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教授の随想 早川正士

♯49 「地震の前の静けさ」

  私の新著「直下型地震 誰でも予知はできる 生き残るための戦略」(OROCO Planning社、2017年7月)の第2章では「歴史から地震を学ぶ」と題して、過去の大地震を取り上げ、その発生状況や被害状況などを記述している。例えば、安政東海地震、安政南海地震、宝永地震などを詳しく書いてある。どうも地震はかなり周期的に発生していると強く感じるようになる。
  科学的に地震計を用いた地震観測は明治20年代から開始されているため、それ以前の地震は地震学では「歴史地震」と呼ばれるようだ。歴史地震の状況は如何にして得るのだろうか。どうしてその被害が詳しく分かるかと言えば、古文書に書き残された内容を解読することが出来るのだ。
  地震や津波など自然災害で死傷者や家屋倒壊などが生ずると、年貢の取り立てなどに大きく影響し、領主にとっては大問題であるため、必ず公的な記録文書が作られていた。そのため、江戸時代後半以降の被災を伴う地震はほぼ地震学では把握していると言ってよい。更に、被災を伴わない地震で、ただ揺れたと感ずるだけの有感地震もあるが、これらの記録の担い手は日記だ。当時はかなり多くの人が日記をつけていたと思われる。
  これらの日記を地震計として捉えてみることが出来る。地震学者都司氏が、江戸時代後期の1780年~1853年に江戸周辺で起きた有感地震の数を日記に基づいて調べた。この時期は前述した安政東海地震(1854年)(海溝型)、安政江戸地震(55年)(直下型地震)の直前だ。その結果、1795年~1824年有感地震数は少なく、1年あたり10回程度にすぎない。しかし、25~51年は年間20-30回に急増し、両地震の直前の1852、53年は10回未満という顕著な減少を示した。有感地震の急増期は、地下にひずみエネルギーの蓄積が進んでいることを示している。一方、急減した直前の2年間は地震空白域になっていた可能性が強い。これは時間的な空白だ。勿論、地震学では場所的な空白域もあり、そこでは次の地震の発生が予測される。
  実は、地震前の電磁放射の振舞いにも全く同じことが言える。私たちは学術会合でも強調しているが、地震の前兆には、(1)約1ヶ月から1週間程度前に発生する短期前兆と(2)1日前より発生する直前前兆があることを。しかし、直前前兆はすべての現象に起こるのではなく、ほんの数種の現象だけに起こることがわかっている。いずれにせよ、地震の前の、嵐の前の静けさが必ず存在するのだが、これを電波サイレンス(electromagnetic silence (quiescence))と名付けている。今私の所で共同研究しているギリシャ人ポチラーキス博士のグループも同じ概念を近年主張し、地震の前にはこのサイレンス(静穏期)が発生し、これは地震の発生に必須であると。地震の数は年のオーダでの空白だが、電波の方は地震の数日前のサイレンスだ。嵐の前の静けさは地下での破壊現象の臨界性を考えれば物理的に合理的な考えではないか。

♯48 「紫陽花の時期だ」

  梅雨の時期に入っているが、東京はそれほどの雨も降らず乾梅雨の様子だが、西日本では激しい雨が襲来している。このような極端気象も地球温暖化の影響なのだろうか。
  私が毎日通勤に使っている“京王線”の沿線には紫陽花が咲き乱れていることは、わたしの以前のメルマガでも書いている。もともと沿線の植樹は線路わきの環境保全の一環で行われており、アジサイ、山茶花、つつじなどが植えられている。京王線沿線には26,000株強の、色々な種類の紫陽花が咲き誇っている。私の大好きな花の一つで、車窓の景色が楽しい。
  紫陽花は日本原産のようだが、「あづさあい(集真藍)」と呼ばれていた。「あづ」とは集まるという意味、さあいは#45「徳島はいけるで」でも紹介した藍色を意味し、このあずさあいがなまってアジサイになったというのが通説のようだ。従って、紫陽花は青色(藍色)の花が集まった様子から来ているのであろう。唐代の中国詩人白楽天が「紫陽花」と名付けて、現在の使用となっているようだが、どうも白楽天は別の花(ライラック)と間違えていたとのことだが。
  紫陽花は昔は日本ではそれほど好かれた花ではなかった様だ。その最大の理由は何と言っても、白から赤、青など次第に色を変える点で「七変化」の別名から推測されるように、心変わりなどを連想させるため嫌われた。万葉集の中でも、大伴家持によるこの心変わりを題材にした詩がある。
  紫陽花のイメージが良い方向に変わったのは、その理由はわからないが、どうも戦後のようだ。アジサイは土壌の酸性度により花の色が変わり、一般に「酸性なら青、アルカリ性ならば赤」になると言われているが、もともと花色は開花から日を経るにつれ徐々に変化するようだ。すなわち、紫陽花の色が変わるのは細胞に老廃物がたまる、いわゆる老化が原因だという。他の植物も同様の現象を示すが、紫陽花ほどではないという事だ。何より花の寿命が長いため、色の変化をたっぷり楽しむことが出来るわけだ。もうしばらくの間、京王線、井の頭線で紫陽花を楽しもう。

♯47 「日本への16時間のフライトは疲れた」

 6月1日松前国際友好財団の奨励金に合格し、私の所で4ヶ月間共同研究を行うギリシャ人の若い先生が来日した。40歳後半の准教授だ。財団の計らいで成田空港において出迎えていただき、財団の東京サテライトオフィスのある東京駅まで成田エクスプレスに乗せていただいた。大変忙しい私にとっては助かる手配で感謝だ。
 財団の東京オフィスにおける1時間程度財団などに関するガイダンスを終えた頃に、私たちが東京オフィスに出向きPotirakis博士と面会し、引き取るという手筈だった。4か月の滞在であり、また電子メールのやり取りでなかなか用心深いように思えたので、荷物が多いことを想定し、現在滞在中のDimaさんに同行をお願いした。私のような老生ではおおきな荷物は手に負えない。予想通り、おおきいというより大の大のluggage二つだ。本人とDimaが一個ずつ運び、調布まで約1時間のJR線,京王線の旅で、電通大の国際交流会館に到着した。英語には全く不自由がなく、意思疎通に問題なく助かる。先ず、第一印象を聞くと、その答えは「16時間のフライトは長すぎて、疲れた」だった。アテネー東京直通便がなく、ローマ経由のため16時間かかったのだ。海外へこんな長いフライトは彼の生涯で初めてであり、また不思議な日本も初めてだ。とりわけ、奥さんがどうしても行かなければならないのかと執拗に聴かれ、その説得に時間がかかったのだとは本人の言。彼が得た日本に関する事前の情報はどうも芳しくないことが多かったようで、来日していろいろ見聞きすると事前の情報が驚くほど間違っていたようだが、現在では調子よくその滞在はスタートしていると言える。
 彼の話を聞きながら、私たちが最初に外国へ出掛けた時のことを思い出した。1975年で、長男4歳の時で、家族で出かけた。一応英国シェフィールドでの住まいは事前に頼んでいたのだが、空港へ迎えに来てくれるはずの人が全くいない状況だった。東京を発つときにすでに5時間程度遅れ、さらにモスクワで5-6時間遅れ、トータルで10時間以上の遅れだ。迎えは帰ってしまったのだろう。知らない国でこれほどさびしいこともなく、完全なパニックだが、慌ててもしょうがない。子供が愚図り、汽車よりもレンタカーにしようと決めた。レンタカーのオフィスに行くも、最初の所は若いお姉さんは英語をまくしたれて何を言っているのか全く聞き取れず。隣の別のレンタカーへ。今度は幸いなことに、年配のおばさまで、ゆっくりと話してくれ、やっとの思いで車が借りられた。英国での車の通行は日本と同じ左側であり、M1という高速道路にてシェフィールドへ入る。しかし大変な思いだった。友人宅で数日過ごし、アパートなど落ち着いてから、大学へ出かけた。指導教官たるトム・カイザー(教授)から、“What a brave boy!”と言われたが、単にあきれ返ったにすぎないと思う。

♯46 「ニジニ・ノヴォゴロド(昔のゴーリキー)からの来客」

 5月末にJpGU(日本地球惑星科学連合)がAGU(米国地球物理学会)との合同総会を幕張において開催し、引き続いて5月26日(金)27日(土)の両日千葉大学においてIWEP(地震準備過程に関する国際会議)が開かれた。ともに参加したが、とりわけ後者は議論も沸騰し楽しい二日であった。なぜなら、私は最近外国での国際会議に出席できる体力はないので、プログラムを見ていける日を夢見ているからだ。前にもメルマガでご紹介したプラズマ物理の大家、故トラクテンゲルツ(Trakhtengertz)教授の愛弟子の若い教授Dima Iudinが両会議のために来日し、久しぶりの再会が叶ったのだ。更に、その後1ヶ月調布にて雷の発生に関する共同研究を行う予定で、楽しみだ。
 どの研究者も順調に研究生活を続けられるとは限らない。家族の問題などさまざまな理由により一時的に研究を中断することを余儀なくされたりする。しかし、そのような中断から次の新しいチャンスが生まれることも充分ある。Dimaは2000年前半に私たちの地震フロンティアプロジェクトの時に1年4か月日本に滞在し、私たちと地震に伴う電磁気現象にフラクタルの概念を持ち込む仕事をした。しかし、かれも一時研究を中断した。がいまはフラクタルの新しい方向性を求めて研究意欲十分だ。50歳前半の若い教授で、ロシアのNizhny Novogorod (ニジニ・ノヴォゴロッド)の出身だ。
 実はこの町はロシア第4の都市で、昔ゴーリキーと呼ばれた町で、周辺も含めると約200万人の大都市だ。その名前の由来は文豪マクシム・ゴーリキーにちなんでいる。もう一点はヴォルガ川とオカ川の合流点に位置する。同地出身の故トラクテンゲルツ教授もヴォルガ河クルーズによる学校(国際会議)を数回主催した。川を数日にわたりクルーズしながら、主要な場所では降りて観光するタイプの国際会議だ。一時は結構流行ったもので、旧ソ連の外貨稼ぎとして有用だった。わたしも度重なるご招待を断りきれず、気乗りせず一度だけ参加した。私はもともとこのようなカンズメ状態での会議は苦手なのだ。クルーズ学校というと一見大変楽しそうに思われよう。朝も食事は一緒、昼も夜も一緒。午前、午後に発表するのだ。私が一番気にかかったのは、夜船は止まるものの、必ずゆっくりした周期で揺れるのだ。これが仲々しんどくて眠れない。次は、トイレの問題だ。100人程度が上船し、複数個のトイレがあるのだが、どこも詰まった状態になる事だ。どこにいても、何処にトイレがあるのかを推測するのは容易な事だ。実は米国の電離層研究者として有名な教授の夫婦が上船していたのですが、奥さんが見えないので体調でも悪いのか旦那に尋ねたら、彼女はすでに下船し、帰ったとのこと。原因はわからないが。またクルーズの途中、確かニジニ・ノヴゴロドにおいて下船し、夕刻のバーベキューパーティが開かれた。参加者は蚊には喰われるは、スープは蚊の出汁入りだ。これも懐かしい記憶だが。

