思われない茶葉をやかんでぐつぐつと煮詰めたものなのですが、これが予想以上においしかったのを覚えています。
勿論、ミルクも入れます。ミルクティーです。
茶葉の色もさることながら、イギリスの水は硬水でもあり、紅茶とはいえ日本の紅茶のように澄んだ紅い色にはならず、真っ黒でブラックティーと呼ばれることが納得されます。
大学でのティーの美味は英国という雰囲気が味付にでもなっているのでしょうか。

イギリスは紅茶の発祥地でもなければ、紅茶の主要生産地でもない。
それでもイギリスが「紅茶の国」と呼ばれるようになったのは、イギリス人がアフタヌーンティーをはじめとする華麗な紅茶“文化”を築いたためです。
「ティータイムの合間に仕事をする」という冗談も囁かれるほど、英国人はティー好きです。
私もなるべく英国の文化に馴染もうとティータイムにはできるだけ参加しようと努力しましたが、滞在期間の後半には断念せざるを得ませんでした。
1年という短期間にそれなりに仕事をまとめ上げなければなりませんでしたので。

もう一つ特徴的な英国ティーが「ハイティー」だと言えます。
ある日、私たちは初めて大家さんのローリンさん御夫妻の御宅でのハイティーにご招待を受けました。
御宅の裏には長く伸びるお庭があり、そこでハイティーを楽しみました。
軽い夕食をともなっているもので、サンドイッチ、スコーン、ペストリー(菓子類)が供され、この順番にていただくのです。
なんと、三段重ねのティースタンドにてです。とても優雅な時間でした。


●第40回 2013年10月21日
「昔謎だった空電が、30年後に大きな話題に」

今夏は猛暑のため雷や竜巻など多くの災害が発生しました。
そこで、これから数回、雷に関することを書きます。

先ず、雷研究はフランクリン以来多年が経っていますが、私の印象では学問の進展は極めて遅いように感じます。
複雑な現象があるにもかかわらず、総合的な観測が行われて来なかった事が最大の理由だと思います。同じような事は地震予知学にも言えますが。。。
しかし、ここ10年で雷物理解明のため各種の複合観測が各国にて実施され、雷は全く新しい展開をみせています。
A4サイズ1枚程度では書けないので、詳細は別の機会に譲るとして、その一端だけを記します。

空電とは雷から発生する電波の総称であることは以前に述べました。
放射電波エネルギーの主たる周波数成分により、
(1)VLF(~10kHz)空電、
(2)ELF(<1kHz)空電
などと分類します。

ここでは、ELF空電を取り上げます。
ELF空電は主として2つのものがあります。

1つ目は赤道域を中心に世界中で1秒間に何百個という雷が発生し、この雷からのELF空電は地球を何周も難なく伝搬し、8Hz、14Hz、20Hz等にて連続して長く共振します。これがシューマン共振です。
もう1つは、微弱なシューマン共振に対して継続時間は短いですが、強度がシューマン共振の10倍以上強力なELF空電です。勿論、その頻度は極めて低いのですが。

実は1960年代、日本の研究者小川俊雄先生(当時京都大学)が後者のELF空電を発見し、Q-バーストと名付けました。
日本、米国、仏国にて同時観測がなされましたが、それ以上の学問的進展はなく、謎のまま誰も見向きもしませんでした。
それが1990年代に入り新展開をみせたのです。

米国研究者が高感度の映像撮影のテストをしていた時のことです。
上空での放電(雷)[スプライト(妖精)という]を初めてイメージとして発見しました。
その後。この上空放電があるときには巨大なELF空電を伴うことをMIT(マサチューセッツ工科大学)のウィリアムズ博士らのグループが突き止めたのです。
このスプライト現象は雷の新しい展開であり、大気圏の雷が上層大気(中間圏や電離層)にて引き起こす現象であることから、大気電気学だけでなく、スペース物理学の研究者の興味をも大々的に刺激しました。
小川先生のQ-バーストの意義が30年の時を経てやっと明らかになったのです。
これは学問の醍醐味では!

現在も世界の多くの研究者がこのスプライトとその関連現象の解明に躍起になっています。
私たちはこの現象に関しては後追いで2000年前後からの参加です。
しかし、日本の北陸地方でのユニークな特性で知られる冬期雷でもスプライトが発生しているのです。
しかも、米国の大陸性スプライトとは著しく異なる形状と特性を示すことを発見し、スプライトの現象解明において重要な鍵を握ることもわかっています。
更には、計算機シミュレーションにより、源となる雷のある特性(連続電流)がスプライトの発生には重要であることも見い出しています。


●第41回 2013年10月28日
「地球温暖化を電波でモニタできる」

前回に続いて、ELF空電のお話です。
地球温暖化が叫ばれてすでに久しいのですが、この地球温暖化を電波によって監視しようというものです。

地球温暖化は本来100年で0.5°前後の変化だと考えられていましたが、最近の報告等ではどうもこの数値の数倍以上のスピードで進んでいるようです。
地表面温度のモニターは地上での気象観測か人工衛星からの監視によるものになります。衛星観測は正確ではあるが、お金もかかり、また衛星寿命が数年などの制約があります。
そこで、私たちが提案しているのが、前回書いたELFシューマン共振現象の活用なのです。
シューマン共振の源は主として赤道域の雷です。
即ち、雷活動域はアフリカ、東南アジアそして米国(北米、南米)になります。

米国MITのウィリアムス博士らの統計によると、赤道域では地表面温度が1°上昇すると、雷発生数は約1ケタ(10倍)、2°上昇すると2ケタ(100倍)上昇するという。
すこぶる非線形な変化であり、1°の10分の1(即ち、0.1°)の変化でも雷頻度には有意な変化となって現われることが期待される。
すると、雷頻度に比例して、シューマン共振強度も増加する。
これが基本的考えです。

1992年ロシア・サンクトペテルブルグ大学において国際大気電気学会が開催され、私とウィリアムズ博士とウクライナのニコラエンコ博士が顔を合わせました。
食事をしながら、私は次の様な提案をしたのです。
シューマン共振の国際共同観測を始めようと。
米国セクターはMITの担当、アジアセクターは電通大担当、欧州はウクライナ担当にて。
この合意に基づき、ELF空電の観測が世界的に再スタートを切ったのです。
実際、日本では1996年頃より、米国、欧州もほぼ同時期にスタートし、現在に至っています。
実はシューマン共振の国際観測は1960年に一度始まりました。しかしその後、学問的意義が認められず、1970年半ばに自然消滅していったのです。
現在では、前回も書いた様にスプライト(上空放電)との関連から、世界中のいろいろな国にてELF空電の観測が花盛りになっています。
大変嬉しい限りです。

この鮮烈な2例から、すでに終息したと考えられる現象も、全く新しい考え方によって素晴しく再生することがよくあることだと言えます。
これは若い研究者への一つの提言でもあります。
人の後追いばかりせず、別の視点を持って物事を見ては如何?


●第42回 2013年11月04日
「学術研究も統計で評価」

統計学がブームを巻き起こしていますが、学術研究の分野でも“統計”が流行っています。

例えば、新聞、雑誌等においてノーベル賞候補者の論文の引用回数が話題になっています。理由は、大学では業績評価において権威ある雑誌への論文掲載が高い評価を受けるのです。

数年前、千葉幕張で「日本地球科学学会」という大会がありました。この様な大きな学会では多くの出版社が展示・ブースを出しています。
そこを歩いていた時、あるブースより興奮気味の大きな声で呼び止められました。テラパブの押田社長です。私が何冊もの著書や編書にてお世話になっている出版社です。

彼曰く。「私が2000年~2010年の10年間で、地震(earthquakes)分野における論文執筆数が世界TOP1となっていますよ。」との事。
会社に戻ってから調べました。
調査機関は「トムソン・ロイター(Thomson Reuter)社」という有名な所です。
トムソン・ロイター社は調査する際、地震がキーワードとなっている論文を検索します。それは、世界的に権威ある(後述するインパクト・ファクタ(IF)の高い)雑誌だけを選別しての統計でしょう。

統計は、(1)執筆論文数、(2)引用回数、(3)引用回数/論文(1論文当たりの引用回数)についての世界のTOP20が示されていました。
私は(1)の執筆論文でTOP1となっており、107編でした。二位は70編でした。誇らしい限りです。

私は皆様も御存じの様に、地震学ではなく、地震予知学に従事しています。
これは、この10年私と故モルチャノフさんが中心となって国内外の研究者との共同研究を行ってきた成果です。
ある意味において地震予知学の成熟度を示していると言っても良いでしょう。

更に、(2)、(3) の項目については勿論TOP1ではなかったが、マイナーな地震予知学の割には悪くはなかったことも誇らしい。
10年間で107編となっていることから年、平均約10編となるが、実際にはこの数字の数倍は書いているはずなので、トムソン・ロイター社のデータベースに載っている雑誌は厳選されたIFの高い雑誌だけなのでしょう。

IFの定義を紹介しよう。
統計には3年分のデータを用います。
例えば、2013年のある雑誌のIFを計算するには、前2年間(2011、2012年)のデータを用いて、先ず2011、2012年に掲載された論文が、2013年に引用された延べ回数を計算し、この値を前の値にて割ったものがIFとなります。
すなわち2011、2012年の論文が分母、2013年に引用された述べ回数が分子となる訳です。例えば、米国地球物理学会誌(JGR)のIFは約3.5前後と高い数値を示します。

こればあくまで「学術雑誌」の評価指標にすぎませんが、最近では多くの大学においてIFを考慮した業績評価が人事の選考過程にて重視される傾向があります。
小生はすでに停年退官しているので業績評価などには無縁な立場となっているので、新しく発行された雑誌を応援したり、掲載料が安く、短期間で出版してくれる雑誌に近年は投稿しています。


●第43回 2013年11月11日
「サンクトペテルブルグ大学と電気通信大学」

どこの大学も外国の良い大学との姉妹大学連携を結ぼうと躍起になって模索しています。これは大学の格を高めるためのものです。
今日は私が定年退官するまで続いていたサンクトペテルブルグ大学(ロシア)と電気通信大学との姉妹大学のいきさつについて述べよう。

サンクトペテルブルグ市はピョートル大帝による建都以来、ロシア最大の文化・芸術都市として発展しています。エルミタージュ博物館、マリンスキー劇場などが懐かしく思い出されます。同市に存在するサンクトペテルブルグ大学
はロシア最古の大学で、250年以上の歴史を持つロシア最高の学府として知られています。すぐ思い浮かぶだけでも、周期律で有名なメンデレーエフ、物理学のランダウ等ノーベル賞受賞者を何人も輩出している大学です。我々の分野
の電波関係で忘れてはならないのがポポフです。1895年ポポフは自分の雷研究を生かし、無線器にアンテナを付け、世界最初の無線通信の公開実験に成功しました。更に、現大統領プーチン、また私の亡き盟友モルチャノフさんも同大学の出身者です。

私とサンクトペテルブルグ大学との関係はかなり古い。同大学の副学長だったトロイアン先生とは10年以上共同研究を行ってきました。共同研究の最初のきっかけはよく覚えていませんが、実に多くの成果を挙げることが出来ました。

一、二紹介しましょう。同グループのナターシャ・スミルノバ博士とともに高度な信号処理(フラクタル解析という)を開発し、世界ではじめてグアム地震の際のULF電波放射に適用し、このフラクタル解析が前兆検出の有力な手法であることを発見しました。
更には、トロイアン先生とは、地震波や電波を用いた地下探査(逆変換を用いた)の本も出版し、この本は今もよく売れているとの事です。

15年程前の事ですが、トロイアン先生から大学間締結をしたいとのお申し出を受けました。私はその時直ちに御辞退しました。
なぜなら、残念ながら両大学の格があまりにも違うためです。それでも、トロイアン先生はこれだけ有意義な共同研究が進展しており、是非ともとの事でした。
そして更に、少なくとも私の在職中だけでも姉妹大学としてはとの提案があり受諾した次第です。もとより、大学は大歓迎であり、姉妹大学締結後1年後サンクトペテルブルグ大学ベルビツカヤ学長(女性)が来日され、友好を深めました。
この大学間締結により、私の研究室の大学院生(大変優秀な女子学生、後藤薫君)は1年間同グループにて預かっていただきました。そして、最初の提案通り、私の停年退官に伴い、この締結は終了しました。しかし、同グループとの共同研究は依然として継続しており、数ヶ月前にはフラクタル手法を用いた地震予知前兆に関する論文も発表した所です。

やはり、大学間姉妹大学という組織と組織との関係でも、個人と個人との結び付きが重要な役割を果たすものですね。この事はどこの分野でも同じではないかと思います。

●第44回 2013年11月18日
「サンクトペテルブルグでのコンサート」

前回ロシア・サンクトペテルブルグについて記したので、その追記としてもう一度同市のエピソードを書いてみましょう。

サンクトペテルブルグが芸術・文化の都であることは皆様も御承知の事でしょう。芸術・文化のコンサートについて典型的な1例を紹介しましょう。

同市にはかなりの回数訪れていますが、ある日以前のメルマガで紹介したピッコロバイオリン奏者のセドフさんが、世界的に有名なマリンスキー劇場のレニングラード交響楽団によるクラシックコンサートに招待してくれました。セドフさんがその交響同楽団において指導的役割を果たされていたことによるご縁です。
何んと、その日は、人気、実力においてかの小沢征爾を凌ぐ勢いのヴァレリー・ゲルギエフ氏の指揮でありました。
演奏後、楽屋ではゲルギエフさんと握手までしていただく栄誉に浴した次第です。
演目はチャイコフスキなど何んともすばらしい演奏でありました。
同氏は世界各国の演奏活動で得た資金をロシアの若手音楽家の支援に使っているとの事でした。

このコンサートで最も印象的であったことはコンサート会場の雰囲気でした。
日本での堅苦しい雰囲気とは全く対照的なものでした。
いつも感じることですが、東京のコンサート会場では誰も咳もできないほど皆息をひそめ、押し殺しています。風邪気味の時には、我慢すればするほど咳が出るものですが・・・。
反して、ロシアのコンサート会場では多くの人が全く自由でリラックスしているのです。世界的指揮者の演奏なのに日本では信じられないほど、普通に咳などの雑音が出ています。

とはいえ、聴衆が本当に全身で音楽を楽しんでいるのが高揚感とともに伝わってきたことを覚えています。
芸術のメッカで音楽(芸術)と民衆との親密な関係の一端を垣間見ることができました。
勿論、皆さん着飾ってこられていることは世界中同様のようです。


●第45回 2013年11月25日
「地震予知学会設立の提案」

先週末、地震予知学に関係する皆様に「地震予知学会」の設立という提案を致しました。今日すでにかなりの方々からの賛同の反応が届いています。

我々の地震予知学もここ20年にて著しく発展し、新しい展開を示しています。
各種前兆現象のうち複数の項目(例えば、電離層擾乱、地電流)に関しては、永年の連続観測データに基づいて、地震との因果関係が確立しています。
それに伴い、私たちはVLF/LF伝搬異常を用いた地震予測情報の配信というベンチャー企業(地震解析ラボ)を設立しました。その後予測情報を配信する企業が複数登場し、大変望ましい方向だと思います。

地震予測情報の配信などは本来大学の仕事ではなく、企業の仕事として位置付けるのが適切だと私は考えます。そこで、地震予知学の過去20年間の実績を踏まえ、地震の短期予知を真正面に据えた学会、地震予知という名前を冠した学会を設立しても、もうよい時期ではないかと考えます。
ここ数年考えた末での提案です。

実は1995年の神戸地震の後にもこの種の学会を作ろうという話を上田先生とした事があります。しかし、特に我々の地震前兆現象の結果を発表することには大きな困難を伴うことから、自身の学術誌を持つことより、ここ10年程度は一般の雑誌(JGR、GRLなど米国地球物理学会雑誌)に投稿し、きびしい審査を覚悟して通る様に皆で努力しようという事になったのを記憶しています。


●第46回 2013年12月09日
「東のMITと西のスタンフォード大学」

アメリカの大学について一言。
私はそれほどアメリカの大学についての知識はないが、私の知る範囲や肌で感じた事を述べる。
東の雄MIT(マサチューセッツ工科大学)と西の雄スタンフォード大学について。
ともに永らく共同研究をしている仲間がいるため、身近に感じている大学だ。

MITは「地球温暖化とELF電波」というテーマで共同研究を行っているアール・ウィリアムズ博士が在職していることから、数度ボストンの同大学を訪れている。
大学が塀で囲われていないので、どこから大学で、どこから大学でないか良くわからない大学だ。対照的なのは、同市にあるハーバード大学。ここは大学だと言わんばかりの門構えである。
MITはもともと技術大学として設立され、1865年にMITと改称し、世界的な大学に成長した私立大学だ。ウィリアムズ博士は気象学にて最も優秀な学者だと信ずるが、研究専任の教員である。

一時日本でも、教員を(1)教育系と(2)研究系に分けてはとの議論があったが、私はあまり賛成ではなかった。
長所もあると思うが、やはり研究の最前線でのいろいろな興味ある話を教育の場でも学生に伝えることが重要だと思うからだ。
ウィリアムズ博士の先生はTedd Maddenといい、1960-70年代ELFシューマン共振などにて良い仕事をされた方で、ウィリアムズ先生はそのMITの流れを引き継いでいる。
MITの伝統は「知識は重要だが、有用でなければならない」であるが、基礎研究の重要性も十二分に理解している大学だ。工科系大学は見習うべき所が多い。

一方、西の雄スタンフォード大学は鉄道事業で財をなしたリーランド・スタンフォードが設立した私立大学である。キャンパスの広さは全米屈指で、正面に向かって右半分が理系、左半分が文系の学部となっている。
回廊を伴ったキャンパスは一度は訪れる価値のある極めて大学らしい大学だ。大変落ち着く雰囲気だ。さすがスタンフォードだ。
1980年代初めて訪れた時の大学のパンフレットには、同大学は世界的に有名な教授だけを集めていると説明されていた。また驚いたのは授業料が年間400~500万円と大変高額なことだった。
すこぶる高いが、多くの学生は奨学金をもらっているとの事だった。

スペースの研究をしていた時だったが、パンフレットに謳われているとおりヘリウェル先生(昨年亡くなられた)、カーペンター先生、イナン博士など世界的業績を挙げられている錚々たる布陣だった。
また、地震電磁気(地震予知学)の分野でも、フレーザ・スミス先生は1989年のロマ・プリエタ地震(Loma Prieta earthquake)の際に初めて前兆的ULF電磁放射を発見されていることで知られている。
ヘリウェルグループメンバーと雰囲気の良いFaculty canteenにて会食したのが懐かしい思い出である。
しかし、数年前ヘリウェル先生の後継者イナン教授も退官され、スペースに続く新しい研究を始めていなかったようで、その後有望な後継者は見当たらず、二代にわたってあれだけ栄えた世界有数のチームも消滅する状況となっている。
厳しい現実だが、学問にも新鮮さは強く求められ、必要なことなのである。


●第47回 2013年12月02日
「東京は外国のようだ!」

私は1991年に東京へ移ってきました。大いなる田舎の名古屋から恐ろしいとさえ感じた大都会東京へ移り住み、すでに東京生活も約20年が経ちました。
そこで東京という街の特長を第3者的に総括してみようと思います。

特長は三つにまとめられよう。
(1)情報の豊かさ、(2)個人の強烈な自己主張、(3)地震の多さだ。
順次書こう。

第一の点に関しては、皆様も充分理解されていると思いますが、具体的に記しましょう。
私が名大空電研究所にて10年間で受け入れた外国人研究者の数と東京(調布:電通大)において1年間にて来訪された外国人の人数がほぼ等しかったのです。
言いかえると、東京は名古屋に比べて約10倍の情報量だと言えるのではないでしょうか。これが東京の最大の強みです。
インターネットが発達した現在でも同様だと思います。情報は人と人とのface-to-faceのコミュニケーションから得られるものだからです。

第二の項目について。
名古屋から東京へ移った当初、この印象を強烈に受けたのを記憶しています。
自分の業績などを滔々(とうとう)と述べられる方が実に多く、大変戸惑ったものです。
外国では様々な国から人が集まり、いろいろな人種がいたりするので、自分の生い立ちや実績を述べないと自分を主張できないのですが、東京も外国並みなのでしょうか。
最近は少々この感は薄れてはいるものの、当時はあたかも東京は外国へ来ている様な気分でした。

第三の点に関して。
名古屋、豊橋・豊川時代にはほとんど地震というものを意識することはありませんでした。
しかし、東京へ赴任した直後、東京において「ドーン」という衝撃を受けたのです。かなりの大きさの地震でした。
その後も、地震を敏感に感じる日々が続き、東京直下地震や東海地震も心配される状況を目の当りにしてきました。
これも私が地震予知学に傾いた原因の一つとなっています。


●第48回 2013年12月16日
「credit(クレジット)とは」

最近皆様も「credit(クレジット)」という言葉をよく耳にされると思います。
クレジット・カードのクレジットです。
クレジットを英和辞書で引くと、信用・信頼などの訳語が出てくる。
まさしく、クレジット・カードは現金で払うことなく、その人を信用してキャッシュレスにて決済することだ。

さて、学問の世界でも最近このcreditという言葉が頻繁に登場しているが、中々わかりにくい。
例を示しましょう。

他人のデータを使用して論文を書いた時には、共著にするなり、そうでなければそのデータが誰のものであるかを明記、更に謝辞を示すことが必要です。
また、他人の発表論文での図を使わせてもらう時には、著作権の関係から許可を得るとともに、謝辞を述べること。これがcreditの重要なことなのです。

また、最近ではいろいろな雑誌の査読項目のなかに、「Do they give proper credit to previous (or related) works?」という問いが設定されている。
昔の人の仕事や関連論文を適切に引用しているか(creditを大切にしているか)という質問だ。

最近の若い人の論文には、ほとんど自分の論文だけを引用し、あたかも自分が最初に行った仕事かと誤解させるものが結構ある。
これには二つの場合が考えられる。

一つは、本当に過去の仕事、即ち先人の仕事を知らないもの(これ自体大変失敬なことだが)。また、探究心に欠け、視野を広く勉強していないことに起因するもの。
例えば、アメリカ人は自国の雑誌がすべてだと信じており、米国誌(JGR、GRL)にしか投稿しないし、またこれらの雑誌しか読まないという傾向がある。
従って、他国(例えば日本)で行われている先進的で興味深い論文を知らないことが多々ある。

もう一つの場合は、引用すべき論文を知っていながら、引用しないケースだ。これは意図的な無視であり、すこぶる悪質だ。
このため、グループ間で永らくいがみ合ったという例も知っている。

結論として、若い研究者には”credit、credit”という前に、先人たちの初期の論文を是非とも読んでいただきたい。
昔の人は深く掘りさげて考えており、今読んでも将来考えるべき問題が提起されている可能性がある。
先人の仕事への尊敬こそが真のcreditではないでしょうか!