♯45 「徳島 いけるで」

 5月13日(土)徳島市近くの上板町での熱中小学校にお招きいただいた。この熱中塾は以前にも紹介したように、地域創生が主たる目的だ。大変忙しくしていたので、羽田からの飛行機に飛び乗ったという感じだった。フライト自体は1時間で、徳島阿波おどり空港到着だ。徳島といえば、なにをおいても阿波おどりだ。空港から車30分ほどで会場に到着したが、会場は上板町の「技の館」という超モダーンな円形の建物で、その会場には100人もの塾生で溢れかえっていた。当日のプログラムは私の地震予知の話と四国大学の有内則子先生の徳島の藍染の話の二本立てだ。南海地震に如何に備えるのかをお話ししたが、熱心に聴いていただき、予想外の反応だった。また、意外に若い方が多かったのもうれしい限りだ。
  有内先生は徳島(阿波)藍染めの歴史から始まり、どうして青くなるのかという化学的説明まで、すこぶる興味深かった。産業品として阿波藍がこれほど有名だったとは全く知らなかった。藍染の青色はサッカー日本代表のユニホームの「Japan Blue」として知られている。徳島は、この藍染めの原料となる藍染料の「すくむ(藻)」作りの本場で、その伝統は今も引き継がれているのだ。どうして徳島かは簡単で、大河の吉野川のおかげだ。昔はこの吉野川は台風のたびごとに洪水を繰り返していたのだが、この荒ぶる川により流域には肥沃な土が運ばれ、藍作を可能にしたのだ。しかも、藍の取り入れ時は台風の到来時期の前なのも好都合だ。
 更に、豊臣秀吉の家臣で、愛知出身のあの蜂須賀家政が徳島藩主になった時、阿波藍の隆盛に貢献したのだ。蜂須賀は阿波藍の生産の保護、奨励におおいに力を注ぎ、そのため徳島には藍師、藍商が全国から集結し、大歓楽街まで出来ていたとの事。その頃の名残は藍の名のついた町名や町内に点在する大藍商人の御屋敷からも窺える。江戸元禄時代には、全国的に木綿が多く生産されるようになったこととも相まって、徳島県は藍の作付け面積、生産量とも全国の過半数を占めるに至ったのだ。しかし、その後インド藍が輸入され始め、また明治後期からは化学合成の人造藍が普及し、徳島の藍は衰退の一途をたどった。
  有内先生のお話の後、藍染の体験が行われた。染めの回数により、それぞれの色に名前が付いているのをご存知ですか。例えば、4~5回染めると「縹色」(はなだいろと読む)、更に進むと10回程度で「搗色」(かちいろ)となる。「搗色」は勝つに通じる為、武士たちがとりわけ好んだ色のようだ。染める前にビー玉、割りばしなどを使いハンカチにどんな絵柄をいれるかで悪戦苦闘だったが、実に楽しいひと時だった。  衰退した藍栽培も、伝統工芸品や自然の手作り作品への人気の高まりなどあり、徳島でも昭和50年ごろから郷土の伝統産業として注目され始めている。栽培から藍染めまで一貫して行っているのは徳島だけとのことで、最大のアピールだ。壮大な吉野川沿いをドライブし、上板熱中塾の塾長丸山さん、(株)ジャパンブル―上板の瀬部さんはじめ皆さんと徳島市内の懇親会。おいしい魚料理、ビールでいかに徳島を活性化させるかで話は盛り上がった。また熱中塾の関係者、塾生ともいかに地元を愛しているのかひしひしと伝わってきた。徳島では何とかなることを楽観的に、「いけるで」というそうだ。「徳島 いけるで」だ。

♯44 「もう一度プラズマを勉強しては!」(2017/5/18)

 最新の電気学会誌に東工大名誉教授石井彰三先生の記事が出ており、読んだところその内容に痛く共感したため、先生の記事も参考にし、プラズマ(plasma)について書きます。石井先生は電気学会の委員会でよくお会いしたプラズマ工学の大家です。
 物質の状態には固体、液体、気体の3種類がある事は皆様もご存じだと思います。第3の状態の気体に外部からエネルギーを加えると、気体を構成する分子の結合が破れ、電気を持った電子とイオンにわかれ、それぞれ運動するようになる。これが第4の状態のプラズマです。実は、宇宙空間の99%、ほとんどがプラズマで出来ており、私たちが地震予知のため監視している電離層からはじまる上空の空間は言うまでもなくプラズマ状態です。
 最近の工学部電気/電子工学の学生さんへの授業は、情報系授業の著しい増加に伴い、すべてその内容が否応なしに表面的で、深みに欠けていると言わざるを得ません。あまりいい傾向とは思いませんが。やはり基礎となる主要科目を徹底的に教え、学ぶ方が将来のためになると思うのですが。私たちの学生時代は東京オリンピック(1964年)の頃で、電子産業界は真空管から半導体に置きかわる過渡期でした。現在の電子デバイスや電子回路に関する授業では、言うまでもなく半導体素子が中心で、真空管は全く登場しません。博物館に出掛ければ見られますが。さて、プラズマには正確な定義がありますが、実は一般社会とよく似ており、私は授業でこんな風に教えていました。負電荷をもつ電子と正電荷のイオンがほぼ同数存在し、電気的にはほぼ中性であることが第一の条件です。ここで、軽い電子を男性とし、イオンを女性と例えば、この第一条件は満足されます。第二は、時として電子もイオンも集団運動をすることです。一般社会でも全く一緒ではないですか。このプラズマ物理の発展は、1950年頃から始まる夢のエネルギーと言われた核融合の研究に起因しています。たとえば、核融合では、高温のプラズマを長時間保持が大事ですが、それを阻止するのが先に述べた集団運動による不安定性です。この頃、私は宇宙プラズマを対象としてプラズマを勉強し始めたのです。最近では、真空管の電子、イオンの運動、プラズマの振舞は電気/電子工学科ですらほとんど勉強していないのですが、ちょっと難しいこのプラズマを勉強してはとおすすめしたい。電磁気が基本ですが、統計力学、電磁流体学、原子物理学、分光学、物性論などと関係し、プラズマを深く理解することより、幅広い学問領域に触れることが出来るのです。
 プラズマの基礎でも学び、電子とイオンの動きが描けるようになると、電気電子材料や電子デバイスなど他分野の内容についても深い理解が得られる。電子とイオンが関わっている現象は、プラズマで培った知識を基本にすれば、何の抵抗もなく理解できる。溶接、エッチング、薄膜形成などから、最近ではプラズマを用いたガン医療分野など、新しい応用の展開が大いに期待されます。

#43 アメリカ人気象学者との久しぶりの再会(2017/4/27)

 先週土曜日(4月15日)東京で是非会いたいとの突然の電子メールが入った。アメリカ人気象学者アール・ウィリアムズ博士だ。マサチューセッツ工科大学(MIT)の所属だ。雷も含め幅広く気象の研究をされており、世界的に見ても最も優秀な気象学者だと思う。4月12日~14日上越での“冬期雷”に関する国際会議で来日しており、帰路東京にて“会って話したい”との事。土日にはよく地震予知の講演会だったりするのだが、幸いにその予定もなかったため、昼過ぎ東京駅に出迎え、あるレストランで数時間話した。私は最近国際会議に出掛けないため、何年振りの再会で、積もる話に花が咲いた。雷、地震予知などの科学的な話題から、トランプ政権などの政治的なものにも及んだ。
 とりわけ彼が興奮気味に話したのは、現在ではELF(extremely low frequency、周波数で3kHz以下だが、重要なのは1-50Hz)観測点が世界中で30ヶ所にものぼることだ。ELF帯の主たる現象はシューマン共振で、赤道帯の雷活動により電離層・大地間の空洞共振が起きるものだ。その共振周波数は8, 14, 20 Hzだ。シューマン教授の予言が1952年、1960~70年代がELF研究の第1活動期であり、世界的に5-6か所のELF観測点が設立された。一つが名大空電研究所の鳥取であり、米国ではMITのRhode Islandである。しかし、1980年代に入り、このELF観測では世界雷などの全般的な理解は得られたものの、その後の大きな発展は見込めないとして、完全にその研究が休止したのだ。だが1990年代に入り、この古いテーマに新しい命を吹き込む二つの事象が起こった。まず第一はウィリアムズ博士による1992年の論文だ。ELFシューマン共振の強度が赤道帯の雷活動を反映し、地球温暖化のモニターに使用できるのではとの趣旨だ。地球温暖化が叫ばれ始めた時期だった。第2番目は、落雷(特に正極性落雷)時に、上空の中間圏でスプライトという発光現象が起き、同時に巨大振幅のELF電波が発生することがわかったのだ。大気圏での雷が上空の電離圏にまで及ぶとして宇宙研究者も大いに注目したのだ。こんな中、1992年サンクトペテルブルク(ロシア)で国際大気電気学会が開かれ、アール、サシャ ニコラエンコ、私が会食し、再度ELF観測を世界的に再開することで合意し、米国セクターはMITのRhode Island、日本セクターは早川が北海道母子里にて、欧州セクターはレクタにてニコラエンコがELF観測を始めたのだ。これが、実は近年のELF黄金期のきっかけなのだ。
 更に、私たちのもう一つの重要な貢献は世界多点で同時観測されたシューマン共振データを用いて、その時刻の世界雷分布を導出する逆変換手法を提案しているのだ(Shvets and Hayakawa、2014)。将来この手法(またMITグループは別な逆変換手法を開発中)を用いると、世界雷分布を“実時間”で監視することが出来るようになる。画期的なことだ。人工衛星からの雷観測は高価であると同時に衛星直下の雷しか把握出来ないという欠点がある。世界多点でのELF電波連続観測を用いて、長期的には地球温暖化を監視し、また短期的には極端気象など地球環境の監視・予測が可能となることが期待される。

#42 大事件の前に必ず小事件あり(2017/4/11)

 数日前届いた防災・危機管理情報メルマガの目次の中に、いささか気になる表題のタイトルがあった。ある人物を紹介するものだが、土木・建築事業というまったく異なる分野での人物の話だ。高崎哲郎さんという方の書かれた記事で、取り扱っている人物の名前は青山 士(あきら)さんだ。
 多分土木工学分野では誰もが知る御高名な方だと察するが、わたしのような電気・電子工学の出身者にとっては全く存じあげない人なのだが、彼のタイトルの発言がまさしく私たちの従事している地震予知の本質そのものを言い当てられていることから驚いた次第だ。
 彼の論点は明確で、「大事件の前に小事件がある」というものだ。「小事件をすばやく、注意深く見逃すことなく捉えれば、大事件には絶対ならない」と。実はこの逸話には次のような大事件が背景にあったのだ。1927年6月、当時の内務省(内務省のカバーする業務は多岐にわたり、現在では総務省、警察庁、国土交通省,厚生労働省を含む)土木局を震え上がらせる大事件が勃発した。日本一の大河、信濃川に巨額を投じて作られた大河津分水の大堰が梅雨の豪雨で破壊されたのだ。しかも悪いことに、完成してわずか5年しか経っていなかったのだ。
 その当時荒川放水路の主任技師だった青山氏は、一報を聞き同分水の設計ミスや監視・管理の手抜かりなどを厳しく批判し、タイトルの発言となったのだ。今日でもこの類の事象はいろいろ起きているが、いつもお役所の弁解は「想定外」と言うもので、自分たちの非を認めようとはしないのが常ではないか。しかるに、この技術官僚青山氏はお役人発言をするのではなく、技術屋の視点から「小事件は救いを求める自然からのシグナルだ」と声を荒げて同僚や部下に言ったという。幸い復旧工事は4年後に完成し、大河津分水路の脇にある補修工事竣工記念碑の碑文には、表には「万象に天意を覚(さとる)る者は幸いなり」、裏には「人類の為 国の為」と、彼の思想が顕著に刻まれているという。是非一度訪ねたいものだ。
 重要な事は、青山氏が土木建造物においても破壊の前には予兆がある事を理解されていたことだ。私たちは地震予知に従事し、地震という自然現象を相手としているが、破壊現象という観点からみれば、土木建造物も地震もストレスに対してはまったく同じ振る舞いをすると言えるのではないか。
 さらに興味を持って調べると、同氏は東大卒業後渡米、パナマ運河建設にも携わった唯一の日本人だ。日露戦争で日本が勝利した頃からアメリカ、中南米では大変な反日運動が起こっている状況下でのパナマ運河建設への参加であり、なんと勇気ある、高い信念を持った日本人がいたことを誇りに思えませんか。

#41 自治会での防災準備は大丈夫?(2017/3/31)

 2月26日、日曜日、千葉県柏市のある自治会のご好意で防災講演会を開いていただいた。柏市にも多くの自治会がある様だが、その一つの自治会の若い会長さんの企画だ。実はこの方私たちの地震予知観測でボランティア的にここ数年アンテナ設置など大変ご協力をいただいている方で、御依頼は即お引き受けした。ご自身が地域の自治会長に選ばれ、地域への貢献とは何かをいろいろ考えるようになったとのこと。防災準備が大事なことは言うまでもないが、私たちの地震予知情報が防災に大いに役立つだろうとの考えから、その存在もおおくの方に知らせたいと、今回の講演会となったのだ。有難い限りだ。お休みにもかかわらず、多くの人に足を運んでいただいた。柏市市立の中原中学校の理科教室で行われたが、中学校も、理科教室も数十年振りのことだ。
 実は、1995年の神戸地震後に一時期、自治会、マンション、町内会などからの講演の依頼が集中したことがあった。今から15~20年程度前の時期だ。その時のことを思い起こすと、ほぼどこの町内会にも60~70代の年配の方で、自治会、町内会の防災に極めて熱心な方がいたと感じた。地震についても豊富な知識を持たれ、また地震時の避難などにも詳しいのだ。私は地震予知の重要性だけしかお話しできなかったが、よく理解していただいた。残念ながら、その当時地震予報はまだ実用化されておらず、当然まだ配信されていなかった時代だったことを考えると、大変先進的な方々だったと思う。その後永らく自治会、町内会からの御依頼はなく、今回の柏市の自治会からの御依頼は久しぶりのことで極めて新鮮だった。今後自治体などで私たちの地震予報をご活用していただくようになれば良いと期待する。
 多分、防災に超熱心だった年配の方々が最近では引退されたのではないかと推測できる。40~50代の方が新しく自治会などの長を務めるようになり、世代交代により、防災に対する貴重な知識などの継承がなされず、途切れてしまったのではないかと思った。私が間違っているかもしれないが。このような知識・意識の継承、蓄積はどの分野でもすこぶる重要だ。ハードは引き継げても、一番大事なソフト(意識、いろいろなノウハウ)の継承が日本ではうまくいってないと感ずる。しかし、3.11地震を契機として関東地区でも直下型巨大地震の襲来が大いに危惧されることから、若い世代にも地震防災・減災への意識が高まりつつあるように感じられ、大変喜ばしい事だ。また、中学校の校長先生からは、多くの学生を預かる学校としては地震予報のような可能性情報は大変有用ではないかとの率直なコメントもいただきましたが、こればかりは市の教育委員会の御理解が不可欠なことは言うまでもないが。

#40 入管でもたもた(2017/3/22)

 今年は大変忙しくなりそうな予感がしていたが、事実忙しくなりそうなのだ。ビジネスの大展開を期待している。サイエンスの面でも、外国の若い人たちが私たちの所で一緒に仕事をしたいとの事で、老生にもかかわらず引き受けることになっている。ギリシャの若い研究者とロシア人の若い教授だ。
 とりわけギリシャの若者は地震予知に関係する分野での招聘で、国内の財団に申請した所運良く採択されたのだ。採択は結構なことだが、それに伴って色々な雑用が増える。今回は6月から4か月の滞在で、受け入れの際には在留資格認定書(Certificate of Eligibility, COE)の発行を国に申請することになる。2月末財団から10枚以上に及ぶ申請書一式が届いた。その中には受け入れ側が埋める数箇所(私の略歴など)があり、それに受入機関の受け入れ証明書を添付するのだ。
 3月1日申請書一式を東京入管(入国管理局)に朝一にて持参した。東京入管は品川埠頭にあり、品川駅の港南口には当然の事ながら入管へのバス乗り場の案内があった。朝9時に入管オフィスは開くため、9時には到着するように早めに出かけたが、到着した時にはすでに21人が整理券待ちだ。待つこと1時間程度で私の順番が来たが、あえなく書類不備でつきかえされる羽目に。同君の受け入れは大学ではなく、大学発ベンチャーの(株)早川地震電磁気研究所の代表取締役早川が受入指導教授であり、これを証明するもの何かが要るとのこと。一番確実なものは会社の登記簿謄本で、そのコピーが不可欠との事。急ぎ戻り、一番近かった法務局の品川支局(品川区総合庁舎内)にて謄本を取った。品川区役所は大井町駅より結構な距離だ。そのコピーを持参し再度提出し、ビクビクだったがようやく受理という事に。久しぶりの入管での出来事だった。
 思い起こせば、大学在職中には何十人、いや査証も含めれば何百人の外国人を招聘していたので、一部の人は早川研を旅行代理店と呼んだり、一時期はロシア人が多かったことから「ロシア人部落」とも呼ばれていた。勿論ロシア人だけでなく、色々な国の人、例えば仏人などもいたのだが。その当時の秘書は常時2人体制で、一人は研究面の補助、例えば研究論文のタイプ、助成金の申請書類など。もう一人はお金関係、すなわち助成金も多かったためそのお金管理、伝票作成・整理などだった。更に彼女たちは、外国人のCOE, 査証手続きなども行わざるを得ず、大変な仕事だったと思う。とりわけ国際会議の開催時には、50人以上の書類を一斉に作成したりなど。それに比べたら、今回のギリシャ人の場合、書類はすべて財団が作成していただいており、私の仕事はたいしたことはない。しかし、COEの申請時には必ず誰かが申請に出向く必要があるので、よく想い出せないのだが、在職中は秘書に行かせた記憶はなく、多分私自身が法務局(多分霞が関)に持参したのだと思う。

#39 テレビ取材はいつもてんやわんや(2017/3/13)

 2月21日(火)の午前11時頃の事だ。その時間は約束していた来訪研究者と将来の共同研究の可能性など色々と話していた時だった。テレビの取材依頼の電話だ。テレビ取材はいつも突然にきて、一日ないし二日にて放映したいというのが彼らの当り前だ。テレビにはそれなりの回数出演しているが、とりわけ生放送は大変な拘束で最悪だ。このような取材の時にはいつも決めているのだが、まず地震予知の概論の講義から始め、続いて会社での取材、インタービューなどなど。これで完全に一日取られる。また放送当日には夜8時の放映にもかかわらず、朝テレビ局に集合だ。そこで、一日のスケジュールの説明、そして待つことに。昼食後一度リハーサル、そしてまた待ちだ。さらに、一人の出演ならよいが、数人が一緒の時には要領の悪い人などいると目も当てられない。何度もやり直しだ。この状況でも「地震予知」の啓発のためと、忍耐の一字だ。しかし、たまには気に入っている女優さん、女子アナと廊下ですれ違うというこの上ない喜びもあるが。
 今回はテレビ朝日の翌22日(水)の朝7時からの「グッド!モーニング」という番組だ。生出演ではないので、大学だけでの取材で終えられるので比較的簡単だ。テレビ朝日のディレクタから、地震予知の最前線と最近の地震に対する的中事例などを取材したいとの事。同番組の制作担当者が21日午後2時に到着し、午後6時過ぎまでの拘束だ。私たちの地震予知の主流は大気圏の乱れや電離層の乱れを測るもので、電離層と言った途端何なのという顔をされる。更に、電波は皆様携帯電話を使われているにもかかわらず見えないため、これまたテレビ的には厄介なものであることは皆様もご存じのとおりだ。ただ今回取材に来られた製作担当者は幸いなことに、もともとアマチュア無線をやっていたとの事で予備知識が十分である上に、私の色々な記事、HPなどを事前に読まれてきているのだ。全く知識もなく取材に来る横着な人が多いなか。電離層の事も電波の事も理解されており、取材後地震予知だけでなく、いろいろなことが学べて、大変面白かったとは彼の感想だ。私たちの「予知するアンテナ」にもその場で登録いただき、そのサイトも見ながら疑問点をその都度説くというスタイルで進めた。その間、彼の携帯電話には頻繁に本社ディレクターから、これを聞け、あれを聞けと。最後に彼はカメラをかかえて、私の机で、地震予知の方法、どれ位の的中率、最近の地震事例とその結果などをインタービューし、これが放映されたはずだ。
 またまた私は自分の出演番組は見ていないのだが、アナウンサーがパネルを用いて7-8分私たちの地震予知法について説明するというかなりしっかりした番組だったようだ。しかも、私の主張で、内容の正確性は多少欠いても、わかり易くするようにと。放映後ディレクタ―から御礼の電話とともに視聴者から大変わかり易かったという大きな反響であった旨の連絡だった。これもひとえに取材者のポテンシャルの高さの賜物であろう。御礼だ。

#38 天邪鬼(あまのじゃく)のすすめ(2017/2/24)

 2月8日(水)にAITUC(高度情報技術活用コンソーシアム)(理事長 赤木健一さん)の2017年第1回目の技術交流会が開かれ、第1部が東京農工大学の中川正樹先生の出版記念講演だった。先ず、AITUCについて一言。数年前に設立された主としてIT関連会社から成る新しいコンソーシアムだが、赤木理事長の考えははっきりしている。変化の激しいIT業界において中小企業の多くの会社が相互に連携することにより全体的に元気になろうというものだ。
 私も昨年末OROCO Planning社より「直下型大地震 誰でも予知はできる 生き残るための戦略」と題する新しい本を出版したが、中川先生の本はこれに続く企画だ。中川先生の御著書は「弱みを強みに」―手書きをディジタルに―というもので、先生はスマホでおなじみのタッチスクロールの開発者で、文章や高等な数式まで手書き文字をリアルタイムにディジタル変換するもので、広範な分野に応用が利き、画期的な技術だ。それよりも、先生の1時間半にわたる御話しに久しぶりに魅了され、大変楽しい時間だった。先ず、学問への真摯な取り組み方もすばらしく、又最近の大学の問題などは大いに考えを同じくすることが多かった。私と著しく異なるのは、産学連携の重要性をいち早く理解され、それを農工大で実践されてきた事だ。私など自身のベンチャーの運営でアップアップしているのに。
 先生のお話は示唆深いことが多かったのが、一つだけを是非皆様にお伝えしたい。中川先生の東京大学理学部時代の恩師高橋秀俊先生が言われた事のようですが、「天邪鬼(あまのじゃく)のすすめ」だ。この天邪鬼という言葉は、私たちが小さい時には結構頻繁に使われ、またよく耳にした言葉だったが、ここ数十年全く聞いていない言葉を突然聴き、すこぶる感動的だった。私は小さいときよく天邪鬼といわれたので。最近の若い人はほとんど聞かない言葉だと思うので、辞書を見てみよう。もともとは仏教由来の言葉で、仏教では人間の煩悩を表す象徴として、四天王に踏みつけられている悪鬼からきているようだが、普通の意味はわざと人に逆らう言動をする人、つむじ曲がり、ひねくれ者の意味だ。どちらかといえば、良くない意味で使われることが多く、変人、奇人とでも言える。しかしよく言えば、個性的なのだ。東大高橋先生は「電磁気学」の教科書も書かれ、私も学生時代に副読本として勉強に使った。「天邪鬼のすすめ」は研究者に向けられたものと思う。私がメルマガでも何度も書いている様に、「人のやらない事をしなさい」とか「新しいことしなさい」と同義のことと確信する。中川先生のお仕事やその進め方はまさしく恩師の天邪鬼のすすめ通りではないでしょうか。中川先生も御指摘されていた様に、最近の大学の先生は文科省の判定基準であるIF(impact factor)の高い雑誌に論文を投稿し、高い引用率(citation factor)を得ることが「目的」の様になっていると嘆かれていた。これはあくまで手段で、何をやりたいのかを明確にせよとのご指摘だった。全く同感だ。