●第49回 2013年12月23日
「インドの思い出」前編

最近の心暖まるニュースは、天皇、皇后両陛下が53年振りにインドを訪問され、日印両国の友好に多大の貢献をされたことではないでしょうか。
そこで、今回はインドについて記す。

先ず、インドを訪れた人の印象は2つに大別されると思う。一つは大好きになる人。もう一つは、もう二度と行きたくなくなる人だ。

私は前者で、インドは大好きな国だ。なにか神秘的な国で、私のように汚染された者がインドに入国すると“purify”される感じだ。
滞在中には「人生とは!」「どう生きるか」など考えさせられる。勿論、東京へ戻ると、またたちまち汚染されるのだが。
多くのエピソードがあるが、紙面の都合上数個だけ記す。

先ず、私の最も古い友人、ビルバル・シン先生について述べることから始める。
シン先生は数十年前は私と同様にスペースの研究、とりわけホイスラ(ホイスラについては以前にメルマガにて述べた)の研究を行っており、低緯度のホイスラが高緯度のものとは重要な点において異なることを世界に示してきた。

もう10年以上前の事だ。私の勧めで、インドにおいて初めて地震電磁気現象の研究がアグラ大学にて開始された。
アグラ大学は多くの国際的貢献をし実績をあげてきたことにより、その後多くの大学・研究グループがインド国内にてこの分野へ参入していることなどその功績は著しい。

そのため、アグラ大学には地震電磁気研究センターが設立され、その開所式には私も招待され、センターのプレートには早川の名前も刻まれている。更に、当時のA.カラム大統領が同センターを訪ね、激励を受けたと聞いている。
同大統領は工学博士を持っており、それだけにアグラグループの仕事を充分に理解され、インドの重要テーマとして位置付けるべきと考えたのであろう。

もう一つは、私が2010年のS.N.Bose Memorial Lectureを行うという栄誉に浴した事だ。


●第50回
「インドの思い出」後編

2010年初頭インド(カルカタ)のチャクラバーティ教授より再三にわたって彼 が企画する国際会議への参加依頼を受けた。 しかし、地震解析ラボを立ち上げた時期にて多忙をきわめており、会議の意義 などがよほど明確でなければ辞退したいと伝えていた。

ところが早川の出席なしにはこの会議は成立しないとまで言われ、重い腰を上 げて御招待をお受けすることになった。この会議はVLF/LF送信局電波を駆使し たあらゆるテーマを取り扱うもので、しかもその半分は地震に関する会議であ り、早川を記念する為のものだとの事。大変光栄な、そして嬉しい限りであっ た。

その会議で、インドおよび南米でも日本同様のVLFネットワークが構築されつ つあることを知ったのだ。私もチャクラバーティ先生も会議・発表に対して積 極的に質問するタイプで、すこぶるおもしろい会議であった。 チャクラバーティ教授は当時50才前後で、世界的にも極めて優秀な先生である。 インドの将来は明るい。

更に、この会議終了後、S.N.Bose Memorial Lectureが私には予定されていた。 これが私の出張の主たる目的だったのだ。

S.N.BoseはBose-Einstein統計で知られる世界的な物理学者で、カルカタの出 身である。Boseを冠した講演会を毎年著名な学者を1人招聘して行うというこ とであった。ノーベル賞受賞者も含まれているそうだ。

私は20回目の記念すべき講演者となった。カルカタ市内のRabindra Okakura Bhavan Auditoriumという大ホールにて、町の名士約200人が集まった。岡倉天 心とインドの詩人タゴールの名を冠したホールで、日本からの援助もあるそう だ。
このMemorial Lectureは学術講演会という意味合いに加え、町の名士たち恒例 の社交の集いであり、各分野の人々が集まり、講演後は隣の広場において飲食 するのだ。小生の所にも多くの人が来て盛んに議論をした。 また、顔見知り同士の親睦をもはかられていた。
小生が電磁気現象を用いた地震予知の可能性を講演し、好評を得たと翌日の新 聞には出ていたとの事(私はビンズー語は読めません)日印の友好に一役買え たと信ずる。


●第51回
「本を出すこと」

新年明けましておめでとうございます。
本年が皆様にとりまして良い一年であります様お祈りします。
2014年の第1回のメルマガでは本の出版について取り上げます。

私は二つの大学においてかなりの数の先生の名誉教授への推薦状を書いた経験 がある。推薦状では先ず経歴、学術業績を記し、続いて(1)著書、編書、 (2)論文などのリストをつけるのが通例だ。
基本的には学術業績が著しく、大学への貢献が著しいというのが条件ですが、 まあ簡単に言えば永らく勤められることかもしれません。
私がまだ若い時、ある教授の定年退官に伴う名誉教授への推薦の際、事務屋の トップから、「この先生は本の一冊もないの?」という問いを受けた。この問 は私には唐突なものでした。
この事務屋さんが本を出版することの真の意味をよく理解していたかどうか はわかりませんが。

昨年(2013年)当初、年内に4冊の本(すべて英文)を出す約束だったのです が、現状2冊はすでに出版されているものの、もう2冊は少々遅れて本年にずれ 込んでいる。一冊目(テラパブ)は編書で、それほどの負担ではなかった。 編書とはEditorとして本の主旨を明確にした企画書を書き、世界レベルの 著書に執筆を依頼する。勿論、多くの著者は概して多忙なため、必ず期限に 間に合わない人が出てくるなどの人的要因な問題はあります。しかし、著者 たちの論文を最初に読めるのはEditorのこの上ない役得だ。大いなる勉強に なります。

二冊目はウクライナのニコラエンコ先生との共著の本で、ELF帯のシューマン 共振現象に関するものです。
2002年にシューマン論文(1952年)発表50年を記念して同様に共著で出版した 本に比べて、著しく充実しているといえます。
出版社は世界最大の出版社スプリンガ社(ドイツ)で、昨年11月にはプリント 本が小生の所にも届いた。
充分な満足感がある。編書に比して、著書は100倍以上大変だ。本を書くには、 その分野の昔から今に至るまでの事をほぼ完全に理解している事が要求され るからだ。

クレジットの時にも述べた様に、著者の趣味や偏見はあるにせよ、重要な論文 はすべて引用することが不可欠だ。
更には、著者たちの重要な貢献も含めなければならない。この作業は膨大で、 結局私たちの場合でも1年以上の準備は不可避だった。本の執筆という仕事は 論文数に変換すると100編以上に相当するのではと思っている。
以上の事を考えると、前に述べた事務屋さんの問いも今となっては理解できる。
名誉教授推薦には「本の一冊」は必要なことではないだろうか。

私は本年も仕事と並行して本の執筆にも忙しい一年となろう。
今書いているのはJohn Wiley社(米国)からの依頼による「電波技術を用いた 地震予知」である。乞う御期待だ。


●第52回
「動物異常行動は地震も関係があるようだ」

昨年、動物(Animals)という国際誌が「地震と動物異常行動」というタイトル で特集号を企画した。そして、Guest Editorsの数人の一人が、私たちの仲間 のNASAのFreund教授であった。その際、同先生より私に何か投稿してくれない かとのお誘いをいただいた。

そこで急遽、過去の動物異常に関する統計を調べることにした。いろいろ読ん だが、故力武常次先生の本がすこぶるよくまとめられており参考になった。

参考とした主な内容は、動物異常を三つのパラメータ(1)前兆と地震との時間 (lead time, T)、(2)地震のマグニチュード(M)と (3)震央距離(D)を用いて、 (i)動物異常データのMとDとの関係、(ii)異常データとTとMとの関係、 (iii)異常のTの頻度分布等を描いているものです。
(力武常次著、「予知と前兆」近未来社、1998年)

私は地震に伴う電磁気現象(直流からVHFまで、電離圏や大気圏現象まで)に関 する情報は十二分持っているので、動物異常の上の三つの関係を念頭におい て、直流地震流、ULF電磁放射、ELF電磁放射、VLF電磁放射、VHF電磁放射、 電離層擾乱などすべての現象について再調査してみた。

その結果、極めて興味深い発見がありました。ULF電磁放射とELF電磁放射、 即ち低周波の電磁放射は特に、Tの頻度分布にて動物異常とほぼ一致している のだ。即ち一週間前に一度目の頻度ピークがあり、一日以内に第二の発生ピ ークがあるのです。動物たちは一週間前後前に異常な振る舞いをし、更に一日 以内~数時間前にまた振る舞いが異常を示すのです。微弱電波ではあるが、 継続時間が長いので、それなりの効果があるのではと考えられる。

私がこの時執筆した論文は Animals, vol.3, p.19-32, 2013に出ています。
ご興味のある方は一度読んで下さい。色々な人からすぐに反応があり、驚い
特に、宏観現象の動物異常に関する大家である H. Tributsch 先生からも、 おもしろいとのメールが直接届きました。


●第53回
「目に見えない自然界の汚染!」

最新の新聞などの話題の一つが、健康被害が大いに懸念されるPM2.5ではない でしょうか。PMとはparticulate matterの略で、粒子径が2.5マイクロメータ 以下の微小粒子のことです。中国で問題となっているPM2.5は、どうも中国の 工業化が著しい速度で進み、石油・石炭の燃焼により発生する汚染物質が 大気中に放出されることが原因のようです。これが風に乗って日本へ到達 するのが心配されています。この種の大気汚染はスモッグとして皆様も知ら れ、目にみえるため容易に認識することが出来ます。

これに対して、色々な産業を支える基盤である電気、電力の消費による自然 界の汚染は目に見えないため、中々わかりにくいものです。実は、この電力 消費による汚染は種々あるのですが、典型的な一例だけを紹介する。

最近の異常気象(ゲリラ豪雨、大規模雷災害、など)はすべて二酸化炭素 (CO2)の排出に基づく地球温暖化が唯一の原因だと思われているが、異常な 積乱雲と豪雨、雷災害は電力消費の増加が要因とも考えられている。

水力、火力、原子力のいずれの発電でも、発電所の発電機で発生した電気 は、タービンの回転力から無駄なく電力を取り出すため、回転子に取付けら れた3つのコイルから3系統の電力を得る。この3系統の電力を3本の電線で 送電するのが三相三線方式という。送電システムの運用周波数は、ご存じの 通り50Hz(ないし60Hz)です。ちょっとむずかしい話で御免なさい。

この長距離送電線は実は、50Hz(ないし60Hz)の高調波(倍数の周波数)の 電磁波を空間へ放射する大きなアンテナとして作用することが、わかって きた。すると、この電波は上空の電離層/磁気圏へ侵入し、そこに存在する 高速(エネルギーの高い)電子と相互作用し、自然界に存在する高速電子を 下部電離界へ落下させる。この降下電子は、大気圏上部の電気特性も変化 させ、結果大気圏の雷活動を著しく増加させるという、英国シェフィールド 大学の私の恩師ブロウ先生の指摘がある。これは“人間活動による自然界の 汚染”とも言える。

過去50年を見ると、世界の電力消費量は10年毎に倍増していると言える。
電力消費がこれからも増大するとすれば、この電力消費に伴う異常気象も 大きく危惧される。異常気象は二酸化炭素(CO2)の排出による地球温暖化が 原因だけではないかも知れない。

日本は、将来の電力を如何に賄うか如何に節電するかなど、真剣に考える べき時期では!


●第54回
「電力送電に関わる更なる話題」

今回も、電力送電に関係する更なる話題をお話しする。

長距離送電の中性点電流は大地を帰路とした大きなループアンテナとなって いる。前回のメルマガでは、このループが送信アンテナとして機能している との話でした。今回は全く逆の作用の話です。

2000年代初め、関西電力のある技術者が、京都近辺の地震に対して、京都 付近の送電線の中性点電流データから地震前兆らしき現象があると報告し、 話題となった。これは、ギリシャのVAN法と本質的には同じことで、ただ異 なるのはVAN法では電界を測定しているのに対し、送電線の方は磁界を測る点 である。地下での何かの前兆的電磁気効果が大規模なループアンテナにて 受信できる可能性は十分に考えられる。受信アンテナとしての作用です。

現在、中部大学グループ、東京電力グループなどが、この指摘を検証すべ く、精力的な観測・研究を行っている。発送配電の位置はすでに決まって いるなどの制約はあるにせよ、その研究結果が大いに待たれる。

もう一つの話題は、高圧送電線の疫学的効果についてである。実は、1979年 送電線の近くに住む小児の白血病の発症率が高いという衝撃的疫学研究が発 表され、世界的な話題となった。その後、この仮説を検討する多くの疫学的 調査が開始され、現在も各国にていろいろな省庁や研究機関にて莫大な予算 と人材が投入されている。対象も人だけでなく生体全般に及んでいる。
更に、携帯電波の普及により、送電線によるELF帯だけでなく、高周波の 電磁波の影響も今日では研究対象となっている。

しかし、この種の研究は、我々の「地震電磁気現象」や「地震による動物 異常行動」の分野とすこぶる似た所がある。即ち、個体による差異が極めて 大きいため、多くの個体を対象とすることが不可欠です。続いて、一日、二日 の暴露実験では因果関係は得られず、10年単位の時間が必要なようです。

私も電気学会の「生体と電磁気」という調査専門委員会にも参加した経験が あるが、私の感じでは、因果関係について明確な結論はでていないようだ が、送電線によるELF磁界(電界でなくて)がどうも重要の様だ。ただ、 正の相関を示唆する論文が発表されている中、皆様は高圧送電線よりは 離れた所に住むに越したことはないのでは?

参考文献:早川正士著「地球環境とノイズの意外な関係 ~地震、大気、宇宙 の声をきく~ (知りたい!サイエンス)」技術評論社、2008年。


●第55回
「大学教育の今昔」(前編)

大学の教育について一言。

私が大学生だった50年前の思い出を辿ってみよう。授業はすこぶる不親切だ った。ある有名教授は黒板に向かって滔々と式を書くだけ。詳しい説明は ほとんどなし。こちらも負けずに書き写すだけ、しかしギブアプ。当時、 この類の授業が殆どだった。ただ、私の恩師金原先生の様に、教授の中には 人名を冠したアンテナの話の時には、その科学者の素顔などの話を熱心に される教授もいた。概して、多くの教授は不親切ではあったものの、極めて 強力な個性があり、何か伝わってくるものがあった、と感じた。

私は、大学院から名大空電研究所という研究所にて、大学院生、職員(助 手、講師、助教授)生活を過した。研究所の本分は“研究”であり、それほ ど多くない私たち院生は、学問だけでなく、色々な事を話した。楽しい時代 だったと懐かしい。

また、今思えば、よく勉強した。印象的な教科書はすり切れるほど読んだ。
Stix教授の「プラズマ波動」(英語)という本だ。1962年に出版された本 で、極めて難解であるものの、時は、その演習問題の答えが人工衛星の電波 観測にて次々と発見されるといった、まさに揺籃期から、そして成熟期と 重なっていた。実は、私も一つの問題を解いて国際誌に投稿しようとした ら、その月の同誌にその現象が発見され、その解答も解かれていた。 大学院生ごときが考えるくらいの事は、世界の大家はすでに考えているのだ と思い知らされた。

研究所の教官時代は各学年1名の院生だけで、十二分に目が届いた。毎日、 必ず研究の進捗状況の報告と議論を行った。この時の院生たちは現在、 学会、企業において指導的役割を果たしている。

ところが、1991年の電通大赴任に伴い、事態は一変した。


●第56回
「大学教育の今昔」(後編)

1991年、国立電気通信大学への赴任に伴い、事態は一変した。

“教育”だ。週に4~5コマの学部授業と数コマの大学院授業、更に研究室に おける学部生5~6人および院生(修士課程)各学年4~5人の指導と教育だ。
これは大変な事業である。授業には150~200人の学生を対象としたものも ある。電磁気学、電気回路、電波工学などむずかしいテーマを最大限やさし く説明したという自負はあるが、私の教育に対する結論はこうだ。「教育と は無駄なものと考えよ。1%の学生が反応したら大成功だ。」反応すると は、学生が面白いと思い、自分で勉強したいと自覚することだ。研究室での 指導教育についても同様のことが言える。当初はすべての学生を何とかしな くてはと、大いに悩んだ時期があったことは事実だ。しかし、ある時、 「すべては不可能だ。熱心な学生を更に伸ばそう。」と、割り切ってから すっきりした。更に、研究室には常時ドクター(博士)学生3~4人と外国人 研究者も多数在籍する様になり、彼らが下級生への指導にて大いなる力を 発揮してくれた。小生のかなりの業績は、これらの優秀な院生たちの貢献に よることは明らかだ。

定年後、最近の大学教育を見てみると、数年前の国立大学法人化、少子化等 も影響し、大学間競争は激化し、50年前と様相は激変している。学生も親御 さんも大学ではサービスを受ける者との認識か。この事から、セクハラ、 パワハラなどといった深刻な事態がいろいろな大学にて続発している。
どうもこれらのハラスメントは、特に大学と病院という組織にて多発してい る様だ。小さく細分化された組織で、人の流れが悪い所において起こり易い との事。いろいろな要因が考えられよう。大学教官は、短期的成果が評価の 対象となり、時間に追われている様だ。国は、目先の方向性のはっきりした 研究だけでなく、基礎的研究も重視し、年月をかけてじっくり仕事をさせる 体制を作らないと、革新的発見、発明など期待できないのではないだろうか。
また、教授も熱血(ハラスメントにならないという条件で)指導にて最大限 丁寧な教育指導を行い、学生との“信頼”関係を構築することが不可欠だと 思う。これが、ひいては学生の自覚を引き出すことになると信じている。


●第57回
「最近の若者の外国嫌い」

昨今新聞等で、「最近の日本の若者は外国へ行きたがらない傾向が強い」と 報じているのをよく見る。私も、この内向き志向を残念ながら日々感じてい る。しかし、サッカーの本田選手のように、イタリア移籍に伴う記者会見を 堂々と英語にて行う頼もしい若者がいるのも事実だ。スポーツ界が最も国際 化が進んでいるようだ。我々の時は、「怖いけど、行きたかった外国」だ った。

学問の世界は、本来スポーツ界と同じく国際的なはずなのだ。私の若い時に は、大学の教官(今で言う助教、准教授)は必ずどこかへ留学するもので、 40歳前後までに、その分野の大家と称する先生の所へ1-2年留学するのが 通例でした。

目的の一つ目は勉強のため、二つ目は箔をつけるためだ。一つ目の目的は、 当然の事ながら、外国の研究室では如何に研究を進めているのか、その雰囲 気はどうかなどを自分の目で確かめること。また、一緒に議論することによ り、次の有望な共同研究テーマが見いだされる事が多々ある。二つ目は言う までもない。帰国後の昇進のためだ。最近はこの種の若い研究者の外国留学 も少ないように思う。勿論、ここ20年程度の日本の経済状況の影響が少なか らずあり、夢を持てないことが原因かもしれない。

もう一つ原因が考えられる。私たちの若い時代には論文一つ探して入手する のに、著しく長い時間を要した。今のように、インターネットにて一瞬では 得られないのだ。そのため、一つの論文をものすごく大事に読んだ。

私の名大空電研究所の頃のエピソードを紹介しよう。スペース研究の大先生 であるストーレイ先生(ホイスラの発見者、以前のメルマガでもすでに書い た(※))を豊川へご招待した時の事だ。研究室の長谷川君という優秀な院生 は、先生と握手する時に手が震えたと明かしたのだ。物怖じしない同君にと っても想像できないほどの興奮だったのでしょう。私たちの時代には、大先 生の論文は読んでいても、直接お会いするなど容易には出来ない時代だった のです。この種の純粋な感激は、研究の大きな原動力になるものと信ずるも のです。これは今でも同じだと思うが。ところが最近では、突然私の所に多 くの若い外国人から直接電子メールで色々と依頼が来るのだ。全く面識もな いのにです。インターネットの登場により、距離と時間の感覚が著しく狂っ ているのではないかと思う。勿論、インターネットの多くの利点を否定する ものではありません。ただその後、まったく経過報告も結果報告もないこと が多々あります。

私は故金原先生より、論文に関わって頂いた先生には、完成した論文の別刷 は丁重な手紙をつけて送るようにとの御助言を頂いてきました。50年前の 御助言です。私は今なおそれを実践しています。皆様どう思われますか。

(※)ストーレイ先生: EALpress Vol.25 2013年3月25日発行。
また Vol.23 2013年3月11日発行, Vol.42 2013年7月22日発行, Vol.47 2013年8月26日発行にても言及。


●第58回
「奥様外交恐るべし」

現役時代には、様々な役職のため多くの外国出張をしていた。最盛期は、 月に少なくとも1回の頻度であった。普段行けない様な面白い土地での 国際会議には、家内も同伴するのですが、今回はその時の一つのエピソード を紹介する。

正確な年号は覚えていないが、多分1980年代半ば。中国北京での 「電波伝搬」に関する国際会議だったと思う。この時代には同伴者用の Ladies Program があり、主催者側もより多くの参加者を勧誘するため充実 したプログラムを提供するのが常だった。北京には名所旧跡も多く、 市内観光、万里の長城へのツアー、夜の舞台など、盛りだくさんだ。ただ、 中国の国際会議が他の会議と一つ異なることがある。それは昼食で、同伴者 は観光の途中でも一度会場へ戻り、会議参加者と一緒にとることだった。

ここで初日の昼食時の大ハプニング。私の女房が外国人女性と一緒に戻って おり、お互いの旦那さんも一緒に昼食することになったのです。女性陣は すでに“Noriko”“Joice”と呼び合う仲で、観光中にすこぶる気が合った との事。ジョイスさんが、「うちのKenです」とご主人を紹介されました。
実は、この Kenneth Davies さんは、電離層研究で世界的に有名な米国人教 授だったのです。私は、興奮のあまり、「例の本 (「Ionosperic Radio」 と いう名著) の著者の先生ですか。」また、思わず「その第1版には本人の顔写 真が出ていましたが、全く別人の様ですね。」という失礼な問いまでしてし まいました。ジョイスさんは笑いながら、「人は年を取るものよ」と一言。

その後、手紙にていろいろな事をお聞きしましたが、ご丁寧な返事をいただ き、更にはご激励もいただいた。多分第1版を執筆された時は、40歳前後で はなかったかと思う。実力教授のポテンシャルの高さに驚くほどだ。また、 御夫妻ともに、すこぶるざっくばらんなお人柄で、これにも感じ入った次第 です。

我々が東京へ移住する1991年の数年前の事だったと思いますが、御夫妻にて 来日されるとの事。私たちの豊橋の自宅へお泊り下さいとお誘いしたら、 是非とも御邪魔したいとのお返事をいただき、女房の手作り料理にておもて なしをし、大変楽しい一日を過ごしたのが懐かしく浮かんできます。

更に、その後も文通は続き、御夫妻は定年退官された後もドイツなどへ研究 旅行などされていた様でした。停年後は夫婦二人で過ごすので、なるべく物 を処分し、住いも狭い所で充分だとも言われていました。異色な尊敬できる 御二人です。


●第59回
「アメリカ怖い」

前回のアメリカの大先生、Ken Davies 先生に続いてアメリカについての 話です。

私の小学生時代は劣等生。中学校では少々ましにあったとは言え、あまり 出来がいいとは言えない生徒だった。親も心配して、家庭教師など付ける もそれほどの効果なし。それではと更に、家の近くにあったYMCAに行かさ れたのです。ここでは、学校の英語の教科書の10倍ほども難しいと思われる 教科書を用いての授業でした。今のような会話形式のものではなく、昔風の 教え方でしたが、どういう訳かここはよく続いたものでした。

高校はどうにか今でいう進学校へ入学できました。その入学式の時の事 です、小学校時代の優等生が私を見て怪訝な顔をしたのを、今でも覚えて います。忘れもしません、入学直後のテストでは数学3点(100点満点で平均 点は30点でした)という散々な成績でした。しかし英語だけはYMCAの効果 絶大で、平均点よりもずっと高い点数でした。そのようなことから、英語の 先生、池田先生にはことの他かわいがっていただきました。先進的な先生 で、英語の単語一つ教えるにしても、もとのラテン語からスタートするの です。また、毎回10分のdictation(今でいうリスニングだ)もあった。
更に、私だけに毎週宿題をいただいた。楽しい思い出だ。数学、物理などは ほとんど勉強しませんでした。

同じ年、名古屋市と米国ロサンジェルス市の間で姉妹都市が締結されたこと から、各高校から一人づつ生徒を選んで交換派遣することになった。池田 先生から「行ってはどうか?」と打診されました。すぐに返事したかどうか は覚えていませんが、答えは「行きません」でした。理由を聞かれて、 「アメリカは怖い。アメリカ人は怖いです。」私にもこんな“うぶ”な時代 があったのです。