#37 尊敬する大先生が逝く(2017/2/14)

 私も齢70を過ぎ、昔共同研究を行った先生方が一人一人と亡くなられていく。大変寂しいことではあるが、これも受け入れざるを得ない。約1年前にはイスラエルのアルペロヴィッチ教授が、昨年末にはニュージーランドのDick Dowden(ドーデン)教授が84歳で亡くなられた。ここでは、ドーデン先生を是非御紹介したいと思う。オタゴ大学はニュージーランド南島の下の方に位置するダニーデンという町にある伝統ある大学であり、ドーデン先生はそこの物理学科の教授を永らく務められた。最初にいつお会いしたなど記憶が薄くなっているが、とにかく早口で機関銃のようにしゃべる先生というのが先生の第一印象だった。
 実は、同先生は電離層/磁気圏という上層大気(スペース物理)研究の大家である。数少ない南半球出身者として、超高層大気中での波動現象に関する研究において顕著な業績をあげられた。同先生の特徴はなんといっても、波の位相情報に最大の注意を払われたことだ。ちょっと難しくなるが、波の持つ性質は二つあり、振幅と位相だ。振幅は波の強さそのものであり、理解しやすい。他方、位相は少々難しく、波のような周期的現象において、1周期中のどの位置かを示すものだ。頭の良い研究者は振幅(強度)だけの情報で充分といい、あとは理論の助けにより波の全貌を明らかにするとしている。しかし、私たちは波の到来方向などを計測する方位測定に長年携わってきたが、この中では位相情報が必須になってくる。実は、ドーデン先生は私たちと全く同じ立場で、位相情報の重要性を強く主張されてきた。一時期ドーデン先生がスタンフォード大学グループとあるテーマにおいて激しく対立した時も、位相情報を活用したデータを示して対抗しておられたのをみている。同先生のもう一つの特徴は、物理学科の先生の中にはこの様な先生も少なからずみえるのだが、装置、機械を自身にて作るのが大得意なのだ。電子回路も自作し、それを観測に用いたりするのだ。「新しい機械が新しい物理につながる」というお考えである。私も全く同感なのだ。私が中部大学の太田先生とともにオタゴ大学を訪問した時、授業に使われていた電子回路の講義ノートを私たちに見せていただいたことを覚えている。私たちが電気・電子工学の出身であることを知ってのことだ。地球物理学の分野では、市販の機械(それほど精度のよくない)を多数、例えば100台並べれば問題は解決できるとの考えが大勢なのだ。私たちはドーデン先生と共通した考えで、波が運んで来る情報は最大限その情報を受け止めるのが私たちの責務というよりは礼儀とさえ考えるからだ。勿論そうするためには、より複雑な測定手法(例えば、磁界なら3成分、更には電界も3成分も計測するとか)が不可避となり、新しい装置を開発することが要請されるのだが。
 私たちが1995年神戸地震での明瞭なVLF伝搬異常を発見したのち、日本国内で地震前兆のVLF伝搬異常を検知するVLF受信器を作りたいと考えた。NASDA のフロンティア計画においてドーデン先生と共同で開発した受信機が現在も国内で稼働している。勿論各種の改良はなされているが。
 きびしい先生だが、時折みせる人懐かしい笑顔が今も目に浮かぶ。ドーデン先生のご冥福を心よりお祈りします。

#36 将来有望な日本大気電気学会!(2017/1/20)

 年明けの2017年1月6日(金)7日(土)の二日間神戸での「日本大気電気学会」の第95回研究発表会に参加した。最近では高齢者のためのジパング倶楽部というJRパスを活用することが多く、運賃が3割引きという特典を楽しんでいる。しかし、この特典の難点はと言えば、ひかり、こだましか乗れず、“のぞみ”という超高速列車には乗ることが出来ないことだ。当然のことながら、今回の神戸出張もひかりを考えていたが、年末年始の繁忙期にはジパングは使えないのだ。ならばということで、はじめて“のぞみ”に乗ることに決めた。新神戸はかなり遠い。のぞみでも品川から2時間40分の長旅だ。幸いにも年始のUターンとは重なることもなく、車内はそれほど混雑しておらず、ゆっくり本を読んだり書きものをしたり快適だった。
 さて、このメルマガの主題はのぞみではなく、学会だ。私の最近の興味は専ら地震予知であり、「日本地震予知学会」に注力しているため、ほかの学会にはほとんど参加していない。実は日本大気電気学会会長より神戸で特別講演を依頼されたが、同時に同学会の名誉会員への推挙もおこなわれるとの事で、大変光栄なことだ。大気電気学会とは、雷を中心とした大気中での諸現象を総括的に論ずる学会で、将来的には極めて重要な学会ではないでしょうか。私の特別講演は「ノイズ研究45年(空電・スペース物理・雷・EMC・地震・予知学)」という題で、ノイズ(雑音)がシグナル(信号)よりはるかに興味深いことを伝えたかった。シグナルはわたしたちが制御できるのに対し、ノイズは制御不能で、その点が私を惹きつけるのだ。名古屋大学空電研究所、電気通信大学、ベンチャ会社において行ってきた研究の概要とその折々に感じた事を述べた。10年ごとに新しい課題に取り組めたのは新鮮だった。しかも、理学的なものと工学的なものと。講演後のひとつのご質問として、「若者への提言はありませんか」と。そこで、私の恩師金原先生より聴いていた話を引用させていただいた。金原先生が昭和10-12年欧州へ留学されていた折、ドイツの電子工学の大家バルクハウゼン教授から直接金原先生が聞かれたことだ。教授曰く「私のように年を取ると、研究における世界の大勢は解る。重要な問題ではあるが、困難なため誰も手を付けていない課題に取り組む。しかし、君のような若人は、まず基礎を書いた本を熟読してから、文献を調べた上で、研究に着手するのが良い。人が完成したことを真似るのは研究ではなく、前人未到の領域に踏み込むことだけが研究だ」。
 この大気電気学会は若い人たち、とりわけ大学院生で会場が溢れていることが印象的だった。若い人が多いことは活気に繋がる。しかし、1つ苦言を呈するとすれば、発表の多くはこれら学生、大学院によるものばかりで、先生方の発表が極端に少ない事だ。大学院生の発表に加えて、色々な大学の先生方が講演し、それを聴くことは大学院生、学生にとって極めて意味のあることと思うが。前回のメルマガで紹介した「日本地震予知学会」とは極端に異なる。地震予知学会では老人パワーが重要な役割を果たし、私も含め多くの高齢者が講演した。地震予知学会では、如何に若い人を招き入れるかが急務である。

#35 楽しかった日本地震予知学会第3回学術講演会(2017/1/12)

 3年前の2014年「日本地震予知学会」を一般社団法人として立ち上げた事は本メルマガでもすでに紹介したと思う。例年のように、2016年(昨年)末12月21日(水)、22日(木)の二日間にわたり、電通大において第3回の学術講演会を開催した。
 どうして年末の忙しいクリスマス前後の時期を選ぶのか不思議に思われる方もみえよう。私が電通大の現役教授だった時代には、この時期恒例の「地震電磁気シンポジウム」を永年にわたり開いていたのだ。現役の先生がなるべく多く参加できることを考えると、この時期が唯一の解答なのだ。即ち、このシンポの前一週間はAGU(アメリカ地球物理学会)が米国で開かれ、ほとんどの先生はこれに参加され、授業もほぼ終了している時期なのだ。この名残でこの時期なのだ。
 実は今回の学術講演会に関して私は個人的に大いに心配だった。なぜなら、世界的動向だが、地震予知や地震電磁気の研究に従事する研究者の老齢化が最大の問題であり、私たちと一緒に共同研究を続けていた有力大学の教授が複数定年退官されるなどの事も重なり、発表件数が著しく減るのではないかとの危惧であった。
 しかし、私の不安をよそに、投稿件数も充分あり、両日とも出席者60人強にて、きわめて活発な議論が展開され、会場は熱気で溢れていた。私の当初の心配は杞憂に終わった。招待講演として、JAMSTECの阪口 秀先生、防衛大学校の小林文明先生、NTTアドバンステクノロジ㈱の服部光男先生、グループ活動講演を防衛省の橋本靖明さんにお願いした。阪口先生からは地震予知への貴重な提言をいただいた。天気予報との対比において、地震予知はまだ未熟な段階にあるものの、科学であるべきものであると。天気予報の歴史からすると、地震予知には400年かかると。勿論、わたしたちはその10分の1程度、すなわち40年程度と考えており、1995年の神戸地震からすでに20年の研究歴があるのだ。更に重要なご指摘として、「地震では地震は予知できない」と。すなわち、地震データだけでは地震は予知できないと。続く小林先生からは最近頻発する竜巻の最先端の話題が話された。服部先生は人工雑音の信号処理、とりわけAPD(振幅確率分布)の有用性が指摘された。また、橋本さんからは、自衛隊の災害時の活動が詳しく紹介され、「それなりの確率の地震予知情報なら、自衛隊の活動に大いに有用である」と。すべての講演は学会員にとって大変有意義なものであった。これらに加えて、グループ活動講演、一般講演を含めて総数33件の論文が発表された。今回初めての企画として、「2016年熊本、鳥取地震の前兆」と題するセッションを設けた。地殻変動のGPS解析、電磁気現象(ELF放射、電離層擾乱など)などの明確な前兆現象が多数発表され、それらの現象の更なる連携により地圏・大気圏・電離圏結合に関する理解が深まることが大いに期待される。
 21日の懇親会も35名の参加にて盛会だった。長老の有名な先生は非会員ながら毎回この学会にご参加いただき、今回の学術講演会は前回よりもさらに面白かったとありがたいコメントをいただきました。統計解析もあり、メカニズムの議論もあり、きわめて充実していたと。つぎへの希望に繋がらせたいとの感を強めた。もちろん引き続き、若い人を如何に私たちのソサイアティに招き入れるのかを絶えず考えなければならないが。

#34 浜松での防災フェスタにて(2016/12/27)

 一年前に依頼されていた浜松市での防災フェア(正確には防災・福祉・健康産業フェア2016 in はままつ)(2016年12月9-11日)での基調講演として「電磁気現象を用いた地震予知」と題して1時間強話させていただいた。浜松という地域に念頭をおき、東海地震、東南海地震、南海地震の予知を想定して講演した。約100人の方に熱心にお聞きいただいた。
 私は名大空電研究所(豊川市)在職の時には豊橋に住まいし、豊川の研究所に通っていた。名古屋へ出掛けることは多くとも、より近くの浜松へ出掛けることは多くはなかった。勿論、浜松のうなぎや三ヶ日みかんだけでなく、ヤマハ、スズキ、浜松ホトニクスなど有名な企業もたくさんあるが。
 実は、フェア会場は市のはずれにある総合産業展示館という場所で、浜松駅からの会場へのバスも1時間に1本のため、タクシーに乗らざるを得なかった。タクシーに乗った途端「平成29年NHK大河ドラマ「おんな城主直虎(なおとら)」」というパンフレットが目に飛び込んできた。運転手さんにこれは男なの、女なのなどなどいろいろ尋ねた。なぜなら私のような歴史に疎いものには初めて聞く名前だったので。浜松市民はこの大河ドラマの成功を大いに望んでいるようで、町のあちこちに井伊直虎ののぼりが立っている。これで地域活性ができればという思いだろう。私の大好きな個性派女優、シンガーの柴咲コウさんが主演を務めるからには、必ずやこの大河ドラマは成功だろう。
 戦国時代に男の名で家督を継いだ稀有な「おんな城主」が遠江(いまの浜松)井伊家の当主、直虎だ。駿河の今川、甲斐の武田、三河の徳川という大国が虎視眈々と領地を狙う中、知力としたたかさを駆使し如何に直虎が生き延びたか興味深い。NHK大河ドラマはいつもは見ないが、今回は見なければと思う。
 もう一点驚いたのは、この浜松防災フェアは静岡県も浜松市も協賛はするものの、一銭のお金も出ていないという事だ。この市の総合産業展示館はいわゆる指定管理会社として民間会社「ヤタロー」が運営し、この会社がこの防災フェアを開催し、今年で3回目との事だ。県や市の施設は県や市の運営だと赤字も全く気にしないことは過去の多くの事例でわかっているが、民間会社はその点を十分考慮して運営し赤字にはなっていないと「ヤタロー」の中村会長がおっしゃっていた。また、私たち基調講演者など10名程度を招待して夜の宴会を開いていただいたが、この静岡県の森林公園内の研修施設もまた同社が指定管理しているとの事だ。なかなか良い研修施設だ。このような民間が主体となるやり方もよいのではと思った。更に、驚いた事に最近私が気に入っているしっとりバウムクーヘン「治一郎」は最近日本中に拡がりつつあるが、何とこの会社の製品だったのだ。

#33 100年はやはり長い!(2016/12/20)

 私の関係する二つのものが、ここ1-2年で100年(1世紀)を迎えようとしている。100年はやはり長い年月だ。1つは「電気通信大学」であり、もう一つは「電子情報通信学会」という学会だ。
 私が名古屋大学のあと奉職したのが国立大学(現在は国立大学法人)電気通信大学だ。1918年(大正7年)に麻布市飯倉町に創設された社団法人電信協会の無線電信講習所が起源で、その後1942年(昭和17 年)に当時の逓信省に移管された。昔のトンツー(モールス信号)の講習所だ。私の恩師金原先生が東大卒業後の逓信省時代にここで教えたことがあるとおっしゃっていたのを思い出す。1949 年(昭和24年)に新制「電気通信大学」となる。わたしは1991(平成3年)にこの大学に赴任したが、その時には[電通大(略称)]についてほとんど知らず、地名がついていない大学であり、国立大学か否かも尋ねたほどだった。2018 年に100周年を迎えるが、100年よく生き延びたと思う。現在100周年記念キャンパスが甲州街道の向かいに竣工間近だ。勿論大学の中には、私の友達も多いロシアサンクトペテルブルグ大学のように250 年と言うすさまじい歴史の大学もある。今後社会は少子化の時代に入り、大学間の学生争奪は熾烈を極めることとなり、大学の特長・個性が強く望まれるのではないかと思う。私が電通大へ赴任した頃には、単科大学でもちょっと変わった、個性的な先生がかなりみえ、意外に面白い大学だなと感じていた。しかし、最近はどうもほかの総合大学とほとんど変わらないようになっている。これは良いのか悪いのか?
 もう一つ100年を迎えるのは学会で、大正6年(1917 年)に電信電話学会として創立され、その当時会員は800余とのことだ。私が大学院生の時代にはこの通称「通信学会」が研究発表の主たる学会だった。学会にはいろいろな研究会があり、とりわけ「アンテナ・伝搬研究会」で私たちは研究発表するのが常だった。この研究会も50 周年の様だ。その後の学問・技術の進歩発展に伴い、3度の名称変更で現在名となっており、現在の会員数は約3万を擁する国内最大の産業セグメントとして重大な役割を果たしている。一時期わたしは地震電磁気に関する研究をこの学会に定着させたいと考えたが、いまではもう一つの巨大学会電気学会において盛んに論じられている。私がこの電気学会の「電磁界理論研究会」の委員長を頼まれたとき(多分2000年前後)に、地震電磁気に関する調査専門委員会を作らせてもらうという条件で引き受けたのが地震電磁気と電気学会との関わりの始まりだ。
 電通大も電子情報通信学会もともに無線、通信の重要性が認識された時に設立されたものだ。情報伝達手法の変遷、インターネットの発展など、時代が大きく変わろうとしている今日、ともに激動の時代に突入すると予想されるが、おおいなる飛躍を見つめていきたい。

#32 イタリア地震のその後(2016/11/25)

 皆様は昔日宇宙開発において米国と旧ソ連が激しい競争を繰り広げていたことはご存知だろう。また、宇宙研究においても然りだ。私が大学院時代に始めた研究分野、即ち人工衛星が飛翔する電離圏/磁気圏空間でのプラズマ波動の分野においても、両国の研究者が主導的役割を果たした。私が共同研究を行った旧ソ連の二人の教授を紹介する。ともに世界的研究者であったが、一人はすでにメルマガで取り上げたオレグ・モルチャノフ教授、もう一人はビクター・トラクテンゲーツ教授だ。両人とも私より5歳前後年上の先輩で、すでに故人だ。
 1960-1970年代旧ソ連の教授が日本など外国へ出張するときには、必ず英語の通訳を務めるグループを同行するのが常だった。あたかも団体旅行だ。今の若い人には想像もつかないことだろうが。オレグを1980年前後私の前任地名大空電研(愛知県豊川市)に招待していた時の事だ。勿論初めての外国出張であり、当初彼は旧ソ連の教授そのもので、英語がほとんどしゃべれなかった。滞在中仙台で開催された国際会議で講演した時には、一行話すとハァとため息がマイクを通して聴衆に伝わったのを覚えている。しかし、彼の業績は輝かしく、その一例が地上からのVLF電波が磁気圏内において非線形効果により振幅振動することを発見した。米国のスタンフォード大学グループとほぼ同時期独立に。その後日本において私たちとともに地震電磁気学の発展に貢献したが、2000年前後には英語も相手を制してしゃべりまくる程になっていた。アイディアが豊富で、優秀な研究者だった。さらに極めて強烈な個性で自説を曲げず、いまでも地震予知学の世界では誰もが忘れられない存在だ。
 続いて、同じくトラクテンゲーツ教授もすでに亡くなって5年以上経つが、実はプラズマ物理学の理論分野では世界一とも言える大教授だった。実は、磁気圏内でのプラズマ波動の発生機構として、波動・粒子相互作用の一つであるサイクロトロン不定性を世界で最初に(1960年代前半)提案しているのだ。1966年米国の有名な二人の研究者が米国地球物理学会誌に同不安定性に関する長い論文を発表し、この論文が発生機構を最初に提言した論文として今でも引用されている。しかし、彼らの論文の脚注にトラクテンゲーツ教授の論文も引用している。概して旧ソ連人の論文は数頁でエッセンスだけが書かれ、しかも読者には不親切で難解なのだ。本来であれば世界初として大々的に評価されるべきなのだが。トラクテンゲーツはその後も旺盛なアイディアで電離層アルフヴェン共鳴など新しい現象を続々と発表した。
 この二人の大教授に共通して言える事は、“英語”がネックとなっていた。私たちや私たちの先生の世代の日本人研究者にも大いに共通することだ。英語を書くことはそれほど問題ないとしても、国際会議の場において相手を論破することが出来ず、その実力に比してその評価が低いとならざるを得ないのだ。大変残念なことに。

#31 イタリア地震のその後(2016/11/11)

 2016年8月24日イタリア中部を大きな地震(マグニチュード(M)6.2)が襲った。「アマトリーチェ風スパゲッティ」の発祥地として有名な地域で、耐震対策がほとんどなされておらず、死者も含め甚大な被害だった。それ以降イタリア半島を北から南に縦断するアペニン山脈に沿った地震帯を震源とする地震が続いている。約2か月後10月26日にはマグニチュード(M)5~6強の地震が近接地にて発生し、山間部の多くの小さな村が多大な被害を被った。さらに、さる10 月30日にはこの一連の地震活動では最大のM6.6の地震がカトリック教の聖人ベネディクトの生地、ノルチャ町の大聖堂を倒壊させた。これらの地震の震源地はローマから100km強に過ぎず、ローマなども揺れを感じたとのことである。私は地震予知学の専門で、地震学の専門ではないので、1週間先のことは予知できても、ここ数ヶ月~1年後について何とも言えない。しかし「もう絶対に起きない」とはだれも言えないということだ。
 これらの地震の前兆はどうだったかを述べよう。欧州には日本方式にならったVLF/LFネットワークがイタリアバリ大学のビアジ先生が中心となって構築しているのだ。私はその構築に最初から協力依頼を受け参加した。観測点はトルコも含め10か所以上で、各観測点では複数の送信局電波を受信し、それらのデータはバリ大学のデータサーバへ送られる仕組みだ。こんな理由から、最初の地震直後にVLF前兆があったか否かを尋ねていたが不成功だったことは、すでにメルマガで書いた。その理由はすこぶる簡単だ。ビジネスとしての予知と大学のサイエンスとの違いだ。大学の先生は授業などあり、毎日データを監視していないのだ。このことは日本の先生も全く同じだ。しかしここ一週間前、ビアジ先生より、10月30日のM6.6の地震の前にはVLF電波の前兆がはっきり検出できたとの連絡があった。8月の地震発生後の複数の問い合わせに対応して、その後は多分注意深くデータを見ていたためであろう。勿論その前兆を社会に発信していたとは思わないが。大学の先生でも場所と時間が予めおおよそでもわかっていれば、集中的にデータを見、予知出来るという事だ。しかし、日本中のどこで起こるかも知れない地震を対象として毎日データを見ることは如何に大変な作業かは理解されよう。メルマガでも書いたように愚直な作業の連続だ。
 ある地震学者は、「アペニン山脈に沿った三本の断層帯の一番大きな一本がまだ動いていない」と言う指摘をしており、私の友人も含めイタリアの研究者は引き続き監視することが大切である。危険はまだまだ続く事があろう。同様の現象は日本でも起こっている。2016年4月の熊本断層地震でも、1本の断層が動くと、他の隣接する断層まで動くことは素人でも予想できる。さらに関東に話を移せば、有名な断層群に加えて、私の新著に記しているように東京都内には推定断層と称するものが何本も縦に走っているおり、地震に対する不安が否応なしに頭をもたげるが、この時こそ「地震予知情報」の出番だ。

#30 地震予知学への大貢献者オレグ・モルチャノフを想う(2016/10/28)