また、このように数学、物理の出来なかった人が、生涯を通し電気/電子 工学の研究に従事してきたのも不思議でなりません。


●第60回
「書斎のない一生」

数日前、目黒の今の住いの出来事だ。私たち老夫婦二人の狭い部屋での小さ な出来事だ。私のカバンがバターンと音をたてて落ちた時の妻の一言が、 「書斎のない一生だった」でした。

ふつう大学の先生と称するほとんどの人には、「書斎」というべき部屋が あるのではと想像する。机、椅子の廻りには多くの蔵書と資料などがある という風景が、目に浮かぶ。愛知県豊川市にあった名古屋大学空電研究所 時代には、豊橋に居を構えていたが、書類や論文を書いたのは、もっぱら テレビのある部屋の机だった。私たちで建てた一戸建ての家には、かなりの 数の外国人研究者を招待してきたが、その二階には複数の部屋があったにも 関わらず、書斎なしでした。妻はいつもそれが「邪魔くさかった」よう です。家族には大迷惑だったんでしょう。申し訳ない次第である。

また、東京へ移った後、定年前までの恵比寿の官舎も充分な広さでしたが、 ここでも書斎なし。私には書斎は似つかわしくないのです。同様にテレビ の前が書斎でした。どうもこちらの方が心地良く、効率が良く、ノイズが 良い刺激だった様です。電磁ノイズ一筋40年間研究してきたせいでしょうか。

大学の研究室でも同様なことが言えます。電通大では、その役割と大学院 生の数などを考慮して、何部屋かが割り当てられます。当然の事ながら “教授室”もあります。自宅の“テレビ書斎”と著しく異なる点が一点。
ものすごい数の本(そのほとんどが英文)を入手していた事です。しかし、> 教授室に留まっていることはほとんどなく、大学院生のいる部屋とか、 来訪している外国人研究者の部屋にて、データを一緒に見たり、議論して いました。勿論、論文をまとめる時だけは、自分の教授室でしたよ。


●第61回
「論文を取り下げるとは!(前編)」

最近の話題について一言。

理研グループによる“STAP細胞”に関する論文に対する種々の疑義が噴出 し、論文を取り下げるなどという記事が出ているので、一言。

まず、「論文を取り下げる」など私には考えられないことだ。そこで、 共著者の多い論文の時に、どんな作業をするのかを紹介する。

私が筆頭著者の論文では、共著者に事前に予定論文を送り、各々にコメント などを必ずもらうのだ。それらの多くのコメントを考慮して推敲の上、 最終版に仕上げて投稿する。しかし、共著者の中から、投稿するには更な るデータが必要ではないかとの指摘がある時には、解析結果の追加などを行 う。外国人が筆頭著者の時でも、私は事前に論文が送られてこない場合には、 共著者となるのを拒否している。ただし第一稿が送られて来れば、どんなに 忙しくても数日以内にはコメント、修正点、英語修正などの返事をする。
このように、共著論文では、投稿前にこの種の大変手間と時間のかかるプロ セスが不可避であり、必須なのだ。これらの事を考えると、容易に「論文 を取り下げて」などという事自体、私には信じられないことだ。バイオ (生物学)の分野では、よくあることだと言われると、その分野自体異常 ではと思えてしまう。例えば、私の関係するスペース物理(これは理学)、 電気/電子工学(これは工学)では、未だかつて論文取り下げなど聞いた ことはない。

次は、「Nature」という科学誌(週刊誌)について。


●第62回
「論文を取り下げるとは!(後編)」

10年以上前の事だが、文部省のお役人から「予算がほしいのなら、Nature かScienceに論文でも掲載してきては!」との発言を聞いている。以前の メルマガでもお話したインパクト・ファクタ(IF)が、驚くことに、これら の科学誌では20-30という異常な高さだ。因みに、スペースの一番権威ある 雑誌 J. Geophys. Res.は 3.0前後なので、その10倍ほど引用されていると いう事だ。どうやら、このIFの高さは、ほとんどバイオ関係の論文による
もののようだ。

私も色々な雑誌の編集に関わってきた。例えば、Radio Science の Associate Editor、日本の J. Atmospheric Electricity の Editor-in -Chiefなどであった。前者は、国際電波科学連合(URSI)の機関誌で、米国 地球物理学会が世話している。後者は、日本大気電気学会の雑誌だ。バック にちゃんとした学会があり、Editorは学術的に高度で見識のある人が選ばれ ている。あくまで学術的に、数人の査読者の厳しい審査に基づき、Editorの 更なる判断を経て、採録か否かを決定する。だからReject(不受理)の場合 もある。取り下げではない。私は、地震予知学を始めてから、“Reject”を 数多く経験してきている。いい気分ではない。

これらの学会の雑誌は、多いものでせいぜい月1回、ふつうは数ヶ月に1回 の頻度で出版される。これに対して、Natureは週刊誌であり、バックとなる 学術団体を持たないジャーナルで、編集長、査読、編集などの仕組みが、 いわゆる国際的学術雑誌とはかなり異なるのではと推測できる。科学と言っ てもバイオ中心、独創性の他に、社会性の観点が強い様にも個人的には感じ られます。実は、私は地震予知学の最前線の学術論文を、1990年代後半か ら2000年代前半に、Nature誌に投稿した時にはすべて“門前払い”を喰らっ ています。編集者の趣味に合わなかったのでしょう。テーマ自体が相応しく ないとの事でした。査読へすら進まなかったのです。最後に自分の名誉の ために付け加えます。スペースの波動に関する私の論文が、1977年に出て いることを。(※)


※Masashi HAYAKAWA & Yoshihito TANAKA, "ELF emissions observed at Moshiri", Nature 270, 703-705 (22 December 1977)


●第63回
「それは知りませんでした」

今、外国人共同研究者と一緒に、シューマン共振現象の経年変化に関する 論文を仕上げている最中ですが、思いもよらない質問をされました。
最終的に投稿する外国誌の詳細なフォーマットへの編集を頼んでいた、 うちの秘書からです。

実は、この論文には「Appendix(アペンディクス)」が付いているのです が、彼女曰く。Appendixは附録ですよね。盲腸という意味もあるので、 なくても良い類のものですか?との問い。私はまさか盲腸という意味が あることは全く知らず、無知そのものです。辞書を引くと確かに、虫垂、 俗に言う盲腸だ。

しかし、Appendix は、附録ではありますが、無くても良いものではない
のです。

例えば、私たちの比較的最近の本、モルチャノフ・早川の本(2008年)(※)
では、本文中には要点を出来る限り易しく記述し、併せて大事な数式だけを
入れます。そして、その導出法などの詳細は附録へ廻しているのです。
このように、難解な本や論文では、Appendixはよくあることなのです。


※ ISBN No.: 978-4-88704-143-1
"Seismo-Electromagnetics and Related Phenomena:
 History and latest results"
Oleg A. Molchanov and Masashi Hayakawa
2008, Terrapub, Hard cover, 190+viii pp, incl. CD-ROM (color Figs.)


●第64回
「車中の楽しみ」

3月中旬、大阪での関西サイエンスフォーラム主催「地震予知フォーラム」 に招待された。この関西サイエンスフォーラムは、神戸地震(1995年)後、 地震に伴う動物の異常行動などの、いわゆる宏観現象を科学的に捉えようと スタートしたものである。

今回の話題は、大阪への新幹線についてである。

同フォーラムより“新幹線グリーン車”の回数券が送られてきた。最近は 老年の特典を活用してJRの切符も3割引きにて購入できるため、しばしば グリーン車を利用している。ただこの特典では“ひかり”にしか乗車でき ず、今回はじめて、最速の“のぞみ”に乗れたのだ。飛行機には何百回搭乗 しているのだが、ファーストクラスはもとより、ビジネスクラスにも数えら れる回数しか乗ったことはない。これは、できるだけ大学院生の出張費を 確保するためでした。

東京から大阪へのグリーン車での長距離旅行では、フライト前後の慌ただし い飛行機移動では得られない落着いた貴重な自分の時間が得られる。本を読 んだり、論文を書いたり読んだり、また原稿執筆にも最適だ。グリーン車の ゆったりシートは、オフィスよりもよっぽど仕事に没頭できるのだ。少々疲 れれば、シートを倒してひと眠りも出来る。今回の出張では、一つの論文の 最終点検と複数のメルマガ用の原稿を書くことが出来た。大変楽しいひと時 だった。

ふと、仏国滞在中(1980~1982年)の、鉄道による研究所通勤を思い出し た。子供の通学する日本人学校がパリにしかないことから、パリに住まざる を得なかった。オルレアン市(ロワール河沿い)にある研究所まで、片道3 時間という大変な通勤だった。日本でも、この様な環境のサラリーマンがい ると聞きます。とはいえ実は、3時間のうち1時間はコラーユという快適な 列車なのだ。必ず座席は取れ、新幹線同様に論文を読んだり、書いたりして いた。勿論、日本の新幹線ほどではないにせよ、ほぼ時間通りに運行されて いた。ただ最大の問題は、突然列車が長時間停車することがある。これが、 パリで有名な事前のアナウンスなしのストライキだ。メトロのストライキな どは、日常茶飯事である。

英国でも列車はよく利用したが、日本の新幹線の料金は極めて高いと感ぜざ るを得ない。例えば、私たちが暮らしていた頃には、シェフィールド-ロン ドン間は日帰りすると、半額だったのを覚えている。日本でももっと色々な 割引が出来ないものかと思うし、願うものである。その一方で、外国へ行っ て初めて、日本では、正確な列車による効率的な移動が出来ていることを大 いに認識させられました。


●第65回
「科学者とお金」

「政治家とお金」の話は日常茶飯事ですが、今回は「科学者とお金」につい て一言。

科学者、研究者もお金がないと研究できないのは当り前だ。自分の事を思い 起こしてみよう。私の前任地、空電研究所は、名古屋大学の数少ない研究所 の一つだった。大学にとって、多くの研究所を持つことは、いろいろな領域 を網羅していることを示すことが出来、大学のステータスとなっている。
研究所は7部門(講座のこと)ありましたが、予算的には小さな学部よりも 大きな規模で、優遇されていたと思う。国からの校費(いまでいう、運営 交付金)はそれなりの額で、研究の基盤的経費である。更に、大学を通じて 文部省(当時)へ概算要求という型にて、新しい部門の新設、大型装置の 申請などを行う。私個人も億単位のプロジェクトは複数行った経験がある。
これらのお金は、税金から出ているものであることは言うまでもない。
当時は、この「競争的資金」というものは極めて少なかった。その一つが 「科研費(科学研究費補助金)」、約3割の採択率で、私は電通大赴任後も 毎年、科研費は継続的に採択されていたので、この恩恵に浴していた。

競争的資金という言葉が頻繁に使われる様になったのは、20年前後まえ からである。国の総合科学技術会議の「競争的研究資金制度改革に関する 意見書(平成15年)」が提出され、重要テーマを選別し、多額のお金を 投入するという考えだ。国だけでなく、JST(日本科学技術機構)など色々 な独法(独立行政法人)による競争的資金も多い。これらも、もとはと言え ば国のお金なのだ。更に、民間の財団による競争的資金も著しく増えて いる。これだけ書くと、皆様は日本の科学の将来も安泰で、大変結構だと 思われよう。勿論、国家プロジェクトとして組織的にしか出来ない Big Project があることは充分に理解しているが、競争的資金には大きな問題 もあるのだ。とりわけ、その審査過程において、新しくてリスクの高い テーマは、見向きされないことが多く、あまり競争的とは言えない実情が あったのだ。

私たちの地震予知学は、その様なリスクの高いものの一つと考えられてい よう。しかし、私たちの地震予知に関するフロンティアプロジェクト (理研と旧宇宙開発事業団での研究)は旧科技庁の資金で、ともに年間 約2億円で5~6年継続という規模であったが、このお蔭にて、日本が 完全に世界をリードする学問分野となれた。研究者の明確な方向性と 情熱があれば出来る、ということを示すことが出来たと自負している。

最近は、文科省からの運営交付金は年々減少、また各大学は色々な名目にて 事前に控除してしまうので、外部資金のない研究者は、日常生活で精一杯 ではないだろうか。研究費に充てる国からのお金の大半が、競争的資金と 言うのは考えものだ。競争的資金はほどほどにし、多くの研究者の基盤的 経費を著しく増やすことの方が、意味があるのではなかろうか。自由な発想 で、ゆっくり研究できる環境を作ることが、重要ではないかと思う。実は、 前述した厳しい予算状況でもきらりと光る仕事をしている研究者を、知って いるからだ。お金がないことが幸か不幸か、最大限の努力と工夫を駆使して 輝かしい成果を挙げているのだ。真に新しいものを生み出すために、日本と して考えるべき方向ではないかと思う。



第66回

「大学院教授とは」
最近のテレビ、ラジオなどに登場する大学の先生の肩書として、「○○大学 院教授」というのをしばしば見聞きする。私は、これに強い違和感を覚えて いる。○○大学教授で充分ではないかと思う。それとも、「私は学部教授で はなく、大学院でも教える資格を持っている」のだと言いたいのだろうか。
大学院を持たない大学の教授や学部教育に専念する教授よりも、自分は上の クラスだと言いたい様に響くのだが。勿論、ここ20年ほど前より叫ばれてい る、文科省の“大学院重点化”とも密接に関係し、各大学において大学院の 改組も盛んに行われている。更に、昨年文科省は全国22機関(大学)を国際 研究拠点と認定し、年間数億円×5年間のお金(競争的資金)にて、イノベ ーションを引き起こす研究をせよ、とした事なども影響しているのかもしれ ないが。

誰でもが軽々しくイノベーションという言葉を使っているが、お金を出せば イノベーションがすぐ出来るとは考えられない。前にも述べた様に、日本で は、「後追い研究」が主流で、「新しいもの」を目指すという雰囲気や気概 は、残念ながら極めて低いと言わざるを得ない。この変革を実施していくこ とが先決ではないか。更に、大学院教授という呼称の普及は、学部教育軽視 の風潮を招くと危惧される。やはり、大学の第一義目的は教育だと思う。
基礎体力を充分に付けた学生を社会へ送ることだ。研究と教育を如何に両立 させていくか、大学へ課せられた重大な課題だ。


●第67回
「友人が次々と…」

年を重ねれば当然の事だが、近い友人が一人抜け、二人抜けとなってきて いる。寂しい限りだが、止むを得ないことだ。ここ5~6年で私の極めて 親しい友人、共同研究者が数人逝っている。一人目は、ロシアのトラク テンゲーツ(Trakhtengertz)教授、二人目は、2011年震災後に、同じく ロシア人のモルチャノフ教授、そして三人目は、数か月前のイスラエル、 アルペロビッチ教授。3人とも私より年長で、前の二人は5歳年上だった。

モルチャノフさんのことは、本メルマガでもすでに、いくたびか話している ので、今回はトラクテンゲーツ先生について一言。時は遡って、小生が名大 空電研究所を離れる直前だった。名大理学部に招待されていたゼレズニア コフ先生(ロシア科学アカデミー会員、天文学)から私の所へお電話が あり、是非訪問して、お願いしたい事があるとの事。来られた要件は、 同先生の研究所に、磁気圏プラズマ波動の研究に従事するトラクテンゲーツ という教授がおり、共同研究をしてみてはとのことで、強く勧められたの だ。直ちに、日本学術振興会の招へい教授に応募し、運よく採択された。 名大時の申請で、私が電通大へ赴任(1991年)後に受け入れた最初の教授で あるとともに、同教授にとっても、初めての外国訪問だったのです。1ヶ月 の滞在中、色々な大学へお連れしましたが、東大理学部にご招待頂いた時の ことです。そのおり受け入れていただいた林幹治先生が、私に尋ねられまし た。当時のスペース物理分野での最大の謎の一つが、磁気圏プラズマ波動が どうして発生するかという問題で、その発生機構として電子サイクロトロン 不安性(波と高速電子とのエネルギーのやり取り)が、1966年米国のケネル とペチェク両博士(C. F. Kemel and H. El Petschek)により、提唱されま した。そして、その論文の脚注には、その数年前にトラクテンゲーツ先生が すでに同様の理論を出していることに、言及していたのです。林先生はその 事をご存じで、私に「あのトラクテンゲーツ教授本人ですよね」と、尋ねら れたのです。ケネル・ペチェクの論文は私も読んでいましたが、勉強不足で その事は知らなかったのです。なんと、トラクテンゲーツ先生は、プラズマ 物理の理論に関しては、世界一の実力の持ち主だったのです。私が付き合え る様な人ではなかったのです。それにもかかわらず、その後永きにわたり、 同先生だけでなく、同グループの若い研究者とも、多くの共同研究を楽しん で来ました。その共同研究は、今も続いています。しかし、知れば知る ほど、研究に対する真摯な姿勢、物静かではあるがするどい物の見方など、 尊敬することばかりです。プラズマ物理の豊富な知識とアイディアを、 他分野でも応用されようとしてみえました。大気電気学もその一つでした。

先生の没後、ロシアのサンクトペテルブルグにおいて「Geocosmos」という 国際会議があり、同教授の追悼セッションが開かれました。私は「地震 予知」の基調講演を頼まれていたので、追悼セッションにも参加しました。
先生の業績はもとより、お人柄のせいか、ロシア国内だけでなく、外国の方 も多く集まっていました。同グループの若い仲間たちと先生の奥様とも久振 りの再会で、東京のいろいろな所を4人で散策したことなど、話が盛り上が りました。更に、奥様より、「ビクター(トラクテンゲーツ先生のファース トネーム)や若い人への永年にわたるご支援に、心より御礼申し上げる」と の御言葉をいただき、大変恐縮でした。我々の方こそ、永年にわたる友情に 感謝しているのに。

往々にして、一生の巡り合いとはこんなものではないでしょうか。ある人 との遭遇により、楽しい一生に変わることがあるのです。運命といいま しょうか。


●第68回
「電波の到来方向を測定すること」

毎日考えていることを記す。地震に伴う、しかも前兆として発生している 種々の現象が“真”に地震によるものか否かは実は神のみぞ知るだ。
しかし、この最大級に難しい問題に答えよう。それも科学的に答えることを 私たちは要請されている。先ず考えられるのは、永年(10年程度)の観測 データを用いて、前兆と思われる現象と地震との因果関係を統計的に確か めること。更に、複数の手法が考えられるが、今回のメルマガでは前兆電波 の“方探”、“方位測定(Direction finding)”について紹介する。

実は、方探は私の電波工学でのライフワークの一つでもあるのだ。スペース の研究、即ち、上空の電離圏/磁気圏にはいろいろな種類の波動が発生して いるが、その発生機構の鍵を握るのが、その波動の伝搬方向の測定である。
これには、地上からの方探と人工衛星上での方探もある。換言すると、 「新しい機械(装置)が新しい物理を生み出す」とも言えるのだ。一例と して、衛星上でVLF放射の一種(コーラスという)の方探を行った所、ほぼ その伝搬方向が磁力線に沿っていることを、私たちは見い出したのだ。
これは、前回のメルマガで紹介したケネル-ペチェク理論を、実験的に検証 した事になった。更に、別の特異なVLF放射は磁力線と極めて大きな角度 をなしていることが判明し、私たちは新しい不安定性も提唱することが 出来た。

この方探技術は、地震電磁気学でも今後重要な手法になると信ずる。
勿論、方探は電波工学でも最高級の技術であり、誰もが出来るものではない のだが。地震の前兆として発生したとおぼしき電波の方探を行い、その方向 でその後地震が発生することになれば、その電波が前兆であったという確度 は、著しく上昇することになる。例えば、2004年の新潟中越地震でのULF 放射、また2004年12月のインドネシア・スマトラ地震でのULF放射に対する 国内観測点(中津川)からの方探結果は、方探の重要性を示す良い例だ。
勿論、スマトラ地震の論文投稿時には、査読者からどうして数千㎞も飛んで きたのかなどの、厳しい批判もあったことは事実だが。

方探は、昔はハードの問題であったが、近年は情報理論の最先端トピックス と考えられている。例えば、受信した信号に複数の波が混在している時に は、それらを分離した上で、各々の到来方向を決定することも、情報理論を 最大限駆使すると可能となるのだ。私は“方探”の本(英語)を書こうと 、すでに数年前に必要文献などを一つの段ボールに集めているのだが、残念 ながら時間がなく、今はまだ書き始めていない状況だ。


●第69回
「久し振りのEMC(環境電磁工学)国際会議に参加して!」

先週は、5月13日~16日の4日間、東京においてEMC(Electromagnetic Compatibility, 日本語では環境電磁工学という)国際会議が開催されて いた。EMCは基本的には、電気/電子機器からの雑音が他のシステムにどんな 影響を与えるのか、その雑音を如何に抑えるかが最大の研究テーマで、 電気/電子工学という工学そのものの国際会議である。訴訟社会の米国にお いて昔から発展した概念だが、日本ではかなり遅れてスタートした学問だ。
今回の会議は、IEEE(米国電子通信学会)主催のもので、自然雑音はほとん ど取り扱われないのが通例である。

しかし、2011年東北大地震のことがあり、この機会に日本の最先端研究を知 らしめたい事もあり、「地震電磁気現象と地震予知」と題するセッションを 提案した結果、初日の5月13日午前中に開催することができた。セッション を始める前には、旧知の中国の大先生、スイスの若手研究者など、そして、 数人の日本人の方々からご挨拶に来ていただいた。最近、私はこの種のEMC 会議には、全く参加していなかったためである。さて、私たちのセッション は、外国人も含め7件の招待講演で構成した。内容は、地中からのULF放射、 ELF放射、大気圏擾乱、電離層擾乱など、各種電磁気現象が発表された。
私は、VLF/LF送信局電波を用いた電離層擾乱(+3.11の前兆)と、ULF磁界 強度の低下(これも下部電離層の擾乱の効果による)の2件を発表した。
通常のEMC会議では、私たちの様なセッションへの参加は、極めて少ないのが 通常だが、40人前後の聴衆という予想以上の大盛況であった。更に、質疑 応答もすこぶる活発であった。旧知の米国人(米国EMCの重要人物の一人) Radasky博士は、「ここまで出来ているのに、日本政府はどうして反応しな いのか」、米軍の研究者も「大変興味深い話であった」、また地震のない 国、ドイツの先生は「なによりものすごく面白かった。この様な新しい学問 が是非とも必要だ。帰国次第早速この講演の内容について話をしていく」 などの意見を述べてくれた。極めて率直な、しかも反応の速さはさすが外国 人だ。自分の眼で判断できる力を備えているのだという事を痛感した。
日本人が見倣うべき大事な点ではないだろうか。


●第70回
「寿司は国際的になったが」

先日のEMC国際会議での更なる印象を述べよう。私は多忙にて最初の二日し か出席できなかったのだが、この会議の良いところは、何と言っても若者が 多数参加していたことだ。若者が多いことは最大の活性化である。さて、 レセプションでの事です。私のテーブルには、スイス人、ドイツ人ご夫妻、 それに仏語を話す5-6人の一団が同席した。聞けば全員、寿司は好きとのお 答え。バンケット方式だったので、寿司を目的に何度も席をたつ若者もいた くらいだ。寿司は外国では少し高級ではあるものの、ヘルシーな食物として すでに定着している様だ。

そこで、30年前のことが思い出される。故モルチャノフ(ロシア)が初めて 日本を訪れた、確か1978年だったと思うが、名大空電研に滞在中、仙台での 国際会議に参加した時の事でした。夜、彼と米国人らを寿司屋へ連れて行っ たのです。彼は、“one piece” 口にして、それ以上駄目だと言うのです。
小生は、楽しみにしていたのに食べられず大不満でした。今では完全に国際 的食物となっているのですが、30年前には、彼に限らず多くの外人が“raw fish”にはかなりの抵抗があったのです。その後、モルチャノフさんも長期 日本滞在中(1996年から8~9年)には、実は“ぐるぐる寿司”が大好物に なっており、特にハマチがお気に入りでした。

それに引き換え、日本の若手技術者の国際化は如何なものかと、今回のEMC 会議にて思った次第です。私が論文発表を聞いた10人前後の日本人、韓国人 の若い技術者の質疑応答には少なからずがっかりしました。発表はそれなり で結構でしたが、質問になるとほとんどの人が、英語でなされる質問の内容 を理解できず、沈黙の時間が続くのです。これだけ英語が普及し、国際化が 叫ばれているのにです。30年前の日本国内での国際会議を彷彿とさせたの です。この現象は学問分野にも大きく関連していると思います。スペースの 分野では、国際的に協力しなければ解決できない問題が多いのに比べて、 電気/電子工学の分野では、国際共同研究がそれほど一般的ではないことも 関係しているのかもしれません。しかし、私が企画した5月13日午前の 「地震電磁気」のセッションでは、すべてのスピーカが、多くの英語の質問 にも適切に答えていたことを申し添えます。


●第71回
「マクスウェル方程式の発表から150年!」

私たち“電波”に関係する研究者・技術者にとっては、J. C. Maxwell (マクスウェル)は神様のような存在であります。マクスウェルがいわゆる 「マクスウェルの方程式」を発表したのが1864年で、今年は150周年の記念 すべき年となります。マクスウェルは英国の理論物理学者で、マクスウェル の方程式を導いて電磁気学を確立し、更には電磁波(電波)の存在を理論的 に予想したのです。私たちは今でも、論文や本を書いているときには、マク スウェルの方程式を頻繁に登場させ、絶えずお世話になっているのです。

1864年のマクスウェルの予言後、1887年ドイツの H. R. Hertz(ヘルツ: 周波数の単位になっている)は、電波の実験を行った。発信装置は誘導コイ ルとアンテナを組み合わせたもので、受信装置はスパークギャップのある コイルであり、電波を受診すると火花放電が観測されるものだ(参考:早川 著『地球環境とノイズの意外な関係』技術評論社 2009年)。その結果、 電波が空間を伝搬することを証明し、無線の発明の基礎となった。続いて、 旧ソ連の A. S. Popov(ポポフ)は、サンクトペテルブルグ大学のキャン パス内の建物間での電波伝搬実験に成功した(同大学へ行くと、大規模な 展示がある)。更には、G. マルコーニ(イタリア)は無線通信の実用化に 尽力した。1895年には1.5km、1897年には海を越えた 6km の通信に成功し、 次第にマルコーニは国際的に注目されるに至った。1912年、タイタニック号 遭難の時、マルコーニ無線会社の社員が救難信号を送信したことも有名だ。

この様な無線実験が行われている時期に、著名な物理学者ケルビン卿 (絶対温度の単位(K)となっている)は、「Flying machine heavier than air is impossible」という演説を、王立協会会長として1895年に行って いるのだ。即ち、飛行機など出来るはずはないという事だ。その頃米国 では、ライト兄弟が飛行機実験を行っており、1903年には飛行に成功して いる。私は、彼のこの言葉を引用して、「不可能と思われていた事はほとん ど実現されている」ことを若い世代に伝えている。そして、地震予知も可能 になると。

更に、ケルビン卿は、もう一つ“電波屋”には大変気になることも言ってい る。「Radio has no future」、電波には将来はないと演説しているのだ。
マクスウェル方程式の発表後、約30年後の事だ。しかし、電波には将来は ないどころか、皆様“携帯電話”という電波の恩恵に最大限浴しているので はないですか。最初、ケルビン卿の言葉を聞いていた時、動物的な感覚の 鋭い学者かと思っていましたが、ライト兄弟を描いた映画「80days」の中 に、ケルビン卿が登場するのを観て以来、すこぶる保守的な学者だったの だと思いなおした次第です。しかし、何が大事かを逆説的に直観している 点は、さすが大学者だと思わざるを得ません。


●第72回
「調布の名物・名所」

私の前任地、名大空電研究所は、当時雷に関する世界唯一の研究所だった。
多くの外国人研究者を受け入れたが、彼らのガイドブックで「豊川」(空電 研の所在地)の欄には二つの項目だけが書いてあった。一つ目は、誰もが知 る「豊川稲荷」だ。赤坂の豊川稲荷はその東京支所だ。もう一つが、私たち の名大空電研究所だったのを覚えている。

さて、調布のことを考えてみよう。その名前は、昔の税金である租庸調の調 (その土地の特産物を納める)を、布でもって納めていたことに由来する。
この由来から予想されるように、以前には調布と付く町は多くあったのだ。
例えば、田園調布は元荏原邸調布村だった。更に、調布市内には布にかかわ る地名が今も多く残っている。布田(ふだ)、染地(そめち)など。

私も1996年東京へ移住し、調布市にある電通大へ通いましたが(今も通って いるが)、当時は、調布の名物・名所についてよく知りませんでした。
そこで今回は、少々調布の宣伝をしてみよう。調布と言って必ず最初に思い つくのは、やはり深大寺、神代植物公園、深大寺そばであろう。深大寺とい う名前は、仏法を求めて天竺を旅した玄宗三蔵を守ったとされる神「深沙 大王」に因むとされ、深大寺は、東京都では浅草寺に次ぐ古刹だ。定年後は 外国人来訪者は著しく減ったが、ここ数年、外国人が来訪した時には、必ず 深大寺にお連れし、本堂にて参拝し、参道をゆっくり歩き、深大寺そばを 味わい、その後、神代植物公園を散策する。これが私たちの定番のルートな のだ。外国人はとても喜び、私たちも心安まる優雅な時間を楽しむことが 出来、大好きな場所だ。植物園は、季節毎にいろいろな草花が楽しめます。
また、私の持っている植物図鑑のなかの7~8割の写真は、神代植物公園の ものだ。

次の名物・名所はと考えると、映画だと言える。1950年から1960年代まで、 日本の映画は「娯楽の王様」であった。多くの映画会社の大型撮影所が、 調布にあったようだ。多くの関連産業が集まり、全盛期には「東洋のハリ ウッド」と称された。銀幕でみる有名なスターが町を歩いていたとの事だ。
残念ながら、私はこの頃まだ東京にいなかった。調布市の染地には、日活の 撮影所が田園風景の中にそびえ立っていたとの事であるが、現在では、その 規模も縮小し、住宅地の中だ。テレビの普及などに伴い、映画産業は60年代 半ば頃から徐々に衰退したとはいえ、電通大の隣には、東京現像所という 東宝系の映画関連の会社もある。そして調布市民らは、隆盛を極めた時代を 誇りに、「映画のまち調布」をアピールする活動を続け、「調布映画祭」は 今年で25回を数え、調布と映画を結びつけるべく努力している。

3番目は電通大でしょうか? 私は東京へ来たとき、電通大がどこにあるか もよく把握せず、調布にあるのか田園調布にあるのかもわからずに来ました。
来て驚いたことは、新宿から特急なら15-20分と、都心から極めて近く、地理 的に極めて優れた場所にあるということだ。好条件を生かして、大学はその 知名度、イメージ向上、ひいては電通大ブランドの確立に向けて、一層の努力 が望まれます。これには、先生方が各自の分野にて、国内外を驚かすような 業績を上げるにつきると思います。例えば、私の関係する分野では、UEC (The University of Electro-Communications)と言えば、世界中の人が、 即座にChofuと言います。


●第73回
「少々自慢できる論文かな!」
おそらく近々掲載が決まるであろう最新の論文について、少々自慢させて下 さい。私たちの地震電磁気学の分野において重要な貢献をする論文だと確信 し、少々興奮しているのです。そして、二人の査読者からも、大変興味深い との高評価を頂いています。

共同論文の筆頭著者は、東北工大の神山先生です。神山先生とは約10年前で しょうか、日本大気電気学会の東北での発表会の際に、特別講演を学会から お願いした時からのお付き合いです。先生は、建築・土木のご出身で、地震 の建物への影響、破壊プロセスがご専門です。近年は、GPS(カーナビのGPS) データを用いた地殻変動解析を続けられ、「必ず地震前兆はある」とのお考 えです。主たる学会「地震工学」において、地震学の方と闘ってみえます。
私と方向性が一致していることから、色々とご指導、ご議論をいただいてい ました。

先生のグループは、約20年間のGPSデータを用いて、地表面の長期変動と 地震との関係を調べるとともに、2011年3月11日の地震の前兆的力学変位を も調べておられました。そこで、私の提案で、私たちの電磁気前兆現象の 時間変化と、GPS変位の時間変化を、詳細に比較してみることとなったの です。GPSによる地殻変動には中期(数ヶ月~1年程度)前兆、短期(地震の 1週間前)前兆と、直前(地震の前1日以内)前兆があることがわかり、 特に短期前兆は極めて明瞭で、その出ている期間が、実は私たちが見出して いる電磁気現象(大気圏ELF放射、電離層擾乱など)の時期と一致している ことが、わかったのです。これはすこぶる大事な発見なのです。


●第74回
「京王線による通勤!」

定年退官までは大学人として調布の電通大へ通い、定年後は同大学にイン キュベーションセンターが出来たのを機に、大学発ベンチャー会社として (株)早川地震電磁気研究所を立ち上げ、現在も調布に通っている。勿論、 地震解析ラボ所長と電通大客員教授という顔も持っているが。

電通大赴任時に、大学からどこの宿舎を希望かと聞かれ、調布ではなく都心 と答えた。そのため、現役中には池尻大橋、その後恵比寿に永く住み、定年 後は目黒に住いしている。従って、ほぼ20年間京王線には大変お世話になっ たこととなる。渋谷まで出て、そこから井の頭線で明大前まで行き、乗換え て京王線にて調布へ。二線とも京王電鉄なのだ。出勤方向が都心へ向かう多 くの人と反対であり、それほど混まないので、おおむね座ることができる。 座れなさそうな時には、特急ではなく急行や各停にて座って通勤する。京王 線を利用している乗客を観察すると、最低でも5割、多いときには7~8割 の人がスマホ、ケータイの虜だ。多分この現象は、どの路線でも同じだと思 うが。私はケータイなどを使わないので、それほどまで興味深いものなの かよく理解できない。7~8割以外の人は眠っているか、本を読んでいるか だ。私は周囲を観察したり、本(論文)を読んだりしている。スマホよりも 車内での人々の様子や雰囲気を見ていることのほうが、ずっと面白いと思う。

京王線で付け加えるべき一点があるのだ。京王線沿線は、この時期、紫陽花 で覆われていることだ。調布ー明大前間もそうだが、とりわけ、明大前から 渋谷の区間の沿線両側は、梅雨の時の風物詩である紫陽花が一面咲き誇って おり、美しい限りだ。青色、紫色、赤色など、いろいろな色で咲き、また ガクアジサイも多数見られる。アジサイで有名な箱根、鎌倉へ行かなくて も、京王線にて半分味わうことが出来る。車内での人間ウォッチングに加え て、京王線の車窓からの紫陽花はすばらしいの一言だ。


●第75回
「オーストラリアの冒険(I)」

数日前にテレビで、アボリジニィとオーストラリアの自然が取り上げられてい たのを観た。その時懐かしく思い出された私のオーストラリアでの冒険の一つ を紹介しよう。

かなり昔の事だが、1980年代だったと思う。オーストラリアにおいて、4~5 回異なるテーマの観測キャンペーンを行っている。すべて私の昔のテーマで、 電離圏やその上層の磁気圏プラズマのスペースの研究だ。磁気圏内でどうして 波動が発生するかというメカニズムを解明するためだ。この領域において、地 球磁場がプラズマや波動に本質的な役割を果たす事から、磁気圏という名前が 付けられている。私たちが名大時代に作った北海道母子里(もしり)観測所は、 磁力線を辿ると、オーストラリアのシンプソン砂漠の中のオアシスの町バーズ ビルにつながっている。こんな関係を「磁気共役」という。スペースの研究で は、この共役点での同時観測を行うことで、多くの現象を正確に把握すること ができるのだ。

キャンペーンの一つを紹介する。私の提案した実験で、母子里周辺から100kHz 以下の電波を送信し、送信された電波の増幅や新しい波の励起を、その共役点 において測定するものだ。いわゆる能動実験だ。実は、それより前に南極でス タンフォード大学グループが高緯度での大実験を行っており、日本のような低 緯度での実験は種々の困難があり不可能と考えられてた。しかし、送信電波の 周波数をうまく変化させると興味深い結果が出ることが期待でき、波動発生の メカニズムの解明に貢献できると想定したのだ。この実験の為には、オースト ラリアのシンプソン砂漠の村、バーズビル(Birdsville)へ出掛けることが 必須なのだった。

オーストラリアの地図を見て下さい。有名なエアーズロックの右の方に、その 村はあります。アデレードにある軍関係の研究所の研究者に相手側パートナー をお願いし、日本から送った大量の観測機材の受け取りを手伝って頂いた。
大量の観測装置の通関は必ずと言っていいほど、もめるのだ。最悪の時には、 1個1個の機材のチェックまでされたこともあった。

通関後、機材を車に積み込み、アデレードから少々北へ進んだ町(たしかセド ューナという)へ移動する。このセドューナからバーズビルが、1,000kmの距 離で、道なき道を走るのだ。死にもの狂いのドライブだった。事前の調査では、 夏期にはこの道にて数人の死者が出るとも言われている。夏は毒性の虫なども 多いとのことで、私たちはオーストラリアの冬期を選んだ。セドューナの警察 において先ず出発の届けを出すのが規則で、そこから無線にてバーズビルの警 察に連絡が伝わり、15時間以上経っても現れない時には、捜索隊が出る手はず になっているほど、ものものしい行程であった。一行は朝まだ日が昇らない時 間に出発したのだが、すぐにパンク。タイヤは複数余分に買ってはいたのだが、 あまりにも心配で、途中偶然あった自動車屋にて更にタイヤを求めたところ、 足元を見られて高く売りつけられた。いざ再スタートだ。運転は交代でしたの だが、砂利道にはまりそうになったり、クリーク(小川)に突っ込んだり、本 当に死にもの狂いの旅だった。しかし、最大の感動もあった。途中、野生のカ ンガルーが私たちを応援するかのように走っていた事だ。

その夕刻、バーズビルに無事到着し、早速警察のボブさんの所へ。警察では、 日本からの変人たちを大歓迎してくれた。また、バーズビルはその名の通り、 鳥の町なのだ。インコ数百羽の一群、白い鳥(ガーラという)の一群など、 まさしくオアシスの町であった。実験をどうしてもしたいという情熱だけが、 この旅を可能とした。

第2回は、バーズビルでの実験と生活、アボリジニィなどのお話しです。
第3回は“Surveyorとは”です。


●第76回
「地震予知と電波技術」

実は5月は超多忙だった。その理由は2冊の本(ともに英文)を抱えていたた めだ。1冊目は世界最大の出版社スプリンガー社から出るもので、ロシア人 Surkov(スルコフ)教授との共著で、超低周波電磁界を用いると地球周辺環境 (超高層、大気圏及び地圏)を診断することが出来ることを示すものだ。
6月中旬に最終校正を終了し、すでに購入できるようになっている。

時を同じくした2冊目の本について述べよう。約1年前のことだ。米国で有名 な出版社Wiley(ワイリー)社から突然の電子メールが届いた。是非とも電通 大へ伺い、お願いしたいことがあるとのメールで、どうぞと返事した。同社の アジア地区担当のエディタJames Murphyさんが来訪され、次のような要請を 受けた。彼は事前に充分な調査をして来ており、地震の短期予知には電磁気現 象が有望であることを理解していた。さらに、読者対象は地球物理、地震学で はなく、電気/電子工学や電波工学に従事する学生、大学院生、技術者を考え ているとのことだ。
この線でぜひ地震予知について書いてほしいとの依頼だった。

実は昨年は別の本も執筆しており、どうしようか迷ったが、(1)私の出身の 電気/電子工学分野の人にも電波利用の新しい方向性を示すことが出来ること、 (2)地震予知の現状を世界に知らしめることも出来ると考え、引き受けたのだ。
通常の本と同様、一応“Book Proposal”を出してくれとのこと。普通は 数人のレフェリーなのだが、6~7人という異常な事態だった。しかし、幸いな ことにすべてのレフェリーから好意的なご意見をいだたくとともに、目次に関 しても有意義なご指摘をいただき、執筆には大変役に立った。

地震電磁気に関してはほぼ把握してるので、まずは関連する本、雑誌、論文の 収集で、部屋の1つの大きな机の半分は資料の山だ。いろいろな仕事の合間を 縫って、時間を見つけて集中的に作業した。第1章、第2章と・・・英語を書いて いく。それをこのために来ていただいた英語堪能な秘書がどんどん打ち込む。
内容は、地震予知の現状から始まり、科学的な部分はDC、ULF、ELF、VLF/LF、 MF、HF/VHF/SHF帯と分け、衛星観測と続く。各周波数ごとに電波の送・受信、 電波伝搬などの基本的な事項を記述し、次に世界中の重要な観測結果を述べ、 そのメカニズムの仮説も含めている。もちろん、私たちの貢献は大きいので、 全体の半分位は自分たちの成果を盛り込んでいる。電波関係の若い諸君がこの 分野に参加してくれることを期待して、この本を刊行するのだ。5月は本文の 最終チェック、外国人による「英語校正」、また大変な作業である図面の確認、 参考文献など、もう1人の秘書も加わり、彼らの最大限の努力により出版社へ 送り出すことが出来た。年内には出版の運びとなろう。乞うご期待だ。

次週、オーストラリアの冒険の続編をお届けする予定です。


●第77回
「オーストラリアの冒険(2)バーズビルでの実験と生活」

私たちが命懸けで辿り着いたオアシスの村バーズビルは人口50人前後の村だっ た。ほとんどの住人は原住民アボリジニで、彼らの居住区になっている。他は と言えば、警察官のボブさん夫婦と時折訪れるオーストラリア人くらいである。
スペース(地震も)の自然現象は条件が揃わなければ発生しないので、3カ月 程度の滞在は避けられない。前回書いたLF電波の送信による能動実験の前段と して、北海道にある航行用電波(デッカ局。80kHz)の受信が第1回の実験の 目的だ。村唯一のホテルがこれから3カ月の生活拠点であるとともに、実験の 拠点ともなる。

村でのノイズを警戒し、町から10kmほど離れた地点を探し、アンテナの設置、 受信器の設定などを行い、デッカ局電波の受信を開始した。80kHzデッカ局電 波が磁力線に沿って伝搬してくることを想定してのことだ。周波数は決まって おり、受信器の感度を上げさえすれば受信されるはずである。しかしなかなか 受信できない。同行した教授は電子工学の専門で、受信器のバンド幅を狭める (80kHzのごくごく近傍だけを受信する)ことを提案、翌日試みるも、まった く受信できないのだ。工学的には受信バンド幅を狭めることは当然だが、私は 周波数が変化しているのではと思い付いた。磁気圏内の伝搬路が動いたりすれ ば、ドップラ効果により変化しうるのだ。救急車が近づいてくる時と遠ざかる 時でサイレンの音が変化する現象だ。そこで、極狭帯域の受信器を少しずつ周 波数の異なるものを並べてみた。成功だ。ほとんどいつも周波数がずれていた のだ。

実験はこの様な試行錯誤の連続であった。また帰国後録音した磁気テープを再 生しノイズの状況を調べるとまた大きな驚きがあった。日本ではどこで観測し ても必ず入っている電力線のノイズ(ハムと言う 50Hzまたは60Hzとその倍数 のノイズ)が全く存在しないのだ。その静けさに感動したものだ。

昼は屋外実験、夜は観測データのチェックなどをするが、唯一の楽しみは食事 だ。実は何を食べたかよく覚えていないが。また食後のビリアードも楽しかっ た。すると、現地人のアボリジニの人たちが物珍しそうな顔つきでいろいろと 話しかけてくる。どうしてバーズビル如きまで来たのか?しかし、彼らの英語 は極めてわかりにくいのだ。何回聞いても理解できないことが多々あった。
しかしこちらの言ってることはわかっていたようだ。これでも日豪の国際友好 の一助にはなったのか?


●第78回
「先日の東京都議会騒動で思い出した映画」

先日の東京都議会での女性議員へのセクハラ野次騒動に関連してすぐ思い出し た映画がある。実はこの映画は今月より日本でも公開されるとも聞く。日本で の映画タイトルは「マダム イン ニューヨーク」だが、もともとのタイトル は「English Vinglish」なのだ。

私はこの映画をもう1年以上前に見ているのだ。たぶん2013年4月の欧州地球科 学連合(EGU)への出張の時の往きか帰りの飛行機の中だと思う。機中の楽しみ は唯一映画を鑑ることだ。タイトルに惹きつけられ見たのだ。Englishは英語 だが、Vinglishとは何のことか?どうもインド人が話す英語の意味か?