 「直下型大地震 誰でも予知はできる 生き残るための戦略」と題する私の新著がOROCO Planning社よりようやく出版された。本書においては私の亡き盟友オレグ・モルチャノフ教授の写真数枚も載せている。地震電磁気学をともに盛り上げてきた友であるが、地震予知研究を思い立った時のエピソードを紹介する。
 私が電通大へ赴任した1991年の多分数年前のことだと思う。スペースの共同研究のためモスクワの彼の研究所(IZMIRAN、地磁気・電離層・電波伝搬研究所)に招待された時のことだ。この研究所は研究者3千人を擁する旧ソ連でも最大級の研究所の一つで、多くの実績を持つ世界的にも有名な研究機関だ。朝オレグの部屋において議論を始めた時、一人の男性がなぜか同席したのだ。私は要領がつかめず、オレグに小声で尋ねるも答えたくない振りをした。これが実は監視で、わたしがオレグと何を話したのかを逐一上へ報告するのだそうだ。しかし、おもしろい事にこれにも抜け穴があるのだ。聞かれたくない微妙な話をする時には“外で話そう”というと、部屋を出て中庭において複雑な話をすることが出来るのだ。監視は同行しないのだ。
 数日のモスクワ滞在も終わり、オレグがモスクワ空港まで自分の車にて送ってくれた。いつものモスクワ市内の著しい渋滞もなく到着し、1時間以上の余裕があった。車中でもいろいろ議論したが、その中心は将来の研究テーマだった。米国NASAなどの予算削減をみてもスペースの研究はすでに落ち目で、重要なテーマはほとんど終わり将来性がないことでは合意だ。そこで、私たちの過去の知識、経験・実績を最大限に活用でき、しかも社会にも役立つ課題はないかと考えた。周辺分野での研究動向はともによく承知しており、期せずして「地震と電波」を取り上げてみようということになった。この時点では、この研究が実際の地震予知につながるなどは全く考えておらず、ただ学問的興味だけだった。
 1980年代後半私の前任地名大空電研究所では、研究所の改組という将来方向について教授会において激しい議論が展開されていた。私たち助教授にとっては将来に関わる重大事だ。大多数の教授会メンバーは完全な地球物理学を志向したいとの意見に対し、私は自然雑音と人工雑音とを総合したEMC研究所を提案した。地球環境の研究では工学と理学の融合が不可欠との考えだったが如何せん少数派で、止むなく名大を去らざるを得なくなった。ほぼ同じ頃、モスクワではオレグも同様の事態に見舞われていたのは驚くべきことだ。従来旧ソ連の重要な研究所の所長人事は科学アカデミーの決定事項であったが、ゴルバチョフ大統領の登場により所内職員による民主的な投票によって選挙することになったのだ。所長選挙は学問的にはそれほどでなくも政治的力のある科学者が案の定当選し、オレグが強く推した学問的に高い学者は落選した。その結果、オレグも同研究所をクビになる羽目になっていたのだ。
 私も再就職先について複数の可能性があったが、ようやく1991年東京にある電通大に拾っていただいた。実はこの年ゴルバチョフが来日している。赴任後直ちにオレグを客員教授として当初1年間招聘し、その後は例のNASDA(旧宇宙開発事業団)の地震フロンティアの枠内にて招聘研究者として5年程度、合計ではオレグは10年近く日本に滞在することになった。オレグの来日でモスクワ空港での私たちの合意に従い、「地震と電波」の研究をスタートすることになった。まずはソ連の過去の人工衛星電波データを用いた解析で何かあるかなとの感触を得たものの,確信には程遠かった(1993年)。しかし神戸地震(1995年)の電離層擾乱の発見ではともに大興奮し、地震電磁気学に本格的に取り組むことになった。国際会議の開催、参照本の編集、私達自身の本の執筆など学問の体系化に努力してきた。オレグにとっては暗いソ連から解き放たれ大変楽しい一時代であったと思うと、奥さんラリサがそんな感想を洩らしていた。私も同じく楽しいときであった。オレグの死からすでに5年の歳月が経ったが、テニス大好きオレグからテニスを一緒しないと仕事しないといつも私は脅されていたのが懐かしい限りだ。

#29 天気予報への挑戦(2016/10/18)

 あるアナウンスが米国より届いた。Peter Mooreという作家が「The Weather Experiment: The Pioneers Who Sought to See the Future」と題する本を出版し、天気予報の黎明期の先駆者たちの苦悩が描かれているとのこと。私は原著を読んでいないが、その英語のアブストラクトを更に要約してみた。正確性を欠く恐れはあるが、大筋は伝わると思う。地震予知を考えるとき知っておくべき事だと思うので。
 古来人類の誕生以来、天気は神の領域で、それを予測することは神に対する冒涜と考えられていた。この本の主役はRobert FitzRoy(フィッツロイ)という英国海軍中将で、ビ―グル号の2回目の5年にも及ぶ測量航海の艦長で、チャールズ・ダーウィン(「種の起源」の著者)が参加したことで有名だ。
 1800年代気象学は科学としてはまだ発達しておらず、大気組成/構造、雲分類、大気圧/温度、ハリケーン等の知識もない時代だった。その一方で航海時代であることから、より早いより安全な船舶の航行は強く要請されていた。そんな時代に、数少ない情熱的な研究者(?)が天気/気象現象の理解を試み、厳格性を求める科学界からの反発も恐れず、”実学“として天気予報システムを提案したのだ。
 1831年英国植民地で砂糖の生産地として重要だったバルバドス島(カリブ海)が今で言う強力なハリケーンに襲われ、甚大な被害を受ける事態が発生した。英国は直ちに海軍軍人W. Reedを島の調査と再建のために派遣した。多くの目撃情報をもとに風速などのデータを収集し、ハリケーンを“巨大な渦巻き”というモデルを打ち立てた。他方米国では成功ビジネスマンのW. C. Redfieldも同様なモデルをその1年前に米国専門誌に発表していた。二人の結論は、嵐は完全にカオスではなく、それなりの法則に従っている事を示唆したのだ。
 1853年米軍人M. Mauryは天気/気象に関する米国・欧州ネットワークを構築しようとの意図で国際会議を開催した。彼は多点での天気観測から日ごとの風向/風速や海流のチャートを作りたいと考えたのだ。それ以前では、いうまでもなく船舶の航行路は“推測又は神頼み”で決められていたが、Mauryの風や海洋に関するチャートは船舶航行に極めて有用であり、最適のルートを選ぶことを可能にした。欧州10ヶ国がこの利点に注目し、国として気象(天気)を扱う組織を作ることに動き出した。英国もその一国で、フィッツロイは既に退任していたが科学への造詣も深いことからその任に選ばれた。その気象部は懐疑的な科学界の批判を避けるため商務省に作られることになった。
 フィツロイは献身的に活動し、船長用のハンドブックの作成や嵐を予見するための天気測定器やその観測に関する指針を示した。更に、気象部は英国内での観測を著しく充実し、毎日毎日の天気予報を船舶に対して配信するようになった。彼の一連の活動は広く社会から受け入れられ、船舶の難破を著しく減らすことに貢献した。更に、天気予報を毎日新聞誌上に公表するという“実験”を行ったが、これが彼を窮地に追い込むことになる。反対派から猛攻撃を受け、また気象部の予算も打ち切られた。1865年フィッツロイは59歳で自殺している。常識的には彼はいばらの道を歩んだということになろうが、本人の心のうちは誰も計り知ることが出来ない。意外に重要な使命が果たせたと思っているかもと私は思う。
 この状況ではよくある事だが、英国政府は気象部の活動を洗い直すための委員会を創設した。私の推測ではフィッツロイの敵たち(多分科学者たち)から成るもので、彼の手法自体に欠陥があり、また予測の半分は間違っていたと結論し、直ちに天気予報を中止すべきとした。事実1866年に嵐警告と予測は一時中止されることとなった。
 しかし、この動きにいち早く反応したのが海運、船舶業界や一般社会だった。フィッツロイを応援する多くの手紙が新聞や英国政府に届けられた。軌を一にして国側でもある動きがスタートした。フィッツロイ擁護派の国会議員Sykes大佐がフィッツロイの実験の再検証を行うこととなり、フィッツロイの405個の嵐予測のうち75%は正しかったと結論した。しかも気象部の費やした支出はたったの45,000ポンドだったと付け加えた。彼の天気予報がどれだけ多くの人命や船舶の損害を救ったかは明白だった。
 その後英国政府が国として一般用の天気予報を再開するのに13年もの歳月がかかった事も驚くべきだ。

#28 人生は巡る(2016/10/4)

 現在世界的に最も学術的に確立している、即ち因果関係が明確になっている地震予知手法は、VLF(very low frequency, 3-30kHz)帯送信局電波を用いるものである。VLF帯の送信局から発せられる電波をある程度離れた地点にて受信し、その電離層・大地導波管伝搬特性の異常からその送信局-受信点間のどこかで電離層が乱れていることを知るものである。私たちが1995年神戸地震(M=7.2)の際前兆的に電離層が乱れていることを発見したことがことの始まりであることは言うまでもなく、2000年までに私たちは国内に10点前後の受信点からなるネットワークを構築した。更に各々の受信器では5~6局の送信局(通常は日本発の数局と外国発の3~4局)電波を同時に受信できるようにした。この多点ネットワーク観測により電離層の擾乱域を同定し、また伝搬異常の大きさから来るべき地震のマグニチュードを評価しようという単純な発想である。もう20年近い実績があり、最近ではどうして電離層が前兆的に乱れるのかというメカニズムに関する情報も得られつつある。
 私たち日本ネットワークにならい、(1)欧州、(2)ロシア、(3)インド、(4)南米において続々と新しいVLFネットワークが設立され、現在も稼働している。VLF送信局電波の使用が地震に伴う電離層の乱れの研究では世界的潮流となっていると言える。しかしこれらの諸外国ネットワークはすべてサイエンスを行うためのネットワークであるが、私たちはこれらの学術的段階を終え、予知ネットワークを用いて地震予知情報の配信という“実学”を民間ベンチャーとして行っている。サイエンスのレベルと実学とは雲泥の差があると思う。
 私は名古屋大学から電気通信大学へと移動したが、その間色々な分野の研究に携わってきた。雷からのVLFノイズ、宇宙(電離圏/磁気圏)でのVLF/ELF(extremely low frequency, 周波数3kHz以下)ノイズ、高度信号処理、EMC(環境電磁工学、人工雑音)、電波による地球監視(地球温暖化など)、電波を用いた地震予知などである。現在の地震予知ではやはりVLF送信局電波を用いた下部電離層の監視が最重要課題である。名大大学院時代にはVLFノイズの理解のため、電離層・大地導波管伝搬という基本テーマをかなり勉強した。この分野を数学的に確立した二人の巨人、英人Keith Budden先生と米人Jim R. Wait先生の導波管伝搬理論に関する本を超悩みながら読んだことを今も思い出す。両書とも複数関係論が多用され超難解な大部な本であるが、現在も私の机上に鎮座している。大学院生の時発表論文をお送りした折、Wait先生からは激励の“お手紙”(電子メールの時代ではないので)をいただいたことを記憶している。40年前に苦戦した本を最近また時折読むことになろうとは考えすらしなかった。“人生は巡る”だ。

#27 ”水曜日のダウンタウン”に出演して(2016/9/23)

 8月の最終週の水曜日8月31日(水)のTBSテレビの夜の「水曜日のダウンタウン」という番組をご覧になった方はいますか。この番組ではある仮説を立て、それを専門家の意見で検証するという筋書きだ。この日のテーマは「地震学者は地盤の強い所に住んでいる?」という仮説が設定されていた。勿論、翌日9月1日が防災の日であることにちなんだものだ。
 私は自分の出演番組を見ていないが、どうも3人の専門家が登場したようだ。2人は地震学を専門とする人と地震学に近い人の様で、基本的には自分の住む場所は事前に徹底的に調査し、地盤のしっかりした所に住んでいると。素晴らしい限りだ。それに反し、私の発言は全く番組を茶化した様にみえるかもしれないが、「現在JR目黒近くのURに住んでいる。その理由はすこぶる簡単で、遊びの面で渋谷、新宿に近いこと、また名古屋への帰省のため新幹線駅の品川に近いこと」。利便性だけで、地盤の事など全く念頭にないのだ。実は住み始めた後に友人から、UR目黒はもと海軍大学校があった場所で、地盤は充分良いと聞かされていた。更に番組の中で、「私は地震予知を行っており、もし東京に大きな地震の襲来が予想される時には逃げるしかない」と述べた。ふざけた発言をすると思われる方もいたかも。 
 実は8月初め同番組のディレクターから取材依頼があり、内容を聞いた上で、私の茶らけた話でも良いことを確認した。もう一つの条件として9月1日よりスタートする私たちの新事業「予知するアンテナ」にも言及して良いことで出演を了解した。私とダウンタウンとの関係はと言われると、昨年のフジテレビ“ダウンタウンなう”の出演に遡る。昨年5月から6月にかけて国内において立て続けに大きな地震が発生し、私たちはそれらをことごとく予知していたことから、“ダウンタウンなう”の「地震、防災、地震予知」というかなりしっかりした内容の番組に出演することになった。フジテレビの“ダウンタウンなう”の通常の視聴率は7.0%のようだが、私の出演した回だけは8.5%に急上昇したのだ。+1.5%は+150万人が見たという計算だ。これは明らかに私の地震予知の話題によるものと少々自慢だ。この驚くべき上昇に感激したディレクターから、次のような提案があった。即ち、毎回私が出演し、次週の地震予測情報を天気予報同様にやってくれないかと、かなりしつこい勧誘だった。しかし、その時点では私たちの考えているレベルよりも数段上の提案であり、お断りせざるを得なかった。今ならすぐ引き受ける所だが。もう一つのバラエティ出演はTBS局のジョブチューンだ。その時大変お世話になったアシスタントディレクターが今回の番組のディレクターに昇格し、地震予知にも関連することから是非私に出てほしいとのお誘いだった。今回の取材は私たちの大学の部屋で彼と2時間強雑談をしただけで、彼には不適切な発言は極力入れないように念を押して終わった。2015年のフジテレビ、TBSテレビの両出演では、数日にわたりスタジオにカンヅメという拘束に閉口したのに比し、今回は極めて楽なものだった。