インドのある家族の話で、社会的に地位の高い旦那さんの奥さんの話だ。その 奥さんを演じたシュリデビという女優の魅力もさることながら、その内容がす こぶる興味深いものだった。彼女は家族の中で空気のような存在で、毎日一生 懸命家族のために食事を用意するも、英語が出来ないというだけで、夫・子供 から執拗にバカにされ、自尊心を踏みにじられていた。子供から、英語が出来 ないので、学校での先生との面談にも来るなと言われる始末だ。そんな中、米 国に住む姪の結婚式を手伝うため、米国に出掛けることに。不安で一杯だ。早 めにニューヨークに着き、家族とは別に1人で出掛けたのだが、初日1人で入 ったコーヒー屋で全く店員の言うことがわからず、完全にパニックになってし まった。その状態で町を歩いている時、バスの横に貼ってある広告を見た。
「4週間で英語が話せるようになる」という広告だ。一大決心をして英語学校へ、 皆には内緒で通ったのだ。

10人ぐらいの個性的な生徒と巡り合い、先生が彼女にインドでは何をしてい たかを尋ねる。彼女は料理が大得意で、美味しいクッキーを売ったりもしていた と。それに対して英語の先生が一言「You are an entrepreneur(あなたは実 業家)」。この言葉は彼女を大いに勇気付けたのだ。しかし4週間の最後のテス トの日が不運にも姪の結婚式と重なったのだ。

その結婚式の当日、皆が順次スピーチをするのだが、彼女の番の時、夫は彼女は 英語が出来ないと言う。しかし、彼女は夫を制して、凛としたスピーチを行うの だ。彼女の話す英語は訥々ではあったが、その内容は感動的だった(これは映画 を見てのお楽しみ)。大喝采で、英語のテストも合格だ。なにより夫と子供と対 等に向かい合いたいという思いが伝わった。インドの話ではあるが、日本も含め 東洋での女性の立場(男性との対比にて)、女性の自立など深く考えさせられる 映画だ。女性が見るだけでなく、男性も是非見るべき映画だと思う。

次週、オーストラリアの冒険の3回目をお届けする予定です。


●第79回
「オーストラリアの冒険(3)”Surveyor”とは」

3カ月の滞在中に、3人のオーストラリア人が1週間ほどバーズビルホテルに 滞在するという珍しい出来事があった。当然のことながら不思議に思い、夕食 の時にはお互いに何をしに来てるのか、いろいろと話した。

まず私たち日本人がどうしてバーズビルくんだりまで来たのかその理由を説明し、「自然現象の研究も大変だ」との反応だった。続いて、彼らが何の目的でバーズビルまで来たのか尋ねると、彼らの職業は「Surveyor」という返事だった。
皆様もおわかりのようにsurvey(サーベイ)は「調査する」という意味だと 知っていたが、サーベイアの真の意味はわからず。辞書を引くと”測量技師”とある。土地の境界線などを決める仕事のようだ。初めて聞いた職業だ。
さらに”星(星座)”を利用するのだという。もちろん私たちもアンテナを立てる時方位を測る時に星を利用していたが。ある晩夕食後彼に星座を眺めようと屋外へ誘われた。南半球でしか見えない南十字星(サザンクロス)などいろいろ教えてもらった。しかし残念ながら私はあまりロマンチックではないのだ。

彼ら3人はブリスベーン(オーストラリアの東端)から来ており、彼らもバーズビルへ来るのに大変な思いをしているが、私たちに比べるとかなり楽だったようだ。たいした道ではないが、道とわかる道だったようだ。その数年後ブリスベーン在住の友人の教授宅へ招かれた時、もう少し「サーベイヤ」なるものを知りたくて、彼らを訪問しようと思ったが実現しなかった。


●第80回
「インドの聖地ヴァラナシ」

前々回インドの映画の話をしたことに関連して、インドの聖地ヴァラナシ (Varanasi)について書くこととする。

私の最も古い友人の一人がインド人のビルバル・シン先生で、彼の故郷がヴァ ラナシなのだ。
ヴァラナシにある世界的にも有名なBanaras Hindu大学を卒業し、 同大学に勤務した後、現在の赴任地アグラ大学へ移られた。シン先生は地震電 磁気研究をインド国内に導入した先駆者で、同国のこの分野の発展に著しく貢 献した。この業績を称えるため、当時の大統領がアグラ大学を訪問したことは 前にも述べたと思う。シン教授が主催した地震電磁気関係の国際会議(多分 2000年代)の時のことだったと思うが、会議の終了後是非とも彼の故郷ヘ来て ほしいとの強い要望を受けた。彼が生まれた所であり、しかもインドの聖地で もあり、かなりの興味もあったので御招待を受けた次第である。

アグラから長距離列車で聖地ヴァラナシの到着だ。かなりの長時間の旅であっ たろうが、二人でいろいろなことを話したせいで、それほどの疲労はなかった。 ヴァラナシはガンジス川沿いのヒンズー教徒の聖地なのだ。ガンジス川沿いの 薪を積み上げた火葬場などのテレビの映像で、死と隣り合わせの風景から近寄 りがたいと思われる方も多いかも。滞在したホテルはガンジス川には歩いて行 ける距離であった。シン先生に町内を案内して頂いた。ホテルを出た途端、い つもの人馬一体ならぬ人牛一体の喧騒だ。川付近には多くの店が迷路のような 町中に存在し、色々なものを売っている。お土産屋も多い。現地人だけでなく 観光客も目に付く。また、川沿いには死を待つ人々が滞在する館がずらっと並 んでいるが、私はそれほどの違和感はなかった。ゆっくり死を待つ場所がある のは結構なことでは!川沿いには数十個の火葬場があるとの事。その横では多 くの人が沐浴している風景だ。これが神聖なガンジス川か!ガンジス川の水は 1ヶ月たっても腐らないと言われるが、私の第一印象はなんと汚いことか。舟 に乗って川を眺めたが、改めて汚い川と思えた。ヒンズー教徒にとっては、沐 浴することにより罪を流し、そのうえ功徳を得られるのだろうが。沐浴するに は、川岸に作られた石の階段で川に入るのだ。
 
実際自分の目で一日だけだがヴァラナシの人々、文化などを見ることが出来た。
インドは貧富の差が一目でわかる大変な国なのだが、私は精神的に大好きな国 だ。ヴァラナシは何となく心を洗われる気がした心地よい訪問であった。


●第81回
「久しぶりの北海道」

現在AOGS(アジアオセアニア地球科学学会)という国際会議にて札幌に滞 在中だ。この会議は数回前に書いた電気工学の国際会議とは異なり、地球物理 の国際会議で、網羅する領域は広く、太陽から大気、海洋、更には地震までだ。
宇宙天気予報を中心としたスペース関係のあるセッションでの招待講演を頼ま れたのだ。特に、地震に伴う電離層擾乱とそのメカニズムについて話してほし いとのコンビーナからの依頼だ。

20件前後の論文のうち地震に関係するものが5~6件発表されたが、ほとんど が地震発生時の電離層の応答を論じたもので、これらはもうすでにほぼ解明さ れているのだ。私だけが地震前兆電離層擾乱を取り扱い、午後の最後(午後6 時前)の講演にもかかわらず40~50人の聴衆で、これらの人々に「電離層は 地震の前には擾乱している」ことを理解していただけたのでは!勿論どうして 電離層が擾乱されるのかというメカニズムはこれからの挑戦的なテーマなのだ と興味を持ってくれる人が現れればいいのだが。12分で終わるべき所15分目 一杯しゃべったが、発表後3~4人の方が多大の興味を示してくれた。

さて会議のこともさることながら、千歳空港からJRにて札幌駅に着いた時思 い出されたのが、札幌駅のプラットフォームの複雑な配置だ。1980年前後 (私が30~40才の頃)には北海道の母子里(もしりと呼ぶ)観測所へよく出かけ、 いろいろな仕事をした。母子里は名大空電研究所の重要な観測拠点だったのだ。 今でも母子里へ行くのは大変なのだが、当時は更に一層大変だった。
札幌からでも、旭川を経て名寄まで行き、そこから深名線(深川と名寄を結ぶ 線)でやっとの事母子里到着だ。豊川(愛知県)を朝早く出発し、夜遅く母子 里に着くのに完全に1日かかるのだ。この深名線は本数も少なく、日本で最も 採算の取れない路線の一つで100円稼ぐのに2,000円以上必要という路線で、し ばらくして廃線となり、バスに変わった。最悪なのは、真冬の母子里出張だ。 母子里周辺は日本国内の最低気温の記録を持ち、真冬には3m程度の積雪だ。
事実、私たちの母子里観測所の隣には北大の低温観測所があるのだ。JRの母 子里駅から観測所までは数100m程度なのだが、観測所が見えているにもか かわらず雪には慣れていない太平洋側出身者には30分以上かかるのだ。
3年間の母子里勤務においてその3分の1の期間が母子里滞在の状況であった。
豊川と母子里との往復の日々だった。

母子里は国内では一番高経度に位置しているので、いろいろな面白い観測を行 っていた。例えば、山奥(谷)でのVLF/ELF放射観測とそのデータの光 ファイバーケーブルによる観測所への伝送、また高さ45mの直交ループアンテ ナを用いたホイスラの方位測定など。
これらの仕事の発表により、”Moshiri”はスペースのいろいろな雑誌 等では良く知られることとなった。母子里出張は大変な思い出だが、若い時だ ったから出来たことだ。私の教授が1964年に設立したものを、私たちが大きく 育てたといえる。貴重な経験であるとともに今でも大きな力となっている。


●第82回
『新しい本が届いた』
 
私は日常主として電気通信大学のインキュベーションセンターのオフィスで仕 事をしている。お盆の時は大学も経費節約もあり、封鎖されるため、先週5日 間のお盆休みをとることが出来た。考えてみれば、2011年3月11日大震災以降 すこぶる多忙であったので、久しぶりのゆっくりした時間だった。疲労もたま っていたので、大変リラックスすることができた。

お盆休みの前の週に待ち望んでいたスルコフ・早川共著の新本、“Ultra and Extremely Low Frequency Electromagnetic Fields” が出版社(スプリン ガー社)より手元に届いた。知っていたとはいえ、480頁を超える大作で、本 を目の当りにすると感動を禁じ得ない。前にも述べたが、本の執筆は論文を書 くのとは比較にならない程の時間と労力を要するのだ。

3部構成だ。第1部は地球周辺の電磁界を扱っており、先ず地球内部磁界、続い て大気圏、電離層、更に大気電気を詳説している。

第2部は汎世界的共振現象が対象で、電離層大地導波管、地球磁気圏内の磁力線の共振現象や磁気圏内のULF放射など。これらの内容は基本的には新しいものではないが、私たちの趣味や私たちの最新の成果を盛り込むなど、他書とは一味も二味も違うものになっていると信ずる。

そして実は私たちは第3部を是非とも多くの人に読んでほしいとの想いから本書の執筆を決断したのだ。ほぼ半分の200頁をさいている。地圏内での電磁気現象を扱い、その物理メカニズムの基本を述べるのが主旨だ。

先ず、マイクロフラクチャに伴う電荷分離とそれによる電磁界の発生という基 本的考察、水を含む地圏での electro-kinetic効果、岩石破壊の室内実験 から始まり、災害に伴う電磁界をほぼすべて網羅している。即ち地震に始まり、 津波、火山噴火という自然災害だけでなく、人工爆発(核爆発など)にも及ん でおり、これらをULF/ELF電磁界の観測から調べようとするものだ。

実は第1校正の段階において、第3部には図の番号や式にも間違いが多数見つかり、大混乱だったのだ。第2校正にて完全に修正するのに大変苦労したのを思い出すため、本書の出版はとりわけ感慨深いのだ。本の出版は一般の人にはそれほど意味はないと思いますが、私たち科学者にとっては研究推進の重要な原動力となっているのです。同時に、自分自身にて、その分野の過去、現在、未来をもう一度見直すことも出来るのです。


●第83回
『地震予知の啓発は大変だ!!』

2011年の東日本大震災は巨大地震で、しかもその被害が甚大だったことから、 震災直後は地震予知への国民の関心はすこぶる高かった。しかし忘れ易い国民 性もあり、また3年の時間経過に伴い、かなり関心は薄れつつあると言わざる を得ない。もちろん原発問題はこれから何十年延々と続くため、私たちは地震 予知の重要性の啓発を続けるしかないと考える。

私は2011年3月11日以降、同年と2012年には少なくとも週に2回の頻度にて講 演会を行ってきた。いろいろな所からのご依頼によるものだ。規模は小さいも のは10人前後、通常は50人前後、大きいものは100人を超えるものなど様々だ。
しかも対象も多種多様だ。電気/電子工学に関する専門的な人々であったり、 全くの一般の方々であったり。私の講演内容も対象によりその都度変えている。
どの講演でもほぼ共通しているのは、8割前後の方々は「地震予知」の現状を ほとんどご存じないということだ。地震予知の定義すらあいまいな方、緊急地 震速報と間違えている方など。

私の講演のポイントは、(1)私たちは短期予知(すなわち地震の数日~1週間 程度前に、いつ、どこで、どの程度の規模の地震が発生するかを予測すること)を目指していること、(2)従来の力学的手法(地震計による)とは全く異なる手法(=電磁気的手法)を用いてること、(3)すでに地震との因果関係が統計的に確立している前兆があること、(4)また私たち地震解析ラボは地震予測情報の配信を開始している、などだ。

講演を聴かれた後は8割以上の方がすこぶる興味を持っていただけていると感じる。まったく新しいことを知ったと喜ばれ、強力な支援者になっていただいている人も増えている。私はこの種の直接的な啓発が最も重要な、しかも唯一の手段だと思っている。本年2014年は平均して月2~3回のペースにてどこかで話している。10人前後集まっていただければ、どこでも出掛けますのでお声掛け下さい。

皆さまは啓発の手段として「テレビ」の方がずっと有効だと思われるかもしれません。東日本大震災後の2011年、2012年にはBS放送からの依頼にて1時間番組や30分前後の番組にて地震予知の現状を詳しくお話しています。さらに地上波番組でもかなりの回数出演しています。個人的には私はあまりテレビ出演は好きではありませんし、反応がよく判らないのが気になります。

結論として、やはり昔の人間である私はテレビ出演よりも顔を見ながら人々の反応を確かめながらの講演会が一番だと思っています。明らかに効率的ではないと思いますが、地道に続けていきたいと考えています。


●第84回
「ある本の思い出」

2012年、すなわち東日本大震災の1年後に私が編者を務めた「地震予知研究の 最前線(英語タイトル The Frontier of Earthquake Prediction Studies)」 という本が日本専門図書出版(株)という出版社より出版されたことを覚えてい る方もみえよう。

世界中で厳しい状況の中、地震予知研究に精力的に取り組んでいるすべてのグ ループに、研究の動機からはじまり、最新の成果までまとめて書いてくれるよ うに依頼したものだ。皆様大変忙しいにもかかわらず、執筆を快諾していただ いた。全体800ページという大作で、日本専門図書出版の社長篠木さんも大喜 びだった。同出版社にとっては初めての英語の本なのだ。もちろんこのため編 集において多くの困難に遭遇したのだが。

ここで強調したいことは、最終的に出版は2012年になってしまったが、実はこ の本の企画は東日本大震災の1年以上前だったことだ。篠木社長が指摘された ポイントは、(1)地震予知は地震国日本として最も望まれる課題だ、(2)地震の 短期予知には電磁気現象を中心とした手法が最も有望そうだ という2点だ。
この考えに基づいてこの学問に携わる世界の学者の成果をまとめた本をぜひ作 りたいとの要請を受け、私は即座に「やりましょう」とお答えした。同出版社 は「災害や防災」を中心テーマとして掲げているのだ。大変残念ながら同社長 は先月70代半ばだったと思いますが他界されました。ご冥福をお祈りします。

私たちNASDAフロンティア(1996~2001年)の成果を同出版社より出していただ いた(2002年)のが、最初の出会いでした。お酒好きの社長と同社のある飯田 橋近くの居酒屋にてご一緒したのが思い出されます。

この本は代議士数100人に贈呈していますが、ほとんど反応がありません。し かし研究者の間では評価されています。ある米人研究者が国際会議においてこ の本の写真を示し、「The Bible of Seismo Em(地震電磁気現象のバイブル)」 と言ってくれたのには、感謝感謝です。


●第85回
「若者の転職すごい!」

新聞などの情報によると、大学を出て就職した後3年以内に離職する若者が約 3割とのことだ。学生の立場から考えると、会社へ就職してみてはじめて、会 社の本当の雰囲気とか、上司とのマッチングなどが問題になるのでしょうか?

さて、私の研究室を卒業し、大手通信会社に就職していた卒業生が数日前に来 訪した。同君は小生の研究室において地震に伴うULF放射に関する研究を行 い、博士(工学)を取った学生だ。ハードもソフトも出来る優秀な学生だった。

同君の話の内容は、4~5年勤めた大手会社を辞して、新しい会社に就職した という再就職の報告だった。新しい会社はGPSシステムを扱う会社との事。
私が現役教授として数度就職担当をした時には、最近の若者は「寄らば大樹の 陰」という保守的な考えがすこぶる強いように感じていた。従って、同君の転 職には強い衝撃を受けるとともに、若者のたくましさに触れた感じだ。私なぞ そんな勇気もないし、出来そうにもないことだからだ。

彼曰く、元の会社の方向性にも少々疑問が出て来たし、また何か新しいことを やりたいとの思いもあったとのこと。そんな折、ある人の誘いで転職したと。
しかし、やはり大会社での4~5年間貴重な教育を受けた事には感謝している とも。一度は大会社の組織とは何かを知ることの重要性か!

電通大インキュベーション担当の先生との話では、もっと刺激的な話も。特に 外資系企業では“プロジェクト制”で動いているので、あるプロジェクトが終 了すれば、直ちに別の部署に移るか、あるいは、辞めて別の会社に行くとのこ と。これが最近の若者だという。こんなことを見聞きすると、日本の将来も頼 もしい限りだと思う一時であった。


●第86回
「ラウンドアバウト!」

最近の報告では日本でも「ラウンドアバウト(Roundabout)」がいろいろな街 に導入されようとしているとのこと。今時この言葉を聞くようになろうとは。 現代的ラウンドアバウトはイギリスが発祥だと思うので、ほぼ40年前のイギリ ス滞在時(1975~1976年)の車事情などを書くとしよう。

イギリスは私の初めての出張先であり、また若い科学者が外国へ留学すること 自体極めて珍しい時期だった。幸運なことに日本学術振興会の倍率が約10倍の 面接に合格したせいか、滞在費(月給)も良いものだった。英国中部の工業都市 シェフィールドは暗い雰囲気の街で、そこにあるシェフィールド大学の物理科 へ10カ月(延長して1年)客員講師として滞在した。当時同大学のスペースグル ープはカイザー教授、プロウ博士という2人の偉大な指導者が最も輝いていた 時であり、世界で5指に入るグループで、外国人の来訪者も多く私もその1人 であった。

さて車の話に戻ろう。イギリスのいろいろなところへ出掛けたいと思ったので、 どうしても車を手に入れる必要があった。もちろん新車は買える状況ではなく、 中古車を探すことになる。中古車の売買は新聞記事で行うのがイギリスの常だ。
直接その人のところへ出向き、車を見て値段の交渉となる。悪そうなところを あげつらって値段を下げるのだが、こんな芸当は英語が完璧でないと絶対不可 能だ。その時は英国人に同行してもらったと記憶している。この車が私たちの 楽しかったイギリス滞在での唯一しかも最大のトラブルの源となった。エンス トや冬にはエンジンがかからないなど、エンジントラブルに悩まされた。英国 製のサンビームだった。車を押す羽目になるなら、もっと軽いフォードにして おけば良かった。

この問題車でチャトワース宮殿などシェフィールド周辺のいろいろなところを 訪ねたが、信号は非常に少なくラウンドアバウトがほとんどだったと思う。最 初は少々戸惑ったが慣れればこれは実に効率の良い、しかも安全な交差点とな る。一度イギリスにて運転された経験のある方なら同意してくれると信ずる。
もちろん絶対的交通量の多いところでは無理なことはわかっている。ラウンド アバウトとは、1960年代にイギリスで考案されたルールのようだが、環道内の 車両が優先して通行するというものだ。この現代版ラウンドアバウトは一般的 交差点を通過する際の遅れを最小限に押さえつつ、旧来の円形交差点の重要な 安全性の問題を解決したものだと言えよう。


●第87回
「インド新首相の来日を祝して」

本年8月末から9月上旬にかけて、インドの新首相モディ氏が来日され、精力的 に日本の政治家、経済人の多くと会われたとの報道を見られた方も多いと思う。

9月2日の昼食時に「インド新首相モディ氏を祝う会」が民間団体のインドセン ターの主催で椿山荘で開催されるので、是非出席してほしいとの招待状が届い た。インド新首相は比較的貧しい家庭で生まれ育ったにもかかわらず、経済人 として成功された御方であり、どんなお話をされるのかを期待して参加した。
約1000人の参加で、政治家や経済人がメインテーブルに陣取っていた。私も二 列目のVIP席に座らせていただいた。食事はフルコース料理であるが、イン ドの香りのするものだ。残念ながら、待てども御本人は現れず、代理人が登壇 し、誠に申し訳ないが、午前中の日程がずれ込み、出席できないとのこと。
御本人の人柄とお話をテレビではなく、間近に見たかったのですが、極めて残 念だった。

日本へ最初に降り立たれたのは京都であった。実は御本人が私のメルマガでも ご紹介した、ガンジス川沿いのヴァナラシのご出身とのこと。インドのヒンズ ー教の聖地であり、古い町であることから、日本の古都京都との姉妹都市の締 結を強く望まれたとのこと。

モディ首相のいろいろなところでの話から察すると、「日本を重要なパートナ ー」と真に考えていると思われる。極めて妥当な考えでは。経済分野での連携 は安倍首相が旗振りをしているが、科学分野でも良いパートナーになれると思 う。事実、私の親友B.Singh教授が約15年前にインド国内にはじめて『地震予 知学/地震電磁気学』を導入し、最近では隆盛を極め、インドの各地において 多くのグループが活動していることは誇らしい限りだ。


●第88回
「日本地震予知学会の発足」

昨年から皆様と設立を目指してきた「日本地震予知学会」が一般社団法人とし て本年7月に正式に認められました。地震の短期予知を標榜する学会は世界で も初めてのものだと思います。
この日本地震予知学会は、地震の先行現象を総合的に、また学術的に議論し、 地震の短期予知の実現に貢献したいとの強い思いで設立したものです。

地震の長期予測、中期予測に比し、地震の短期予測は社会的ニーズが高いにも 関わらず、極めて困難な課題と考えられています。
およそ20年前より研究が始まった新しい地震電磁気現象が短期予知に有望であ ることが分かってきましたが、その物理現象は多くの謎に包まれています。
更に地震予知の課題自体が多くの学問分野にまたがり、極めて学際的であるこ とから、異分野の研究者の協力が何よりも重要と考えます。

「日本地震予知学会の設立について(趣意)」
(
http://www.eqpsj.jp/prospectus.html)には、学会の目指すところ、地震の 短期予知の重要性、地震予知研究の経過と将来、学会の設立時宜、学会の役割 を詳しく記しています。
色々な分野の方々に積極的にご参加いただき、是非とも本学会を盛り上げてい ただくことを切にお願いする次第です。

第1回の学術講演会は12月25日(木)、26日(金)の二日にわたって電気通信 大学にて開催されます。一般講演の募集も開始しております。ホームページを ご覧いただき、是非ご投稿ください。
http://www.eqpsj.jp/symposium.html


●第89回
「久し振りの中国!」

本年8月中国北京でわたしにとっての主要な学会、URSI(国際電波科学連合)総 会が開催されたが、私の様な老人はもう邪魔であろうと、また北京の大気汚染 も大変気になった事もあり、出席しなかった。

しかし、9月上旬の数日間、私にとって全く新しい、ある中国の土地を訪ねた。 久し振りの中国だった。
本年4月末に横浜で開かれたJPGU(日本地球科学連合)総会直前に、ハルピン工 科大学の、ある教授より一通のメールが突然届き、是非とも電通大を訪問し、 地震予知の種々の討論をお願い出来ないかとの事であった。

大学を訪れたのは、Qiao(チィアォ)教授と若い研究者3人と日本語通訳という 編成だった。現在の私にとっては何と大きなグループか!
先ず、同グループの話即ちJPGUで発表する論文を披露してもらった。

内容は、早川他(2005年)の1999年台湾集々地震の時の日本国内(中津川観測 点)でのシューマン共振に異常が出ている論文を参考に、2011年東日本地震の 時にQiaoグループの雲南観測点でのシューマン共振データに同様の異常が出て いることを示したものだ。
内容は、すでにJGR(米国地球物理学会誌)に発表しているとの事だったが大変 興味深いものだった。

続いて、私たちの日本地震予知学会全般と、私たちの最重要項目「VLF電波に よる電離層モニタ」について詳説した。数時間の討論の後、教授より是非一週 間程度ハルピン工科大学へ御招待したいとの話があり、今回の訪問はこれに応 じたものである。

ハルピン工科大学は中国国内でのTop10内の大学とのことで、メインキャンパ スは勿論ハルピンなのだが、私が訪ねたのはその第二キャンパスなのだ。
山東半島の先端の威海(Weihaiと呼ぶ)にある。実は、日本から極めて近いの だ。
成田からソウルまで2時間、ソウルから西へ1時間、正味は3時間のフライトで 威海へ到着する。勿論、飛行機のため待ち時間など考えると1日仕事だが。

第二キャンパスとしてこの地を選んだ最大の理由は、その温暖な気候だという。 すがすがしい天気の数日であった。海に近いため、ホテルから歩けばすぐに ビーチだ。海岸は松林が続く、白砂青松だ。実は砂は白ではなく黄色だが。

韓国にも地理的に近く、当然のことながら韓国人も大変多く、そのせいかやけ に韓国料理店が目に付く。更にロシア人も多いとか。北京のような大都市では なく、人口50万強の中規模ではあるが、国際的で、住み易い町と感じた。
町には東京と同じ外国有名ブティックの入った百貨店もあるが、一番印象的だ ったのは豊富な海産物と果物だ。