#26 ものを怖がらなさ過ぎたり、怖がりすぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることはなかなか難しい(2016/9/12)

 去る9月3日(土)は防災週間で、ニッポン放送の特別番組「ラジオで安心 みんなの防災2016」に依頼出演した。朝11時から午後5時まで、色々な方が入れ替わり立ち代わり登場するのだが、ほとんどが防災の話の様だった。即ち、地震、ゲリラ豪雨などの災害が起こった時にどうするかが主題であったようだ。
 残念ながら私の出演は10分前後で、自分の意図する事が十分に伝わったかどうか大いに心配だ。なぜなら、進行役の1人よりリスナーの興味のテーマとしてイルカの話が持ち出され、全体の構成が当初の予定から大きくずれてしまったのだ。しかし最低、地震予知は電磁気現象を用いれば可能であること、私たちの新事業「予知するアンテナ」を紹介できたことで良しとしよう。地震予知情報の配信に興味を示すリスナーからの反響が多数あったとの事後報告を受けた。
 ことあるごとに繰り返しているが、(1)防災、(2)予知、(3)迅速な発災後処理、は三位一体として行うべきで、従来のBCPとは全く異なる “災害リスクマネジメント”を考える時期に来ていると思う。(1)の防災は当たり前で、「日本中どこで地震が起こってもおかしくない」ことを考えれば、それなりの準備をしておくことは絶対的に必要だ。寺田寅彦曰く「ものを怖がらなさ過ぎたり、怖がりすぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることはなかなか難しい」。全くその通りだ。いまでも自分の所には地震は来ないと信じている人がなんと多いことか。(2)の地震予知がかなりの精度で可能になり、しかもその情報が配信される様になっているのだ。1週間前の情報が出た時私たちはこの情報を活用し、1週間で順次何をなすべきかを再チェックでき、不意打ちを食らうことなく対応することでき生き残れるのだ。サイト「予知するアンテナ」では、危険度を小、中、大に分けているが、危険度小、中発令時に会社へ出掛ける際は、その週は準備して出掛ける。即ち、カバンの中に少々の食料品、携帯電話充電器等々、一番大事なのは極力地下鉄を避け、地上交通機関にすること等々。家庭では、防災マニュアルを再読し、食糧の備蓄を3日から7日間に、家族の落ち合う場所の明確化、家具の固定化等を再チェックする。しかし、マグニチュード6クラスの大地震の時には基本的には東京から逃げるしかないと思うが、それが無理ならいま述べた準備を徹底するしかない。地震予知情報に関して極く最近のエピソードを一つ紹介する。私たちの予知情報にかなり懐疑的だったある女性が、この2ヶ月で驚くべき変化を示されたのだ。私たちの情報を定常的に見られるようになり、ここ1ヶ月前後で茨城、千葉、福島、埼玉などM5前後の小さな地震がことごとく予知通りであることに感心され、また「東京ではそれほど心配することはなく、平常通り生活して下さい」という私たちの一文に感激されたのだ。その女性曰く、このことが先生の繰り返し述べておられる“安心”ということですねと。予知情報を実感していない人や意識の高くない人には全く理解できないことなのだ。わたしたちのサイト“予知するアンテナ”は正当に怖がることを提案しており、これは(3)の発災後の適切で迅速な回復につながるのは疑いない。
 個人、家族に対する地震予知情報の活用を上では述べたが、法人企業では全く異なる使用になると思う。病院であったり、ホテルであったり、事業業種ごとに最適の“災害リスクマネジメント”を考えることが出来、この種の連携は今後大きな話題になると信ずる。


#25 地震予知は愚直な実学(2016/9/7)

 2016年8月25日イタリアにおいて比較的大きな(マグニチュード6.2)地震が発生し、多数の死傷者が出ている。一番残念なのは、「この地震が予知されなかった」ことである。私たちは1996年より日本国内にVLFネットワークを構築し、多くの成果を上げてきた。これに強く刺激され、世界中において同様のネットワークがその後多数構築されている。欧州、ロシア、インド、南米である。実は、私も参加している欧州ネットワークはINFREP(International Network for Frontier Research on Earthquake Precursors)と言う名称で、2008年前後(私の停年直前)にイタリアの同僚Biagi教授が中心となって欧州内に構築したものである。当時は数ヵ国の参加でスタートし、現在は10ヵ国程度に増えているようで、各々の観測点のデータはバリ大学のデータサーバに送られるシステムである。今回の地震の震央の極く近くでは、2009年にラクイラ地震が発生している。この地震に対して、私たちはロシア人グループとの共同論文として明瞭な前兆としてVLF伝搬異常があることを発表している。勿論、この解析は事後の解析ですが、イタリアは日本と違い地震頻度は低く、容易に前兆を判断できるという利点がある。残念ながら、上記のネットワークでは予算の関係上強度だけを測定する受信器がほとんどで、その設計段階でBiagiさんと一緒に簡易型受信器の製作会社を訪問したことを覚えている。しかし、彼のバリ大学には2000年前後私たちの当時の最新鋭のVLF受信器を持ち込んでおり、現在も稼働している。
 それでは、どうして予知出来なかったと問われれば、答えはすこぶる簡単である。大学では連続観測は行うものの、毎日定常的にデータを監視し、解析していないのが常である。欠測のない連続観測それ自体大学人にとってはかなりしんどい仕事である。業務のための特別の人材がいるわけではないので。久しぶりにINFREPのサイトを見たが、これはまさしく私が最初に作った時のままで、全く更新されていないのを見れば歴然である。Biagi教授の定年時期とも重なり、ネットワークの運用やデータ収集が当初のように行われていないと想像される。どの国でもほぼ同じ状況だと言える。私たちが何か面白い現象を見つけ、ほかのデータを見せてほしいと尋ねると、欠測だったという返事が実に多いのです。皮肉な言い方をすれば、欠測が前兆であると言える。私は、地震予知は実学ファーストで、サイエンスはあくまで二の次だと考えている。欠測のない連続観測データに基づいて予知情報を配信することは、毎日データを監視し解析するという極めて愚直な作業である。更に、予知情報を出すときには胃の痛くなることも多い。このように大変な業務だという事を多くの皆様は理解されていない。世界的に見ても、毎日データをきっちりみているのは、多分ギリシャのバロツォスグループとわたしたち位ではないかと推測する。本来ならこの種の業務は国の機関が行うべきだが、国は予知不可能の立場であることから、私たち民間ベンチャーが大きなやりがいをもって挑戦していると言える。これが前回のメルマガで述べた私たちの新事業「予知するアンテナ」である。


#24 「予知するアンテナ」の開始に寄せて(2016/8/29)

 地震予知研究も20年強の永きにわたっている。名古屋大学から電気通信大学に赴任した1991年新しい研究として始めた時には、地震前兆現象は興味深いとは思ったものの全くの半信半疑であった。その後、1995年の神戸地震の際明瞭な電離層の乱れが前兆的に現れていることをVLF電波を用いて発見し、そのときの興奮が今でも予知研究の原動力となっている。9月1日からスタートする「予知するアンテナ」という新事業はこの20年間の研究の集大成とも言える。一度このHPを見ていただけるとありがたい。
 2011年の東日本大震災の前兆は事前に検知しており、仙台の古い友人には海の中でそれなりの地震が起こるとのメールを送っていたにもかかわらず、米国送信局と国内受信点の相対位置関係から、海岸線からどれ位奥なのか、即ち地震の場所を同定することが出来ず、返すがえすも残念であった。
 この東日本大震災後は以前にも増して「地震予知の重要性とその可能性」について多くの啓発活動を今でも続けている。また2015年には好きでもない多くのテレビ出演などを通しても。定年退官後、震災の前年2010年に世界で初めての「地震予測情報」ベンチャーをビジネスマンとともに設立し、4-5年の配信実績により社会から一定の評価は得たものの、種々の問題も浮き彫りになってきた。詳しくは、産経ディジタル「IRONNA」(2016年5月17日)の記事をご覧ください。私たちのベンチャーに続き複数の地震予測会社も登場するなど、ここ1-2年にて「地震予知」自体かなりポピュラーになり、社会に浸透しつつあると感じられる。
 最大の問題は、日本中どこで起こってもおかしくない地震を小さなベンチャーがすべて正確に予知するなど不可能であるということです。自分の住む地域は自分で守るという原則に立つべきで、関東直下型地震は私たちの手で何とかしたいという強い思いがある。この実学としての思いに加えて、科学者として学術的に上のレベルに進むべきだとの考えから、関東地区にVLF/LF電波を中心とした複合観測ネットワークを構築したいと考えていた。これらの理由から、私は最初のベンチャーを卒業し、電気通信大学発ベンチャー(株)早川地震電磁気研究所が主体となった次のレベルへ進むことを模索していた。幸いなことにある化粧品会社からの御支援なども得られ、1年前より進めたネットワークの構築も順調に形となり、さらには(株)テンダと言う情報配信会社にもご協力いただき、「予知するアンテナ」を開始できる運びとなった。大変喜ばしい限りだ。当分は関東地区(しかし、西は浜松、北は仙台までをカバーできる)に限定するが、世界初の色々な領域を色々な周波数で監視する超複合観測を採用し、メカニズムの解明というサイエンスでの著しい推進とともに、実用的予知での精度向上にも役立つことは疑いない。個人、家庭でご活用いただくだけでなく、是非法人企業では1週間前の予知情報を活用した新しい「災害リスクマネジメント」を開発していただきたくことを望みます。最近では、いろいろな会社から業務連携も提案され、また観測面で大手携帯電話会社などからのご協力もいただけるようになり、民間での地震予知への関心は飛躍的に高まっていると思う。


#23 會津訪問(2016/8/26)