最後の日の宴会は、高級チャイニーズ料理店でおもてなしいただいた。
ナマコから始まり北京ダックも含め実に美味しいものだった。久し振りの大満 足のチャイニーズだ。

次回はここでの共同研究について書きます。
私の予想と全く異なる展開だったことを。


●第90回
「ハルピン工科大学での驚き」

9月上旬ハルピン工科大学の第二キャンパスに招待された事は前回のメルマガ で書いたが、チィアォ(Qiao)教授グループには、幾度となく驚かされた。
失礼ながらチィアォ教授はそれほど国際的に著名な方ではないことから、良く 存じ上げないこともあり、驚いた事が多くあった。

同教授は第二キャンパスが山東半島の威海(Weihai)に20年前に開設されて以 来永らくそこの学長を務められていた先生だ。同先生の専門はレーダーという ことで、私とは同門だ。即ち電気/電子工学出身なのだ。

教授は3つの研究テーマを持つ:(1)地震予知、(2)レーダー、(3)月ミッショ ン。現在は、本業の(2)の比重が下がり、(1)、(3)のテーマが主になっている。
各プロジェクト毎に研究者3~4名が配置され、勿論その下には大学院生が10名 以上はいるのだ。その為ほぼ20部屋を擁する1フロアすべてが同先生に属する。
驚異的な大グループだ。

小生の集中講義と共同研究に関する討論を通じて、同教授の学術的実力と明確 な方向性を感じることが出来、すこぶる有意義なものとなった。アドミニスト レーションにお忙しいためではないかと思うが、先生のやり方は大方針だけを 示し、「あとは研究者自身考えよ」だ。また、小生とは異なり、極めて穏やか なお人柄にも惹かれる。

地震予知プロジェクトチームは比較的最近出来たようで、三人の研究者による 編成だ。すべて女性だ。そのうちの一人は現在M.I.T.へ留学中だ。この チームの観測の中心がELFシューマン共振現象なのだ。どうしてシューマン共 振を選んだのか尋ねたが、色々な研究テーマに使えそうだからという返事だっ た。5年前にシューマン共振の観測点を中国国内に5箇所設置している。威海と 雲南4箇所だ。地震に伴う前兆現象とシューマン共振を用いた世界雷活動のモ ニターを研究対象としている。

今後私たちと共同研究をスタートすることになった。Zhou博士も英語はまだ不 充分であるが、学術的活動は仲々だ。JGR(米国地球物理学会誌)に出た論文も 自身が書いているとの事。良く書けた論文だ。東洋人の一般的な傾向として、 書くのはかなりいけるが、会話は今いちだ。しかし中国の若い人だからすぐに 英会話も私たち以上に上手くなると信ずる。彼女は3次元の電磁界解析法も開 発しており、そのことを考慮して、共同研究出来そうな課題を帰国前に5~6項 目書き出したので、面白い仕事、特に新しい方向性のテーマが出来そうで大い に楽しみである。


●第90回
「ハルピン工科大学での驚き」

9月上旬ハルピン工科大学の第二キャンパスに招待された事は前回のメルマガ で書いたが、チィアォ(Qiao)教授グループには、幾度となく驚かされた。
失礼ながらチィアォ教授はそれほど国際的に著名な方ではないことから、良く 存じ上げないこともあり、驚いた事が多くあった。

同教授は第二キャンパスが山東半島の威海(Weihai)に20年前に開設されて以 来永らくそこの学長を務められていた先生だ。同先生の専門はレーダーという ことで、私とは同門だ。即ち電気/電子工学出身なのだ。

教授は3つの研究テーマを持つ:(1)地震予知、(2)レーダー、(3)月ミッショ ン。現在は、本業の(2)の比重が下がり、(1)、(3)のテーマが主になっている。
各プロジェクト毎に研究者3~4名が配置され、勿論その下には大学院生が10名 以上はいるのだ。その為ほぼ20部屋を擁する1フロアすべてが同先生に属する。
驚異的な大グループだ。

小生の集中講義と共同研究に関する討論を通じて、同教授の学術的実力と明確 な方向性を感じることが出来、すこぶる有意義なものとなった。アドミニスト レーションにお忙しいためではないかと思うが、先生のやり方は大方針だけを 示し、「あとは研究者自身考えよ」だ。また、小生とは異なり、極めて穏やか なお人柄にも惹かれる。

地震予知プロジェクトチームは比較的最近出来たようで、三人の研究者による 編成だ。すべて女性だ。そのうちの一人は現在M.I.T.へ留学中だ。この チームの観測の中心がELFシューマン共振現象なのだ。どうしてシューマン共 振を選んだのか尋ねたが、色々な研究テーマに使えそうだからという返事だっ た。5年前にシューマン共振の観測点を中国国内に5箇所設置している。威海と 雲南4箇所だ。地震に伴う前兆現象とシューマン共振を用いた世界雷活動のモ ニターを研究対象としている。

今後私たちと共同研究をスタートすることになった。Zhou博士も英語はまだ不 充分であるが、学術的活動は仲々だ。JGR(米国地球物理学会誌)に出た論文も 自身が書いているとの事。良く書けた論文だ。東洋人の一般的な傾向として、 書くのはかなりいけるが、会話は今いちだ。しかし中国の若い人だからすぐに 英会話も私たち以上に上手くなると信ずる。彼女は3次元の電磁界解析法も開 発しており、そのことを考慮して、共同研究出来そうな課題を帰国前に5~6項 目書き出したので、面白い仕事、特に新しい方向性のテーマが出来そうで大い に楽しみである。


●第91回
「グルジアのスピタク地震」

10月下旬に“グルジア(英語読みだとジョージア)”国の大統領が来日の予定と の事から、グルジアに関連するスピタク地震について書きます。

「グルジア」は旧ソ連の一つで、かつての独裁者スターリンの出身地として知 られている。もう一つ有名なのがグルジアワインだ。グルジアワインが日本で も知られるようになったのは最近だが、15~16年前モスクワのガルペリン先生 (故人)宅へ夫婦でお招きいただいた時の事。先生が私たちのためにわざわざ買 って来てくださったのがグルジアの赤ワインだった。私は酒の知識は極めて乏 しいが、大変おいしかったものだったのでよく覚えている。

続いてグルジアと言えば、私たち地震予知学に関わる者にとってはスピタク地 震が挙げられる。1988年グルジア・スピタクで発生した大地震(M8)の際、UL F(ultra low frequency)電磁放射が受信された。

発見したのはサンクトペテルブルグにあるIZMIRAN研究所のユーリ・コピテン コ教授だ。100km程度離れた観測点での磁場観測から、地震の前にULF放射が発 生していることを示した世界最初の論文を発表した。

同教授とは2011年東日本地震の際のULF放射やその津波によるULF変動など、今 も共同研究を続けている。本人にはスピタク地震に関する論文を書いた際の心 境を聞いてはいないが、それなりの覚悟で書かれたと信ずる。

スピタク地震の1年後、米国カリフォルニアのロマ・プリエタ地震のULF放射は、 スタンフォード大学のフレザ・スミス教授が米国誌に発表している。しかし同 先生、実はロマ・プリエタ地震のULF放射の論文は執筆すべきか否か大いに迷 っていたとの事。

その時、コピテンコ教授の論文(ロシア語で書かれていたが、アブストラクト は英語で書かれていた)を見て、強く背中を押されたと告白されていたことを 記憶している。最初の論文を発表する時の不安や気迫が伝わってくる。


●第92回
「神戸地震の時の電離層擾乱」

前回のメルマガでは、地震前兆ULF電磁放射の先駆的論文について書いたので、 今回は僭越ながら神戸地震の時の電離層擾乱の私たちの論文(1996年)について 書く。

実は神戸地震(1995年)の少々前に、ロシアのある先生が是非とも共同研究をし たいので、訪日したいとの申し入れがあった。彼らが言うには、地震の前には VLF/LF送信局電波に異常が発生するとの事で、数イベントを例示してきた。し かし、その異常波形は振幅(位相)データにおいて矩形状の変化を示し、どうみ ても人工雑音にしか私には映らなかった。そのため共同研究はお断りした次第 だ。彼らはこれらのデータを用いて、ローカルな雑誌に1遍の論文を発表して いた。

そして、1995年に神戸地震が起きた。その惨状はすさまじいものであった。こ の時、私たちは地震電磁気学を本格的に開始する前ではあったが、1993年には 人工衛星で観測されたVLF/ELF電磁放射データを盟友モルチャノフ教授ととも に解析し、論文を既に発表はしていた。しかし、地震前兆現象については半信 半疑の状態であった。神戸地震の数ヶ月後、通信総合研究所(当時)犬吠埼観 測所へ出向き、VLFデータを見せてもらった。モルチャノフ教授と大学院生(川 手君)の三人で。勿論昔のデータであり、いわゆる紙チャートのデータで、九 州対馬にあったオメガ局(~10kHz)送信局電波のデータだ。前述したロシア 人たちの結果では、夜間の振幅(位相)のゆらぎが地震前には増加するのが前 兆だとしていた。

夜間データを重点的に見たが、確かにそのゆらぎは上昇しているものの極めて 顕著というほどではなかった。駄目かなと思った。そこで翌日、1日毎のデー タをコピーし、縦にデータを並べてみた。この操作が大発見につながった。日 出、日没付近の振幅(位相)の最小を示す時刻(ターミネータ・タイム)が有意 に、しかも地震の前3~4日だけ変化していたのだ。VLF電波伝搬理論を用いて、 このターミネータ・タイムのずれが、電離層が数km低下していれば説明できる のだ。無論、その時点では、そのメカニズムは不明だが。

私たちにとってこれは画期的な発見であり、地震に伴う前兆現象は存在するこ とを確信する事件だった。直ちに論文にまとめ、世界の一流誌(Geophysical Research Letters)に投稿した。しかし惨々な結果だった。査読者はなんと4 人。電波屋二人、地震学二人。通常査読者は2名程度なのに。先ず電波屋二人 は全く同じ反応で、大変革新的であり、即掲載すべきという。他方地震学の2 人は真逆の反応で、「たった1例では意味がない」という。最後は編集者(エ ディタ)の決定によるが、見識のないエディタでリジェクト(不採用)の憂き 目にあった。これ以来リジェクトは慣れっこになった。名誉な事とすら考えら れる様になった。

最終的には、本研究は通信総合研究所との共同研究でもあり、同研究所の雑誌 に出していただいた。勿論査読はあったが。私たちの神戸地震の時のVLF伝搬 異常の図はその後多くの研究者に引用され、例えば仏国衛星DEMETERの企画パ ンフ(~2000年前後)にも引用されている。近年、世界中で「地震と電離層」 に関する研究が隆盛を極めているのを見ると、嬉しい限りである。


●第93回
「久しぶりの地震予知不可能論者のレフェリーが!」

実は、最近こんな論文を投稿したのだ。ULF電磁波信号が本当に地震に関係し て発生しているのか?は、神のみぞ知るである。しかし、それなりの信号処理、 しかも最新の考え方に基づく信号処理を駆使すると、地下の震源での破壊の臨 界状態を調べることが出来るのだ。難しい言葉で言うと、自己組織化臨界性と 言う。

一つの方法は、ULF磁場変動に対するフラクタル解析だ。フラクタルとは何 か? 図形には、2種類ある。特徴的な大きさを持つもの(例えば、人間なら 身長は凡そ160~170cm)と、特徴的な大きさを持たないもの(フラクタル図 形)とがある。後者の例は、リアス式海岸とか雲だ。小さなスケールで見ても、 大きなスケールで見ても同じ形をしている。地下の震源での圧力上昇により、 ひび割れ(クラック)が成長して、フラクタル的になり、破壊に繋がるという 考えだ。この概念に基づいてULF磁場をフラクタル解析で調べると、真に破壊 (地震)に近づいているか否か、即ち地震に伴うものか否かが分かるのだ。

もう一つの方法は、近年ギリシャグループにより導入されたNatural time(自 然時間)法だ。基本的な概念は、上記フラクタル解析と同じだ。この手法をUL F放射に適用した論文を書いたのだ。ギリシャグループとの共同研究として行 ったもので、結果はかなりの有望だったので、論文として投稿した。ところが、 二人のレフェリーのうち一人が久しぶりの”地震予知不可能論者”だったのだ。
ULF前兆現象は信用できないと、前兆現象は間違いだとする論文を大々的に引 用せよとか、また、他の前兆現象も信じられないとの事。如何に対応しようと 思ったが、打つ手なしだ。無駄な時間を使って再投稿しても、意味がないこと は分かっている。過去に、多くの学習をしているからだ。雑誌を変える以外に 方法はないかとの結論から、別の雑誌に変えて投稿している。

最近は多くの雑誌で地震に伴う電磁気現象は認知されつつあり、レフェリーが 積極的にコメントして頂く方向になっているが、久しぶりの反応だった。1996 年の私の最初の論文(前回のメルマガ参照)時の反応、即ち20年前の反応と ほぼ同じだったのだ。


●第94回
「最近の論文は不愉快なものが多い!」

今、2008年5月12日、中国南部で発生した四川大地震(M7.9)の際の電磁気現 象を調べている。調べたいことは電離層内での擾乱が対象だが、地圏の効果が 如何に電離層まで影響するかのメカニズムを解明する手掛かりを得たいのだ。
即ち、まだ誰もやっていない電離層の下部と上部擾乱を連結したい。

そのため、四川大地震の震央近くの数地点でのULF磁界変動を調べ、特に私た ちが近年注目している磁界水平成分の減少(低下)を用いて、下部電離層の前 兆的擾乱を見い出すのだ。少なくとも地震前後1年程度のデータを用いた解析 を現在行っており、それなりの結果は出つつある。

上部電離層の擾乱に関する論文を集めた。ボトムサイドサウンディング(地上 からのVHF電波の打ち上げによってF層の電子密度(foF2)を決める)に基づく論 文、GPSTECデータから何か異常があることを示す論文など、かなりの数の論文 がすでに出ている。又、人工衛星データを用いた論文も発表されている。しか し、多くの論文は、地震の前1週間程度のデータだけを見ているだけだ。電離 層は古くから知られている様に、きわめてダイナミックに変化するところだ。
1週間のデータを調べただけでは地震の前兆だとは結論できないのは素人でも 分かる。とても不愉快な状況だ。もちろん、地震前後数年のデータを調べてい る研究者の論文もあるのだが。

すでに地震に伴う電磁気現象の存在は認められつつある。即ち、私達を含め多 くの先人の努力により、その統計的因果関係が確立しつつあるからだ。勿論、 依然として根深い偏見と批判はあるが。最近の若い人たち、特に、中国人、イ ンド人の論文は、地震前1週間だけを調べるに過ぎないものが多い。この種の 論文の発表は、全体の学術分野を著しく損なうことが危惧される。私がレフェ リーの時には、解析期間が短いだけでリジェクトしている。エディターの高い 見識も問われていると言える。若い人々には、学術的には厳しい、真摯な態度 で対応すべきである。


●第95回
「仏国研究所のランチは最高!」

最近は大学の学食(学生食堂)も様変わりしている。とりわけ、私立大学では各 種の取組みに積極的だ。モダンな食堂を作るだけでなく、メニューにも趣向を こらしているという。栄養バランスの偏りがちな学生の健康増進のためのメニ ューだったり、地域と協力したメニュー作りだったり、地域の人たちに学食を 開放したりなど。国立大学でも大きな大学では従来のような学食からフレンチ 料理も出すレストランまで備えている所もある。学食は大学の福利厚生施設の 一つだが、少子化時代には学生が大学を選ぶ重要な要因の一つとなっている。 ランチの時に今日はあれを食べたいという欲望は、学生にも職員にも大きな力 になるのではないか。残念ながら、電通大は極めて小さな大学のせいかもしれ ないが、うちの学食は最低だと言わざるを得ない。メニューを選ぶ楽しみ、悩 んだりする楽しみがないのだ。

学食に関連してすぐに思い浮かんだのが、私が1980年~1982年に滞在した仏国 の研究所でのランチだ。子供(当時小学生)を日本人学校へ通わせるため、パ リに住んでいたが、私の勤務する研究所はロワール河沿いのオルレアンにある のだ。オルレアンは国立の多くの研究機関で構成される、日本での筑波のよう な学園都市だ。私たちの研究所はスペース(宇宙)を対象とした研究所で、職 員100人前後の規模だが、そこでのランチが忘れられない。何と、毎日フル コースなのだ。前菜としてサラダなどを選び、メインディッシュは肉か魚かを 選ぶ。続いて、デザートとしては果物か各種スイーツから選ぶ。それに水ない しワインだ。しかも、メインディッシュの肉も魚も充分なボリュームと美味で、 一食にて満足でき、食後は眠くなるのだ。

もう一つ面白いのはそのランチの値段なのだ。役職、即ち給料によって料金が 異なることだ。私は仏国給費留学生(給料5~6万円/月)の立場で、極めて合 理的な値段だったと記憶している。留学生料金に対して、教授クラスは約2倍 の料金を支払うのだ。同じものを異なる料金で食べるという発想はフランスら しい。日本では考えられないことではないでしょうか。実は私は滞在してしば らくしてから、給費留学生給料に加えて研究所よりそれなりのプラスの給料を もらっていたが、その時には教授クラスのランチとなった事は言うまでもない。


●第96回
「日本地震予知学会設立記念集会は盛会でした!」

先月末の11月26日に衆議院第1議員会館において学会発足式にあたる上記の集 会を企画し、大盛会に終わることが出来、学会の第一歩としては一安心です。

実は11月10日前後に、いつもお世話になっている元衆議院議員加藤尚彦先生よ り電話があり、小生の出張状況を尋ねられ、可能なら議員会館にて11月26日に 学会発足会を設定するとの事でした。加藤先生は地震予知の重要性、地震学と 地震予知学の違いなどよく理解していただいていました。田中和徳先生(解散 したので、前衆議院議員)にもここ数年各種資料や予算案などお送りし、ご理 解していただいていました。勿論、議員会館ではここ数年で4~5回講演会を開 いており、他にもかなりの代議士には地震予知についてお話ししていますが。
民主党の先生にも。

このように急な日程設定であり、多数の方にはご出席いただけないものと心配 していましたが、予想に反し40名強の方々にご参集いただき、会議室は溢れん ばかりの大盛況で終了することができました。積極的にご協力いただいた方も 多数あり、感謝、感謝です。

もともとこの日程設定は国会会期の終盤に議員会館にて開催することで、多く の代議士の関心を引きたいと考えていましたが、その後の安部政権の突然の解 散となり、政局の変化により政治家の先生方の出席も危惧されました。このよ うな状況の中、田中和徳先生はご挨拶いただけることになっていましたが、平 沢勝栄先生にもご挨拶いただきましたことは感謝です。11月初めにある方とと もに議員会館にて平沢先生にも地震予知の重要性をお話ししましたが、国交省 気象庁の予報課長を呼びつけられ、地震予知は出来ないとの事を聞かされてみ えました。私に向かって、予知は出来るのか出来ないのかと問われても?
社会の考えが二分する様な時にこそ、政治家の出番で、政治決断ではないでし ょうかとお答えしました。

会長挨拶では学会設立経緯について紹介し、続いて理事、監事の方々及び名誉 会員の紹介を行い、引き続いて二件の招待講演を行いました。上田先生には地 震学と地震予知学の違いについて地震予知の歴史も含めてお話いただき、参加 した方には極めて有用であったのではと思われます。早川は地震予知学の現状 と将来と題して、日本が先導する種々の学問業績の紹介を行いました。最後に 皆様からのご支援を今後ともお願いしたいということで設立記念集会を無事終 了いたしました。

今後は、学会として粛々と学会活動、学術講演会を進めていく所存です。
これしか社会に訴える方法はないと思います。


●第97回
「懐かしい話やお互いの近況など」

私事で恐縮ですが、息子(画家)の個展が10月18日(土)から26日 (日)まで、東京渋谷にある東急文化村のギャラリーにて開催したのですが、 大変多くの方に見て頂いたことに心より感謝しています。この様な機会には久 しくご無沙汰している方にお会いできると言う楽しみもあるからです。勿論、 年を取って来ているので、土日位にしか会場には行けなかったのですが。珍し い人には、ギャラリー隣のカフェか奥のドゥマゴ(カフェであり、レストラ ン)にお招きして、ゆっくり話せるのです。昼間のことなので、ドゥマゴの オープンテラスで喫茶を楽しむことが出来るのです。懐かしい話やお互いの近 況など。

個展の後、女房と夜の御飯をと考え、レストランの方に初めて入ったのだ。パ リの雰囲気の高い天井のシックで落ち着いたレストランです。メニューは仏国 料理かと思いきや、その中で私たち二人の目に留まったのが、フィッシュ&チ ップスだ。イギリスの典型的な庶民メニューだ。これも含めてオーダーしたが、 味も美味で大満足で、ゆっくりと良い時間を過ごした。又、料金も予想より ずっとリーゾナブルで、予想外の発見だった。

このドゥマゴの本店は、パリの地図で言うと、セーヌ川の下の位置する中心街、 サンジェルマンデプレ界隈だ。サンジェルマンデプレ教会の周辺地域で、数回 は訪ねた事があるが、あまり強い印象はなかった。数日前のテレビで、この地 域の特集をしていた。この教会の周辺に三つの老舗カフェがあり、その一つが ドゥマゴだ。

Les Deux Magots は二つの人形の意味で、グロテスクな東洋タイプの二つの人 形が本店にはあることからその名が付いているとの事。この地域は大学、美術 学校などの芸術的側面の強い一方で、パリの高級服飾店も立ち並ぶ、極めてパ リらしいシックな装いの町なのだ。近くの別の教会に行くと、巨匠ドラクロワ の壁画を見る事もできる。今度は、もう少し知識を持って行ってみたい地域だ。
カフェでゆっくり一時間ほど本を読み、論文を書いたり、フランス美人を眺め るのが滞仏中の大きな楽しみであった。


●第98回
「ニュージーランド オタゴ大学との協力!」

数日前、テレビでニュージーランドのダニーデン(Dunedin)の映像が流れてい たので、同所にあるオタゴ大学との協力について述べよう。

ダニーデンはスコットランド自由教会からの移民たちにより開拓され、ゲール 語でエディンバラを意味するダニーデンと名付けられたとの事。数度訪れてい るが、スコットランド文化を強く感じる街である。1861年に市の近郊の渓谷か ら金脈が発見され、ゴールドラッシュが起こる。世界各地から採掘者が訪れ、 ダニーデンの人口は著しく増加し、産業拠点として栄えた。ほぼ10年にてゴー ルドラッシュは終焉するも、経済的繁栄によりダニーデンは重要な街として発 展した。

同市にあるオタゴ大学はニュージーランド南島の高等教育機関で、1869年に創 立されたニュージーランドで最も古い大学である。同大学の物理グループは 1960~2005年の間、スペース(宇宙)物理分野では重要な貢献をした。私も尊 敬するDick Dowden教授が率いたグループで、私より5つ以上年上の先生だが、 大変お世話になった。日本とオーストラリア、ニュージーランドとは磁力線で 繋がった磁気共役関係があることから、同グループとは、幾度となくオースト ラリア、ニュージーランドでの共同実験を行った。共同研究するには、相手の 人柄もあるが、最も共感できたのは、同教授の電波に対する考え方が私とは一 致していた事だ。私たちグループは永年にわたり電波の到来方向を決める技術 を開発するなど、電波の全貌を把握しようとする姿勢だった。電波の振幅(強 度)だけでなく、その位相にも注目することだ。

更に、Dowden教授には、現在私たちが国内外で使用しているVLF/LF送信局電波 の受信システムの共同開発とそのネットワーク展開で協力いただいた。1970年 代にはVLF/LF電波研究は完全に終息したが、1980年代にこのVLF/LF電波が息を 吹き返した。即ち、下部電離層をモニターすることが色々な分野にも重要な テーマとなって来たのだ。先ず、雷からの電波が磁気圏内を伝搬し、赤道面領 域にて高速電子と相互作用し、その結果、高速電子が下部電離層へ降下し、異 常電離を引き起こすのだ。このトリンピ現象はスタンフォード大学の発見で、 これを調査するにはVLF/LF電波しかないのです。続いて、雷からの電波が直接 下部電離層を加熱電離することがDowden教授により発見され、現在も多くの研 究が続いています。私たちは地震に伴う電離層の乱れをVLF/LF電波を用いて発 見したのです。

Dowden教授はすでに退官され、10年以上経ちますが、最近のemailではお元気 な様子です。最後に一点付け加えると、同グループの若い研究者が人工衛星 データを用いてニュージーランド近辺の地震に伴う電磁放射を調べた結果、地 震に伴う電波はないとの結論です。どうも解析方法に問題があると思うのです が。数年前のクライストチャーチの地震からも分かる様に、ニュージーランド はそれなりの頻度にて地震はあるのだ。


●第99回
「ロシアの壺焼き」

 うちの夫婦は、食べ物に関してなかなか冒険が出来ないのだ。新しいレスト ランへ入ったり、新しい食べ物を挑戦する意識が少ないのだ。実は以前には 色々な冒険もしたが、結果的には満足を得られる経験が少なかったことに起因 していると思う。レストランや食べ物よりも、オーナーや店員の雰囲気という 人の方に注意がいっていると思う。昨日もいつものロシアン・レストランだ。
場所も変わらなければ、食べるメニューも色々迷った挙句のはて、結局はいつ もの壺焼きなのだ。

 実は、この壺焼きというと1980年前後に遡る。ペレストロイカ以前で、暗い ソ連の時代だ。現在も共同研究を続けているナターシャ・スミルノバさん(サ ンクトペテルブルグ大学)とモスクワにてお会いした時の事だ。ナターシャは 彼女の宇宙物理学の先生を私に紹介したかったのだ。先生の名は同じくナター シャで、宇宙物理学(地磁気変動)にて多大の業績で知られる先生(クレイメ ノバさん)で、夕食に大変素晴らしいレストランへご招待いただいた。ペレス トロイカ以前のことで、こんなにすごいレストランがあるとは信じられなかっ た。そのレストランは地下にあるのだが、すこぶる品格のある、高そうな、し かもウエイトレスは美人揃いだった。超高級レストランで、クレイメノバ先生 は国の特権階級なのかもしれなかった。色々な料理が出て来たが、最も印象に 残ったのが、例の「壺焼き」だった。初めての経験だ。一瞬如何に食べるのか 理解できず、二人のナターシャの振舞いを見守った。すると、パイをスプーン でグッと削って開くのが、この壺焼きの食べ方なのだ。楽しい発見だった。

 さて、昨日の話に戻る。時季的に“カキ”が旬の時季であり、カキ入りの壺 焼きを店員に勧められ、堪能した。その時女房が、「カキフライはオレグさん の大好物だったね」と。オレグとはオレグ・モルチャノフさんの事だ。私の永 らくの盟友で、ともに神戸地震前後から地震予知学を始めた仲間だった。日本 に約10年間滞在し、色々と興味深い発見をしたが、残念ながら2011年6月に ガンで亡くなったロシア人だ。オレグをうちに招待した時には、カキフライを 手づかみでおいしそうに食べる姿が今でも目に浮かぶ。


●第100回
「日本地震予知学会」第1回学術講演会!  昨年、2014年は私たち地震予知を目指すものにとって新しい出発の年と して記念すべき年となった。2013年末から2014年上旬にかけて準備委 員会での集中的な議論に基づき、学会設立を決意し、7月に「日本地震予知学 会」の登記が受理された。そして、11月には衆議院議員田中和徳先生の御世 話により衆議院議員会館において設立記念会(発足会)を開く運びになった。
多くの方にお集まりいただけるかが最大の心配事だった。しかも、当日はあい にく寒い上に、強風の雨の日で、更にその心配は募る一方だった。しかし、あ けてみれば、40人前後収容の会議室は溢れんばかりの多くの方の参加者だっ た。資料の数からして50人前後の参加だ。地震予知の研究者だけでなく、企 業など民間の方で地震予知に御興味の方も本会の発足を祝っていただいた。

 また、昨年末の12月25日(木)、26日(金)の二日間にわたり、学会 としての第1回学術講演会を催した。学会として最も重要な行事だ。特別講演 3件、グループの活動報告7件及び11件の一般講演での構成だ。この講演会 についても、学会長の私だけでなく、理事の皆様もどれだけの参加者が得られ るか気をもまれたと思う。講演会の前数日は私などよく眠れない日々だった。
うちの秘書たちも、資料作成、会場準備など大変な奮闘だったが、学会初経験 のため緊張の連続だったと思う。最低20人前後来ていただければ御の字かと 思っていたが、初日私たちの心配も吹っ飛んだ。60人前後の参加で、議論も 活発で、大盛況でした。その日の懇親会も30人の参加で、歓談が続いた。二 日目も同様に、50人前後と盛会だった。私個人としては大変楽しい会合で、 多くの新しい情報を得ることが出来た。勿論、地震予知学会という学際的学問 分野であり、異なる分野の人々が初めて一同に会し、また企業、民間の方も多 いことから、発表の手法に今後考え直すべき所は多々あったが。

 さて、新年、2015年に入り、神戸地震から20年の節目の年であり、学 会として粛々と研究活動に精進し、更なる発展を目指す所存である。この20 年間にて地震電磁気は世界的に飛躍な発展を遂げ、一つの学問体制となりつつ あるが、地震予知(短期)に対しては依然として社会の強い偏見や批判が続い ているが、頑張しかないと考える。本年3月には仙台市において第3回国連防 災世界会議も開かれ、本年を地震予知元年に位置づけたいと考えている。


●第101回
「95歳で現役!」

 皆様も同じ感覚を持たれているかも知れませんが、最近はクリスマスカード も年賀状も電子メールのものが急増し、やはり味気ないと言わざるを得ない。
しかし、年配の先生の中には、従来のようなカードを送ってくださる先生もい る。私は現役を退いてすでに5年も経つこともあり、少数ながら、そのような カードには大変嬉しく感じるのです。

 昔風のカードを頂いた1人が、ウクライナの電気工学の大家シフリン (Shifrin)先生だ。私が現役の時には、私の研究室はロシア人村と呼ばれて いた。ロシア人、ウクライナ人など旧ソ連からの研究者がほぼ常時滞在し、共 同研究をしていた。勿論、旧ソ連以外からの研究者もいたのだが。その時、彼 らから聞いていたのが、旧ソ連の諸国では、70歳は人生で最も大事な年齢で、 大パーティーを開くのが常だと。考えてみれば、日本を含む欧米先進国の平均 寿命は80歳前後であるのに対して、ロシアの平均寿命は65歳前後である。これ からも、旧ソ連では70歳とは平均寿命を超えるという驚異的な長寿という意味 なのだろう。大パーティーだけでなく、70歳を祝う各種の事業が企画される。 例えば、70歳を記念した本を出版するとか。

 日本では70歳は「古希」をお祝いする。中国唐の時代の詩人、「杜甫」の 詩句である「人生七十古来希なり」に由来する。この時代には、70歳まで生き ることはまれで、現在で言えば90歳前後の長寿の祝いではないか。日本での平 均寿命を考えると、90歳卒寿(卒は卆と略されるため)が昔の70歳に対応するの では。

 シフリン先生からのカードには、過去の出来事も実に詳しく書かれている。
外国の先生は、いつ、どこでを良く覚えていると言えよう。先生は70歳の時 (即ち1990年)、旧ソ連で崩壊が起こり、そのため、その年にチェコのプラハ でのURSI(国際電波科学連合)総会に初めての海外出張をしたとの事。更に、そ こで初めて私に会ったとも。私は、いつ、どこへ行ったかなど詳しく記憶して いない。同先生は今年95歳になられるとの事。しかも、95歳を記念して、ウク ライナ・ハリコフにおいて「アンテナ理論と技術」と題する国際会議が開かれ るようだ。卒寿を大きく超え、超驚異的だと言わざるを得ない。しかし、その 背景には、圧倒的な能力と弛まぬ努力があったと信ずる。


●第102回
「米国のものはいつも日本の約10倍!」

 最近のテレビ報道によると、日本の日本海側では大変な雪が積もり、吹嵐が 吹き荒れ、多くの被害が出ている。これも、地球温暖化によると考えられる世 界的な極端気象・気候の一つではと言われている。私たちは日本国内でのELF 帯シューマン共振(世界三大雷活動域の雷から放射されるELF波が電離層・大 地導波管内を周回し、共振する現象だ。8Hz、14Hz、20Hzなどが共振周波 数。)の観測から、地球温暖化が進行していることを観測的に確かめているが。
その原因が人間活動に伴う二酸化炭素の放出によるかは明らかではないが。

 更に、米国東部でもすさまじい雪、吹雪を伴う寒波の襲来で、人命が失われ るのみならず、多くの経済的打撃ももたらされている。デトロイトからニュー ヨーク、ボストンに至るほどの大規模な寒波の様だ。日本全体がすっぽり入る 位の規模だ。台風を取り上げても、米国のハリケーンは日本の台風の約10倍と 考えればよい。また、雷雲についても数百kmの大きさは珍しくなく、これも日 本の雷雲の大きさの約10倍だ。

 しかし、日本の色々な気象現象がその規模において米国のものの約10分の1 という事が重要になることもあるのだ。20年程度前に米国研究者により、大規 模な落雷に伴って雷雲の上部に逆さ雷とも言うべき、雷雲上部から電離層へ向 かう中間圏発光現象(スプライト(妖精の意味)と名付けられている)が発見 され、現在でも世界中の学者がその観測とメカニズムの解明に凌ぎを削ってい る。私たちは、この研究では後続部隊であったが、日本の雷雲の小ささが大事 なことを提案したのだ。即ち、日本の北陸地方での冬期雷はその水平規模がせ いぜい数十kmであり、しかも雷雲の高さも夏期雷の10kmに比べると、その雲底 は数kmなのだ。そこで、この様な小規模な北陸地方での冬期雷によってスプラ イトが本当に発生しているのか否か、発生するとすれば如何なる条件で発生す るかを調べることが、スプライト全般の発生メカニズムの解明の鍵となったの だ。スプライトの発生に必要な雷の最低電荷量だけでなく、落雷電流中の高周 波成分も重要な役割を果たしていることを示したのだ。“小ささ”が学問解明 の本質を捉えることに大きく貢献したのだ。


●第103回
「弛まぬ啓発の連続だ!」

 2015年2月5日(木)、6日(金)の2日間、横浜パシフィコにて「震災対策技 術展(自然災害対策技術展)」が開催された。主催は「震災対策技術展」 (横浜実行委員会)であるが、後援は、内閣府、文科省、国土交通省、気象庁、 総務省他、多くの大学、学会も参加するそれなりの規模のフォーラムだ。この 種のものとしては、「防災展」、「イノベーション・ジャパン」など数多くの ものが毎年開かれ、私も、セミナーやブースなどで「地震予知」の啓発に努力 してきた。

 実は昨年末に本技術展を担当する事務局より、昨年発足したばかりの「日本 地震予知学会」の参加を呼びかけられたのだ。地震をはじめとして多くの自然 災害については、すべて事後の対策を取り扱うものばかりであり、予知が抜け ていると感じていた事務局が「日本地震予知学会」の発足を知ったのが事の始 まりだ。

 急遽の要請であり、私のセミナーは、極めて小さな部屋(50名定員)になら ざるを得なかったとのことだ。学会長としてはじめての機会でもあり、「地震 予知学」の進展状況、新しく発足した「日本地震予知学会」が何を目指すか、 更には学会発足と無関係ではない、民間企業での地震予測ビジネスなどについ てお話しした。展示の方は、企業(民間)、NPO、大学。研究機関などの約 200のブースが並んでおり、他方セミナーは70前後が100人定員のものから、30 人定員の部屋にて開かれていた。事務局の人の話によると、私の「地震予知」 に関するセミナーはすぐに定員に満ちたものの一つだったと聞いて嬉しく思っ た。一般の方は、やはり地震予知が社会的に重要なテーマであると認識され、 地震予測情報を求めていると感じた。50人の聴衆のうち、1名の方以外は存じ あげない方々であったが、45分の話をよく聴いていただいた。とりわけ印象的 だったのは、最前列に座られていた年配の紳士が小生の話に終始うなずいてお られたことだ。講演後も5~6名の方が色々と質問された。私は、この種のface -to-faceの講演が啓発では最も意味があるとの感を強くした。講演は今後も絶 えず続くことになろうが、なかなか時間がかかることだ。


●第104回
「雪に弱い都会人」

 2015年に入り寒さも日増しに厳しくなり、1月30日には東京で数センチの積 雪があった。この雪で滑って転倒するなど多くの事故が発生した。その次の週 には大雪の天気予報が早々と出、東京に住む私たちは覚悟したものだ。しかし、 幸いにも積雪をもたらす南岸低気圧が陸域から海の方へかなりずれた為、日中 雪は降ったものの、大した積雪に至らず、ほっと胸をなでおろした。北陸や北 海道などの雪国の人にとっては、数センチの雪など雪とは思わないと思うが。

 私も太平洋側で育っており、雪は珍しいものだが、雪について一言。3年間 の北海道母子里(もしり)観測所下での経験を書く。私の前任地名古屋大学空 電研究所時代の話だ。皆さんの多くは、私の論文数が多いことから、雑用など 全くしてこなかったと思われるかも知れないが、実はきわめて多くの雑用をし てきた。大学院(博士課程)、助手時代には、概算要求という大型予算の提案 書作成(事務屋さんに分かる様に)、複数の観測所の世話など。今考えてみれ ば、後々大いに役立っている。母子里観測所の3年間の世話もこの雑用の一つ だ。実際には3年間のうち1年ほど同地に滞在した。夏は、北海道は梅雨もなく 快適だが、問題は冬だ。冬期にはすさまじい雪を味わう事だ。今は廃線となっ たが、深名線の最寄りの駅(名前は忘れた)に夜9時前後に到着するのだ。朝、 愛知県豊橋を出発しての一日仕事だ。最寄り駅から私たちの観測所はたったの 数100メートルの距離なのだが、3m超の半端でない雪の中を、それなりには除 雪されているのだが、雪のトンネルは新雪も積り、またすさまじい冷気のため 喘ぎながら1時間ほどかけて、やっとの思いで観測所に着くのだ。私たちの観 測所の隣には、北海道大学低温研究所の母子里融雪観測所があることからも、 この地が雪の研究には如何に適しているかだ。しかし、私にとっては大変な経 験なのだ。

 地球物理的な観点から、北海道は日本では一番高緯度に位置していることか ら母子里を選んだのだ。更には、観測所を設立した1964年当時は、母子里周辺 は北海道のなかで最も人口雑音が低いことから、微弱な自然電波の観測には最 適だったのだ。

 私たちの母子里観測所は私の赴任時には木造であった。冬は1階は完全に雪 に埋まり、2階から出入りするのだ。冷気が色々な隙間から入って来るため、 暖房は入っているものの、すさまじく冷え込んだ。とりわけ、風呂が問題だ。
廊下は冷蔵庫状態で、風呂を出たら廊下を走ってかけ抜け、端の寝室にかけ込 むのが日常だった。懐かしい思い出だ。


●第105回
「テレビとの付き合い方」

 メルマガで何度も述べているように、「地震予知」についてはその重要性を 事あるごとに啓発するしかないのだ。今でもいろいろな機会にてその重要性を 説き続けている。
(i) 集会での講演、(ii) 紙媒体での啓発(新聞、雑誌、週刊誌など)、(iii) メディア(主としてテレビ)など。今回はテレビとの関わりについて一言。
テレビとの付き合い方は最も複雑で、なかなか難しいと言わざるを得ない。一 般の方は、テレビがこの種の啓発では最も有効だと思われるかも知れませんが。

 最近のあるテレビ番組での事だ。電話での依頼では、その番組は地震予知が 中心との話であった。それならばという事で、数時間にわたる取材に応じたの だ。しかし、蓋を開けてみると、放映されたものは当初の話とはかけ離れてい たのだ。地震のメカニズム、緊急地震速報、地震予知学会など地震と名の付く ものはすべて網羅したかのような編集で、見ている人には何が言いたいのか、 全くわからないものだった。その後、取材者には大いに不平・不満を述べた。
その後も3.11が近いこともあり、他のテレビ局より取材申込みがあったが、こ ちらで厳選することが必須と考えた。今までもそうして来たが、テレビでは最 終の編集に私たちが関わることが出来ないのだ。相手の番組の主旨が明確で、 しかもこちらの要求と合致する時だけに取材に応じることにしよう。実はその 後、私が問題を指摘したテレビ番組の一番上の総括ディレクターが謝罪に来る というので、もう一度地震予知の最前線について詳しく説明した。番組作成の 責任者が充分理解した上での取材・番組作りが望まれる。一般的にはテレビだ けでなく、新聞記者なども継続的な取材が不得手になっているようで、メディ アの見識の欠落が感じられる。

 そんな中、「ニューズ・オプエド」というネットテレビから生番組出演依頼 があり、2月18日(水)に放映された。生放送は編集がないところが本質的に 異なるのだ。東北沖での地震の翌日という偶然のタイミングで、東北沖地震は 私たち地震解析ラボのほぼ予想通りだったことも話した。生番組には過去にも 出演しているが、今回の主題は「地震予知」そのものであり、30分以上にわた り、日本地震予知学会設立の経緯、地震予知学の歴史と最前線、更には地震解 析ラボの紹介などを話した。番組の終わりにTwitterからの質問にも答えるも ので、全般的には好評だった。視聴者だけでなく、私にとっても有意義なもの だった。このニューズ・オプエドは上杉隆さんが主催するニュース番組で、毎 回話題の人を招いて話を聞くというものだ。平日16~17時無料で生放送してい る。今回は六本木ヒルズの森タワービル39階での新しいスタジオでの収録だっ たが、地震の時このビルはどうなるのか一瞬不安がよぎった。「オプエド」の 意味は私も知りませんでしたが、メディア関係者の業界用語で、”opposite e ditorial” の略で、“社説に反論する”という意味だ。ある新聞記事に対し て同じ社内にて反論、異論を述べる欄のことのようで、多様な意見の存在や少 数意見の尊重などを意味していると思われる。今回は、私たちの地震予知への 偏見に対する反論、という意味での出演だった。


●第106回
「初めての二葉会(名古屋大学電気/電子工学科卒業生同窓会)に出席して」

 私は昭和41年(1966年)に名古屋大学工学部電気/電子工学科の卒業し、そ の後、工学研究科の修士課程、博士課程へ進んだ。博士課程では名古屋大学空 電研究所の助手の席が空き、すぐに退学して、助手になれとの教授、助教授の 勧めにより、博士課程もあと残り6か月というところで中退し、研究活動をス タートし、現在に至っている。

 どこの大学でもほぼ同じだと思うが、卒業後はその同窓会に入るのが常であ る。この二葉会というのは、名古屋大学電気/電子工学科(最近は情報関係も 加わっている)の卒業生の同窓会の名前だ。

 毎年年頭には名古屋で大規模な総会が開かれる一方で、各地域でもその集会 が開かれているが、私は一度もどれにも出席した事がなかった。先週3月5日 (木)夜、汐留シティセンターの41階で、東京支部会が開かれるとの事で初め て参加した。今年の支部長がNHKの石川清彦氏で、彼は名古屋大学空電研究 所助教授時代の教え子で、現在NHKの重要なポジションに付いており、強い お誘いを受けて出席した。30人前後の集まりであったが、電気/電子だけでな く法学部や医学部卒業の人の参加もあり、意外と面白かった。同類の人の話は ほぼお互いに理解でき予想がつくのですが、別学部の人の話は面白い。

 先ず本部の人より、名古屋大学の近況について報告があった。ノーベル賞受 賞が続き、飛躍的に発展しているとのことだ。その後、基調講演として名大教 育学部(?)の御出身で、ホリプロの藤原努氏の話を拝聴した。普通では聴け ない、いわゆる芸能界の内情に関する話が聴けた。また、極めて個性的な人物 だったことが印象的だ。全般的には、名大出身者はおとなしく真面目との印象 があったが、少数でも極めて個性的な人がいる事を知った。

 また、東京地区で活躍する人々の講演があり、最初に私が紹介された。先述 の石川さんの御好意によるものだ。テレビはあまり出たくないのだが、ビジネ ス上出演せざるを得ない事も含めて、地震予知の現状をお話しさせてもらった。 続いて数人が紹介されたが、私の後に登壇されたのは国立ガンセンターの若い (50歳前後)医師、金光氏である。「早川教授と違って、小生はテレビが大好 きです」との発言。概して若い人はテレビ好きの様だ。昔は「テレビに出る学 者は学問のない人」だと言われていたようだが。

 いろいろな会合に出席しているが、名古屋大学の良い所、問題点など考えさ せられる興味深い集まりであった。


●第107回
「電気通信大学西門の紅白の梅」

 2015年も2月に入り、女房と梅を見に行こうとの事で、梅で有名な新宿御苑 を訪れた。新宿御苑には紅白の梅苑があり、毎年見に行っている。残念ながら 時季が少々早かったようで、一部の梅しか咲いておらず、多くはまだ蕾の状態 だった。しかし、私の大好きな黄色の蝋梅(ロウバイ)を楽しむことが出来た。
花の香りも強いのだ。蝋梅の終わりの時季だった。蝋梅は「梅」と名前が付い ているが、普通の梅のバラ科サクラ属とは別属であるようだが。

 3月に入り、何を言おう電気通信大学の西門の梅は見事の一言だ。西門の両 側には紅梅と白梅が対になっており、今咲き誇っており、また中々良い香りも 放っているのだ。是非見に来てください。

 江戸時代以降は花見と言えば、「サクラ(桜)」を指すが、昔は花と言えば 梅を指すものだった。「ウメ」の語源も諸説あるようだが、やはり中国の「梅 (マイ又はメイ)」から転じたとするものが最も受け入れ易いか。中国では、 古来より酸味料として使われ、塩とともに最古の調味料だ。私たちが良く使う 味加減を意味する単語「塩梅(あんばい)」とは、味付けが良いことを示すも のなのは皆様も御存知かと。

 梅と言えば、「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて  春を忘るな」という菅原道真の歌が思い浮かぶ。誰もが知る歌だが、道真が九 州大宰府へ左遷されたとき、彼が愛した庭の梅の花との別れを惜しんで詠んだ ものだ。梅の花を観ると、春もすぐそこと感じる。


●第108回
「教授人事とは?」

 数回前のメルマガにて、数少ない個性的な名古屋大学出身者のお話しをしたが、その関連で、大学での教授人事について一言。

 私が現役の時、多分平成11年前後だと思うが、電子工学科学科長として「人 事の考え方と今後の方針」の如き案を提示し実施したのだ。基本的には “公募”を原則とするものだ。最近では電気通信大学も含め、多くの大学の基 本的考えとなっているのだが。

 この考えを打ち出した背景があるのだ。平成3年に名古屋大学より電通大に 赴任したが、当時は、教授人事はほぼ学科内からの人選であった。勿論、全学 の学科長会議と全学教授会での投票があるにせよ。電子工学科でのある人の教 授人事について数回にわたって議論が行われ、ほぼ決定しかけていた時のこと。
数回欠席されていたボス、長老の先生がその日の教授会に出席され、自分はこ の人事に絶対反対だと激怒されたのだ。教授会は一瞬の静寂に包まれた。その 時私は、すでにかなりの議論を経ており、妥当な人事ではと申し上げた。セカ ンドする教授もいたので、全体の流れは覆ることはなかったが。実はその後、 私はこの長老の先生に大変可愛がっていただき、時ある毎に応援していただい た。これは一例だが、長老の先生が強く推薦する人事がかなりあったのは事実 だ。勿論、適切なこともあったが、強引に押し通そうとすることもあった。こ の様な事を7~8年見てきた経緯があって、上記の様に“公募”を原則とするよ うに変更したのだ。

 最近は人事も極めて複雑なプロセスを経ており、例えば学科内にて3~4人推 薦し、それを全学人事委員会にて選考するなどのプロセスだ。多人数にて選ぶ ため、あまり個性的な人は受け入れがたくなっていると思う。これが最近あま り個性の強い教授がいない一つの理由とも言えよう。人が人を選ぶため、往々 にして現役教授は御し易い人を選ぶ傾向があることは致し方ない。人事には誰 もが認める最善の方法などないと思うが、過去の長老先生によるやり方も一考 に値すると感じる。なぜなら、少々変わった研究は、かなり個性的な人でない とできないと思うからだ。


●第109回
「伝統の電気学会!」

 私は定年退官して5年以上経ち、ほとんどの学会の会員は辞めた。残ってい るのが、「電気学会」と「電子情報通信学会」である。ここでは、前者の「電 気学会」について述べよう。電気学会発足時の状況を述べ、日本の先駆者たち の先見性を御紹介したいのだ。実は、学会は125年以上前の明治21年(1888 年)に設立され、その設立総会の席で初代会長榎本武揚(当時逓信卿;現在の 郵政大臣)の演説に次いで、学会幹事として志田林三郎も演説しているのだが、 その中で志田は学会の短期目標のみならず、長期的技術予測や目標を示してい るのだ。十余の提言をしている。高速度多重有線通信、遠距離無線通信、長距 離大電力伝送、音声放送、電気鉄道、電気推進船、テレビとテレビ電話、レ コーダ、光通信などが挙げられ、今日これらはすべて実現されている。まだ実 現されていないものは、「地電気、空間電気ノ変動等ヲ観測シテ、或イハ地震 ヲ前知シ、或イハ穀作ノ豊凶ヲ予知スル方法ノ発明」だけである。この地震予 知を私たちは目指しているのだ。しかも、志田が指摘していた様に主として電 磁気現象を用いて。志田がこれだけの予測を行っていた事にはやはり驚かされ る。

 志田個人の絶大な能力には驚かざるを得ないが、欧米からの知識流入があっ たことも推測される。志田は明治13年(1880年)、24歳の時に英国グラスゴー 大学にケルビン卿を訪ね、数学と物理学のコースを学生として学ぶとともに、 研究者として電気の実験も行っている。ケルビン卿は王立協会会長時にいくつ かの有名な演説をしている。例えば、私が地震予知の時によく引用する「Flyi ng machine heavier than air is impossible(飛行機など“無理”だ)」や 「Radio has no future(電波になど将来はない)」など。逆説として何が将 来大事になるかを予見していたとも言える。これらのケルビン卿の発言と考え 合わせると、志田の研究は基本的にはケルビン卿の影響を色濃く受けていると 言えよう。地震予知に関連しては、志田は「地電気の説」という論文を発表し ているのだ。これは現在のVAN法そのものだ。帰国後東大教授となったが、37 歳という若さで亡くなられているのは残念だ。

 付け加えれば、初代会長榎本武揚は幕末に函館・五稜郭で最後まで薩長官軍 に抵抗した幕府の長だが、オランダに留学し、航海術、蒸気機関学、機械工学、 電信技術、国際法なども多くの分野を習得した人物だ。明治維新政府でも重要 な役割を果たし、逓信大臣の時に電気学会長となった。お飾りの会長ではなく、 創立時の演説で電気学会が社会に大進歩と大公益をもたらすことは疑いもない と述べ、科学の重要性を真に理解していたと思われる。


●第110回
「御衣黄(ギョイコウ)!」

 4月に入り、桜の便りが日本各地から届いています。東京は先週末(4月4日、 5日前後)が満開だったと思われます。桜の名所といえば、東京でも色々あり ますが、近年大人気なのが目黒川ではないでしょうか。実は約20年前私たちが 東京へ移り住んだのが池尻大橋で、土地不案内で散策するうち、巡り合ったの が目黒川の桜でした。当時、目黒川にはほとんど桜見の人はいなかったのを記 憶しています。しかし、10年程前にある有名人がその美しさをテレビ、ラジオ にて話して以来、人が押し寄せる様な桜の名所になったのです。大崎、目黒か ら中目黒、池尻大橋まで4~5kmに及ぶ桜は圧巻です。

 実は電気通信大学は小さな大学にもかかわらず、比較的桜の木が多いと思い ます。4月6日(月)共同研究を行っているハルピン工科大学のチィオ教授グ ループの団体さんの来訪を受けました。彼らを迎えたのは大学インキュベーシ ョンセンターの5階会議室で、そこからはテニスコート奥の20~30本のソメイ ヨシノを楽しむには格好の場所なのです。お花見を楽しむとともに、科学的討 論も有意義でした。即ち、中国でのVLF観測、現在執筆中の論文の討論、将来 の共同研究など盛りだくさんでした。私たちの共同研究から多くの良い仕事が 出来ると予感される時でした。昼食は日中団体にて調布駅前パルコ7階の日本 流の中華料理店にてガヤガヤ、ワイワイの楽しい一時でした。

 彼らに是非とも見せたかった異種の桜が電通大構内に1本あります。「御衣 黄」と書いて、(ギョイコウ)と読むのです。私は大好きなものです。御衣黄 は花が緑色の桜なのですが、その緑色は次第に薄れて黄緑色から黄色になり、 やがて赤みを帯びてくるのです。ソメイヨシノよりも幾分遅咲きのため、その 時が見頃でしたので、中国人グループも今までに見たことのない桜に大興奮で、 全員にて記念写真を何枚も撮った次第です。「御衣黄」という高貴な名前は、 昔の貴族の衣服に近いことに由来しているとの事です。


●第111回
「久し振りの出張の一コマ!」

 実は久し振りの長期間出張だ。2015年3月14日(土)~18日(水)仙台にお いて第3回国連防災世界会議が開かれ、参加したのだ。187の国連加盟国が参加 し、元首、首相、閣僚などの数からしても大規模な国際会議で、関連事業を含 めると延べ15万人が参加し、日本で開催された史上最大級のものだ。主題は“ 自然災害”と“防災”であり、将来15年にわたる防災の新しい国際的指針を示 すものであった。

 会議の名称から当然のことだが、自然災害被害と防災を扱ったものばかりだ が、頻繁に“予測”という言葉が登場しているのが印象的だった。いわゆる中 期予測のことで、地震、津波など色々な自然災害が対象で、将来20-30年での 発生確率だ。政治的側面の強い本体会議の他に、パブリック・フォーラムも多 数開かれた。私たちもこの参加で、展示とレクチャを行った。3月15日(日) に展示とは別の場所にて「地震予知の最前線」と題して英語で40分、続いて日 本語で40分話した。国内メディアだけでなく、国外メディアの取材も受け、全 体的には好評だったと思う。展示ブースは私たち“地震解析ラボ”が予想通り、 唯一“地震の短期予知”を扱った民間会社であり、仙台河北新報の河北抄にて 極めて挑戦的な会社として高く評価された。ブースの選定自体、国連と内閣府 の厳しい審査を得ていることを考えると、私たち“地震解析ラボ”は国連、内 閣府の御墨付けをもらったとも言えよう。

 残念ながら会議の会場は市内の色々な場所に分散しており、その移動だけで も大変だ。前述した講演会場とは異なる所にあるのが、仙台メディアテークだ。
展示が集結しているのが、この会場だ。防災に関するNGO、NPO、研究機 関(大学も)、民間会社によるブース展示だ。1階は一般の人が対象で、2011 年大震災、津波被害に関する展示、より専門的な展示は5階と6階にて行われた。
全体として400程度のブースだ。私たちには6階の1スペースが与えられ、両隣 が日本気象協会と津波検知器の会社、私たちの前が東京ガス、日本信号、TO A。更には、私たちの裏には、ウエザーニューズ、三菱電機などそうそうたる 顔ぶれだ。通常、この種の展示会は、最大で3日、しかも朝10時から夕刻5時ぐ らいが常だが、今回は5日、しかも時間も長く夕刻8時までという、異例ずくめ だ。5日間のお付き合いという事もあり、初日にはご近所に挨拶すると、色々 な所で関係があることがわかり愉快だ。隣の津波検知器会社の社長大塚さんは 応用地質学会の副会長をされ、幸いにも早川の事を知っていただいていた。こ の会社の津波検知器は米国人が開発したものを事業化したとの事だ。その米国 人、Bernard博士も会期中現われ、長らく楽しく話せた。彼も地震予知の最前 線を全く知らず、ほゞ1週間前に予知できると話すと、興味津々だ。1週間前に 予知できれば、彼らの津波検知器の使用も大いに変わるなど、将来の共同研究 などにも及んだ。また、前のブースの元気なお兄さん(50代?)は安部さんと 言い、奇しくも電通大の出身だった。東京ガスから米国に4年留学し、学位も 取っているとの事。英語も達者なものだ。従来の私の電通大生に対するイメー ジ、①暗い、②英語が出来ない、を完全に払拭する人物だ。こんな頼もしい卒 業生に会えるなど予想だにしなかった。愉快、愉快。

 私はほゞ全てのブースを訪ね、外国人を中心に色々と話したが、ほとんどの 人は“短期予知”の重要性には興味がなく、その重要性を声高に説明して回っ たので、大変疲れた。さて、私たちのブースに対する反応は相変わらずだ。約 2割程度の人は“地震予知”と聞くだけで、いかがわしいとの顔を露骨にして 去る人だ。しかし、私たちのブースを目指して訪問してくれる人、全くこの種 の事が行われている事を知らなかったが、大変興味を示してくれる人など様々 だ。帰京後名刺の整理をしていると、外国人の多くは大変な人が多く、大学学 長とか、政府要人などで、外国人は概して資料の要求などされた。インドネシ アからの御二人はVLF/LFネットワークをすぐに展開できないかとの反応だった。
しかし、実現には時間がかかろうが。最後に、仙台在住の小林(裕)様に大変 お世話になり御礼です。NHK在職中から現在まで大変なご支援をいただき、ま た今回も私たちが不在のときにブース訪問者に丁寧な接待をして頂いた。


●第112回
「依然として続く地震予知論文への批判!」

 数週間前の事だ。私たちのグループが昨年発表した論文リストを、地震予知 に関連する研究者から成るサイトにて全世界に配信した。研究者間で論文など の情報交換を行うサイトが色々とあるのだ。直ちに多くの反応があったが、そ の一つを紹介する。

 米国NASAのフロイント教授からのメールだ。私より10歳年上の米国の大先生 である。本人曰く、実は同教授をこの地震予知研究に引き込んだのは私である と。いきさつは、私が主催した1997年の国際会議だと思う。同先生より「大変 興味深いので是非参加したいが、経費の一部を負担してくれないか」との連絡 をしてきたことが付き合いの始まりである。もともとは固体物理の研究者で、 色々な材料に圧力を掛けた時にどんな現象が発生するのかを調べている研究者 だ。最近フロイント教授がぼやいている。USGS(米国地質研究所)のグループ が彼の2014年の論文を取り上げ、それを2014年で最悪の論文と酷評していると の事で、それがかなりショックの様だ。

 実はUSGSグループは近年批判グループを組織化しているが、フロイント教授 が彼らの初めての批判の対象ではないのだ。最初の標的は1989年カリフォルニ ア・ロマプリエタ地震の際に、ULF放射を発見したスタンフォード大学のフレ ザー・スミス先生である。複数の人がこれは地震前兆ではなく、宇宙の効果 (即ち、地磁気活動)に過ぎないとした批判だ。私も一度彼らの批判的論文の 査読を頼まれたが、科学的論文というには程遠く、リジェクトしたのを覚えて いる。ただ単に、地磁気活動のプロットを肉眼にて比較しているだけなのだ。
素人のレベルだ。

 続いて、1993年のグァム地震の際のULF放射に関する私たちの論文が次なる 標的となった。私はフレザー・スミス先生の時の事情を充分に把握していた為、 彼らの批判は全く無視することにしている。今後も、彼らの執拗な攻撃は続く だろう。他人の論文をただ調べることについてそれなりの意義は否定しないが、 全く建設的な議論にはならない。彼らには新しい事例に対して批判するならば、 色々な解析手法で解析し、“出てないなら出ていない事”を科学的に発表する ことが建設的ではないか。科学的批判であれば、いつでも科学的に反論するが。


●第113回
「地震予知啓発活動の一コマ!」

 地震予知の重要性に関する啓発活動は今も続いている。先週も4つの講演会 が立て続けにあり、疲労困ぱいだった。多くのものは、プライベートの色合い が強く、色々な質問が出れば、こちらもつられて熱が入り、時間も取られるの だ。しかし、私はこの種の対面式のものが一番有効だと考えているので、その 疲れとは裏腹に、楽しいと言わざるを得ない。

 そのうちの一つの講演について一言。講演の依頼は多くは直接私のもとに届 くのだが、私の強力な応援団の皆様からのご紹介もある。以前のメルマガでも ご紹介した元NHKの小林さん(在仙台)の高校時代の同級生が社長を務める 会社だ。「モルタル充てん式鉄筋継手」を作る会社だ。“継手”とはその言葉 通り、鉄筋をつなぐ道具である。もともと米国産の技術のものを、日本にて事 業化したもののようだ。競争相手が極めて少なく、ユニークさが際立つ。この 様なシステムが有効か否かの検証には、地震の時の建物の崩壊を調べることに なるのだ。私たちと全く同じで、大地震の時の状況が重要になってくる。1995 年の神戸地震及び1993年のグアム地震の時に、彼らはモルタル充てん式鉄筋継 手を用いた建物では、構造的、人的被害がゼロであったと、茅社長が誇らしげ に説明された。私たちは、神戸地震の時に、前兆的電磁層の乱れの明瞭な証拠 を得た。また、1993年グアム地震では、私たちはULF放射も新しい信号処理法 にて発見しているのだ。仕事は全く異なっても、私たちとその過去が重なるの だ。

 多くの会社での講演会も経験しているが、各々会社には固有の雰囲気が感じ られる。大学にも、大学の研究室にも、独特の雰囲気があるように。その雰囲 気はやはり“人”によると考えざるを得ない。茅社長の明るい雰囲気のせいで あろうが、同社の人達は全く自由に発言されている事を強く感じた。個人的に は、“好きな”会社だ。社長の個性と指導性の賜物であろう。私の日本語の講 演を丁寧に英語に通訳して頂いた社員もおり、懇親会の時にはここにいるもの はほとんど英語もできるとの事でした。グローバル展開する会社として当然の 事である。私も、大学現役の時には、博士課程、修士課程の大学院生、4年生、 そして外国人部隊、全体として30人前後の大所帯であり、如何に雰囲気の良い 環境を作るかに苦慮したものだ。良い雰囲気で、何でも話せる環境が学生のや る気、自発性を引き出す最大の要因だと信ずるからだ。


●第114回
「千葉での国際会議!」

 2015年5月29日(金)、30日(土)の2日間に渡り、千葉大学において第2回 IWEPPという小規模な国際会議が開かれた。この会議は、千葉大学服部先生が、 米国ウズノフ先生と協力して主催された会議の2回目だ。日本地震予知学会も 共催であることから、私も参加した。地震前兆現象を総合的に議論するもので ある。しかし、主催者の趣旨で、「地震予知」という嫌われる言葉を避け、地 震準備過程(EQ preparation process)という名前を採用している。地震学 との対立を少しでも避けようとの考えだ。私は、これが嫌いで、あえていつも 「地震予知」という言葉を多用している。10ケ国から60名の参加者で、盛会であった。
>
 会議で最も評価できる方向が2つあった。(1)各観測項目に対して長年 (少なくても5年とか)の観測データに基づき、統計的因果関係を評価しよう とする試み、(2)ある特定の観測項目について、“prospectively”(即ち、 事前)予測を科学的に行い、その結果と比較する試みである。勿論、電離層擾 乱に関しては、すでに擾乱と地震の因果関係が確立し、事業化しているのだ。
>
 各々の日の発表が終わった最後に、全般を議論する時間が設定されているの も本会議の特徴か。初日はウズノフ、2日目は早川が議長を務めた。ウズノフ が最初に、私に向かって、「Masashi is guilty(早川は有罪だ)」と発言した。
私は実に罪多い人間だとは思うが、皆様はお分かりですか? 数回前のメルマ ガでも紹介した米国フロイント先生と同様、この学問分野(地震予知学)へ引 き込んだのが早川という意味だった。光栄な表現である。現在、この学問分野 の重要人物となっていることを思えば。この2回の議論時間では、出来る限り、 皆様のご意見を伺いたかった。この学問の啓蒙を如何にするか、社会との関わ りなど活発な議論があったが、前述した二つの方向、即ち科学的にきちんとや り、それを論文として発表するという、至極当たり前のことで参加者が合意し た。健全な社会では! 勿論、国との関わり方(お金の事)、民間との関係な ど色々と議論したが。


●第115回
「千葉での国際会議で楽しかったこと!」

 前回のメルマガで千葉大学での小規模国際会議について紹介した。地震予知 学は若い人の供給が極めて少なく、平均年齢は上がる一方だ。今回の参加者も、 私も含め70歳前後のロートルグループ4~5人が依然頑張っている印象だ。しか し、初めての方々にもお会いでき、良かった。中堅の外国人研究者とも親しく なったが、今回のメルマガでは比較的若い研究者が特にアジア(中国、台湾、 韓国)から多く参加されている事は愉快な限りだ。

 一人春秋に富む韓国人研究者が私には目にとまった。韓国のKAIST(Korean A dvanced Institute of Science and Technology)という韓国の誇る高度理工系 大学院大学の所属だ。もともと電気/電子工学の分野では有名な先生も多く、 私も数人親しい教授がいる。勿論、これらの方も私と同年代であり、すでに退 官されている可能性は高い。この韓国の若手(多分40歳前後)研究者の話だと、 KAISTには最初からDepartment of Geophysics(地球物理科)があるとの事。 全く知らず、大きな驚きだった。この青年は会議中は最前線に座し、いろいろ な発表に色々と質問していた。私の2つの発表(地震に伴うULF放射とELF放 射)に対しても質問してきた。この分野の新参者であるにもかかわらず、多分 これが幸いして、好奇心からの質問は本質的な所をついていたと感じた。若い という事は恐れを知らない事だ。それでいいのだ。彼は、電離層が主たる研究 対象であるようだが、前回のメルマガでも紹介した米国ウズノフさんが誘い入 れたとの事。若い有望な新人が地震予知学の分野に入って来てくれそうな予感 は嬉しいことだ。どこの分野でも有望な新人の参入は大歓迎だ。

 もう一人の若者も紹介する。この千葉の国際会議にも参加した別の極端に若 い研究者が、会議後電通大の私たちの研究所を訪問したいとの事で受け入れた。
9月から博士課程に入る大学院生で、国立台湾大学の学生だ。よく勉強してき ており、私たちのVLF/LFネットワーク観測を是非とも台湾にてやりたいとの強 い希望だった。私と地震解析ラボ浅野君にて対応した。地震予知学全般の話か ら始まり、浅野君は私たちの最新VLF/LFネットワークの話と最近の地震の予測 とその結果など盛りだくさんだ。私たちの多くの論文も携えて、充分に満足し て帰国すると思う。帰国後、二人の指導教官(その一人は英国のかの有名な ホーキンズ博士のもとで勉強したとの事)と相談するとの事で、どうなるかわ からないが、新しい展開が台湾で生まれれば良いのだが。あまり期待しないで 待ちましょう。過度の期待は大きな失望につながるので。


●第116回
「新しい本が出る(Earthquake Prediction with Radio Techniques)!」

 以前にも述べた様に、本を出版することがどれだけ大変な事か。即ち、本の 執筆依頼がきたら提案から、最終的に本が出るまで約2年程度かかる。この1 ~2ヶ月で私の上記タイトルの新本が発刊されるが、この本の意義は? 本に は夫々の意味合いがあるが、今回も「地震予知学」という新しい学問分野の更 なる啓蒙のためだ。従来の私の本は、「地震予知学」が人間の命を救うもので あり、地球物理学の残されたフロンティアの一つとしての位置付けだった。こ れに対して、この本の読者の対象が主として電波工学や電気/電子工学に従事 する技術者、研究者、大学院などへの情報発信だ。電気工学の素養を持つ方々 にも是非とも私たちの分野に参入して欲しいとの強い要望からだ。

 この本は米国の有名な出版社John Wiley and Sons からだ。 しかし、予測 以上に時間がかかったが、その経緯を述べよう。事の始まりは一昨年で、同社 の編集長がわざわざ調布の私たちの研究室を訪れ、「地震予知が電波技術で出 来る」という視点で本を執筆してくれないかとの依頼だった。特に電波工学を 中心に電気/電子工学の研究者、技術者、大学院生を対象とした本だ。多忙で はあったが、出版社の意図も大賛成であり、私たちの過去の成果を纏める意味 もあり、即刻引き受けた。しかし、レッキとした出版社だけあって、Book Pro posal(依頼なのに、どうしてプロポーザルかと思ったが)の査読も6~7人とい う多数で行うなど、徹底的だ。どうも他の出版社とは違う。査読者全員極めて 好意的な反応を頂いた上に、有意義なご指摘も多かった。例えば、本の章立て の変更だったり、catchyなタイトルなどなど。忙しい仕事の合間を探して、執 筆は1年程度にて終え、昨年5月に全ての原稿を出版社に送付し、委ねることと なった。

 実は昨年末には出版という当初の予定であった。しかし、大変な事態が起こ っていた。担当のシンガポールの編集担当のお姉さんが5ヶ月間全く作業もせ ず、放ったらしだったのだ。この様なハプニングは信じられない。何度も本を 出しているが、普通は原稿を渡して数か月にて校正が届くのが常だ。あまりに 遅いので、校正がどうなっているか尋ねてわかったのだ。あまりのずさんな対 応に怒り心頭、強烈に批判するメールをWiley社に送った。Wiley側もすべて彼 らの責任であることを理解しており、平身低頭の謝罪だった。再度大至急進め ることで合意。

 改めて、仕切り直しは昨年末からだ。本の内容のほぼ半分は私と故モルチャ ノフさんの成果をまとめ、残り半分は世界中の色々な研究者の結果を紹介して いる。本書は基本的には私の盟友に捧げたものだ。私は電子工学の出身であり、 モルチャノフさんもレニングラード大学の電波物理学の出身なのだ。本文中の ほぼ全ての図が著作権の対象となる。かなりの図については事前に許諾をとっ てはいたが、出版社の指示は極めて詳細で、この作業に数ヶ月取られることと なる。許諾がないと、前へ進めないと言うのだ。許諾と平行して原稿の編集も やってくれればと思うのだが。

 5月の連休明けに第1回目の校正が届いた。しかし、1枚の図が手違いで抜け ているなど、てんやわんやの状態だった。普通は行わない第2校を要求し、 その校正も6月上旬についに終了した。やれやれで、出版を待つまでになった。

 本書のタイトルは「Earthquake Prediction with Radio Techniques」とい う。地震予知の現状、問題点、どうして電磁気現象なのかから始まり、すべて の周波数毎の地震前兆現象を紹介している。各周波数(DC/ULF 、ELF、VLF、L F ………)毎に、その周波数の特徴、伝搬の基本的記述から、地震前兆現象 の重要な結果を載せている。最後には、地震予知学の将来なすべき事や夢を述 べている。地震予知学万歳だ。日本人はじめ、多くの各国の研究者の成果を引 用しており、御礼申し上げる。最後に御礼だ。原稿打ちと図の作成では渡辺優 子さん、著作権許諾では小澤祐子さん、更に最終校正は栗山真理子さんという 三人の秘書に最大級の感謝です。