 去る8月6日(土)に初めて会津を訪れた。1泊2日で。「會津熱中塾」という大人向けの学びの場の開所式が開かれ、そこでの理科教諭として特別講演(ここでは授業という)に御招待された。実は私たちの新ビジネスのスタートの時期と重なり最も忙しいことが予想されたため躊躇したが、私たちの古い友人からの依頼でもありお引き受けした。
 実はこの熱中塾は、国が進める地方創生と関連しているようだ。山形県高畠町での廃校を用いたIT企業の誘致や地場産業の活性化を目指し、2015年国からの支援を受けたのが始まりだ。元IBMの堀田一芙さんが実際の仕掛け人だ。会津若松はその熱中塾の第2番目の土地として開塾を迎えたのだ。塾生80人前後が登録し、年7~8回の授業を受けるのだ。実は生徒とはいっても、地方の有力な人までも含まれており、全国的な講師(教諭)を招待するとの事。開塾式も行われ、会津若松市長のあいさつ、会津熱中塾の塾長宗像さん(日新館の館長)など来賓の後、二人の教諭の話が続いた。一人目は元内閣府の山崎史郎さんで、在職中は厚生行政に永らく従事され、最近は地方創生の国側の責任者であったとのこと。少子化と地方創生について興味深い内容だった。もう一人が小生だ。
 会津若松へ到着した時先ず感じたのは、城下町として大変古い街並みであることだ。映画、テレビドラマなどの撮影が多く行われたとの事はうなずける。市の中心のなぜか懐かしい七日町通りにて昼食をとり、午後からの熱中塾へ向かう。この日会津は今年一番の猛暑(37℃)という熱烈歓迎のおまけつきだ。向かった先は公立施設ではなく、何と有名な末廣酒造の嘉永蔵という趣のある建物だ。市内にはかなりの数の蔵元があるようだ。木戸をくぐりぬけて嘉永蔵の入口を入ると、この蔵元の威風堂々たるホールが熱中塾の会場だ。100人前後までは収容できるものだ。
 その雰囲気の良い会場において、會津熱中塾第1期生の塾生50人前後に対して地震予知の話をした。実は私は会津には大きな地震などないものと思い込んでいたが、高い意識でお聴きいただく塾生の反応が極めて印象的だった。期待していなかったのが幸いした。授業終了後は近くのホテルでの懇親会において、ある一人の女性から会津も400年前に大地震があったと知らされた。翌日日曜日の鶴ヶ城見学でもその話はあり、1611年(慶長16年)会津直下型地震で、マグニチュード6.9、震度6と推定される地震で、多数の民家倒壊と多数の死者が出たとの事だ。やはり、日本中どこでも地震は起こることを再確認させられることとなった。
 懇親会後女房とほろ酔い加減でホテルへ帰るのだが、私たちのホテルのある通りがこれまたレンガ敷きの素敵な通りで、その名は野口英世青春通りという。野口博士は私たちの年代での偉人No.1の細菌学者だ。偶然そこにあった野口英世公園にて盆踊りをやっており、少々参加してホテルへ。翌日の観光ツアーで、この通りには野口博士ゆかりの病院などいろいろあることから名づけられている様だ。ホテルのレストランにて締めのそばを食べたが、お釣りにもらったのが野口英世の千円札で、店員に野口だねと言うも、店員は無反応だった。
 最後に、地方創生とは地域活性化を目指すものだと思うが、真に活性化するには山崎さんが指摘された地方への人的なUターンを促す魅力的な仕事場(雇用)の創造が不可欠であることは認めるが、如何に実現するかとなると問題は山積だ。更に、私は今後「地震予知」を駆使して関東圏と地方とが連携する方策を提案したいと思っている。


#22 緊急地震速報による京王線の緊急停止(2016/8/19)

 気象庁が発する緊急地震速報は、地震予知ではないことを先ず確認しておこう。地震が発生すると、P波と呼ばれる小さな揺れのあと、S波と呼ばれる大きな揺れが到来する。緊急地震速報は、この最初のP波をいち早く捉え、来る地震の規模(マグニチュード)や震源地を予測し、その情報を大きな揺れが来る数秒から数十秒前に知らせるものだ。
 実は、2016年8月1日(月)の午後5時過ぎの事だ。私は帰路京王線に乗っていたが、正確にどこだったか覚えていないが、多分つつじヶ丘を通過した後だったと思う。列車はブレーキをかけ緊急停車したのだ。それほど長く停車したわけではなく、5分程度だった。私はその週に東京が揺れるような地震は予測されておらず、何事かと驚いた次第だ。その後の電車内アナウンスによると、緊急地震速報が出たため緊急停車したが、京王線沿線の地震計には地震は感知されておらず、安全確認が取れたので運転を再開するというものだった。この事例は私たちの地震予測情報(地震予知)が如何に有用であるかを示す実例となろう。短期予知の情報を事前に持っていれば、全く安心で、パニックにはならない。
 その後のメディア情報によると、マグニチュード9.1、震度7の地震が東京湾にて発生するという緊急地震速報だったという。この規模の地震なら、東京、関東は壊滅ではないかとぞっとする思いだった。私も知らなかったが、緊急地震速報には2種類あるようだ。いわゆる「一般向け」のもの、即ちテレビやラジオなどを通じて速報が流れるものと、「高度利用者」と呼ばれる事業者向けのものだ。後者は鉄道事業者など地震時に緊急対応が必要な業者が利用するもので、京王線ばかりでなく多くの鉄道がこれに反応し、停車したのだ。
 気象庁の発表だと、高度利用者へのこの配信は誤りだったとのこと。関東地区だけでもかなりの数の地震計はあると思われるが、一地点(今回は千葉の一地点)で異常データが発生し、これが地震によると判断し、マグニチュード9.1と算出したという。しかし、その後の解析で、どうも雷が原因のようだとか。科学的研究において1地点でのデータだけを用いること自体、大変危険であり、幼稚なミスだと思う。
 昨年には一般向けへの緊急地震速報でも大きなミスがあった。2015年8月8日に、近畿を中心として広い範囲において大きな揺れが起こるという緊急地震速報が流れ、日本中がこの速報で震えあがったのを記憶している。この速報は奈良県を震源とする地震が発生し、近畿では最大震度7、関東でも震度4以上というものだった。この一般向け速報では複数の地震計のデータは用いているとは言え、これまた海底地震計の異常なノイズの発生によるものだったとか。科学的な考察が欠落しているのでは。
 両事例ともノイズが原因ということだが、ノイズを40年間の友としてきた私にとっては不愉快極まる事態だ。雷にせよ、他のノイズにせよ、ノイズは極めて多くの情報を私たちに提供してくれるものであり、邪魔者、嫌われ者扱いされるのは大変心外だ。ノイズの重要性を理解していない人たちが多いのは遺憾だ。


#21 ちゃんとした英語論文を書くこと(2016/8/5)

 事業活動に加え、今も論文を執筆できる喜びを感じています。ノイズ(雑音)に関する研究も40年以上の長きにわたり、従って関係する学会も時々で変わってきている。通信学会、Space physics(地球物理学)、大気電気学、更に電気工学、EMC(環境電磁工学)、地震予知学、動物関係などと。実は今、地震前兆の動物異常(乳牛量)に関する統計的研究成果をまとめた論文を動物関係の一流誌へ投稿した所、お恥ずかしいことですが「英語がよくないので、ネイティブに必ず直してもらえ」との編集長のコメントが届いた。若い研究者が初めて国際誌へ投稿したのと全く同じ反応なのだ。研究分野が異なる雑誌への私たちの投稿であり、新参者への反応であるのかなとも思いますが。これからちゃんと改訂します。
 一般的に国際誌では、きちんとした英文で書かれていないと、どんなに内容がすばらしくても低い評価を受ける。欧米誌では、技術的内容と同じくらい英文の体裁が評価の対象となることを念頭に置くことが大事だ。すばらしい内容はちゃんとした英語でないと読者には伝わらないことは理解できる。
国際誌では編集長、編集委員会、査読者により投稿論文を採択するか否かを決定する。私も米国誌Radio Science、日本のJ. Atmospheric Electricityなどの編集に永らく関わってきたが、採択の最終判断を行うのは編集長であり、その見識が雑誌にとっては一番重要なポイントだ。例えば、世界の二大誌、Nature、Scienceの編集長は、「地震予知」に関しては基本的には認めず、私たちの投稿は門前払いを受けていることを述べておく。
 さて、私たちは先ず数人の査読者を説得させねばならない。査読が始まったのは、イギリスのロンドン王立協会(Royal Society of London)が発行する「哲学紀要」(Philosophical Transactions (of Royal Society of London))が最初のようだ。ロンドン王立協会は世界最古の学術団体であり、新しい哲学を広く議論する場として1645年にオックスフォード大学出身者を中心に設立された。この「紀要」に掲載する論文は、当初は編集長らが選定していた。しかし、投稿論文が増えるにつれ、選定作業が難しくなり、1752年に査読制度が始まった。即ち、いろいろな分野毎に適切な専門家を選定し、査読を依頼するのだ。
 この紀要に関する私のエピソードをひとつ。私の最初の研究テーマはホイスラだ。反対半球で雷放電が起こると、放電から出たVLF電波の一部が電離層を通過し、上層の磁気圏内を磁力線に沿って伝搬しこちらの半球においてホイスラという特殊な電波として受信される。私が修士課程の学生のとき最初に読んだ論文が、Owen Storey先生がケンブリッジ大学の博士論文としてまとめたもので、1953年にこの紀要に発表されたのだ。この論文が発表される前までは、スペースの研究は電離層までが研究対象で、電離層の上は真空なのかプラズマがあるのかわからなかったのです。ストーレイ論文はホイスラの特性から電離層の上の宇宙(磁気圏)の状態を診断することが出来るという画期的なものであり、世界中の科学者たちを興奮のるつぼに落としたと聞いている。40年以上も前の事で、論文自体を入手すること自体大変な作業でしたが。論文はといえば、50頁を超える長い論文で、学生には更なる挑戦でした。内容は理解できたのですが、それよりも強く感じたのは、著者御本人の意図することや人柄が極めて良く伝わって来るのです。想像するに大変真面目な性格の先生ではないかと。
 実は、1975年に英国シェフィールド大学へ留学した時、同大学主催の国際会議があり、カイザー先生より何か発表してはとのことで、2件発表したのです。この会議の厳粛な懇親会において、私たち夫婦の前に着席されたのがストーレイ先生だったのです。私たちの様な若僧にも真面目にお相手頂いたのを記憶している。論文から感じとったのと全く同じ方でした。シェフィールド大学の私の先生カイザー先生とは正反対の先生だ。
 最後に、ロンドン王立協会と言えば、ケルビン卿の事をすでにお話ししていますが。1895年に王立協会の会長に選出された時の演説が、「Flying machine heavier than air is impossible」だ。更には、私たち電波屋に対する挑戦ともとれる「Radio has no future」とも演説しているのだ。偉大な物理学者の率直な印象だったのだろうか。


#20 初めての出版記念会(2016/8/2)

 さる7月5日に小生の8月出版予定本の出版記念講演会を開いていただき、遠路はるばるお出掛けいただいた方もみえるなど、久しぶりに大変感激した次第である。なぜなら、一般の講演会はいまでも多く依頼されているが、この種の出版記念会は意外にも初めての事だったのです。AITUC(高度情報技術活用コンソーシアム)の理事長赤木健一さんが第17回技術交流会の際に出版記念会を企画いただいたのだ。その御好意に感謝、感謝である。
 今回の出版記念に関連し、過去に出版した本を見返してみた。研究者の業績としては、(1)本(著書、編書)、(2)研究論文、(3)特許などあるが、古い論文(別刷)の電子化は全く進んでいないが、リストだけはよく整理されているため、容易に調べことが出来た。まず国際誌の特集号(ゲストエディタによる)は除き、いわゆる本屋、出版社から出た著書と編書だけを対象とした。その結果、日本語のものは啓発的なものが主で9冊、英語のものは専門的なものがほとんどで16冊、英語論文が中心だが日本語論文も入ったもの1冊となる。勿論著書でも、単著もあれば、共著もある。編書についても同様だ。前にメルマガで述べたと思うが、大学の先生の退官時には名誉教授への推薦があるが、ここで最初に記すのが著書なのだ。私も若い頃数人の名誉教授の推薦状を書くお手伝いを命じられた時、事務方のトップの事務局長から、この先生は著書が一冊もないのかと嫌みを言われたことを思い出す。更に、外国では著書の位置付けは論文より著しく高く、とりわけロシアなどではその傾向が強いと言える。
 さて、私の今回の本は「直下地震 誰でも予知できる 生き残る戦略」というタイトルでOROCO Planningが発売元だが、最近の私の一連の地震予知に関する執筆の最終版とも言えるものだ。2016年5月16日付けの産経ディジタル「iRONNA」に「地震予知はできる」という記事を書いたが、そこではここ4-5年間行った民間地震予測事業の経験や問題点を踏まえ、3つの提言を行っている。第一は国への提言で、地震予知は射程内にあり、1996-2001年に実施したようなフロンティア研究をもう一度やってはどうかというものだ。あとの二つの提言は活発化している民間の活動に関するもので、予定本のタイトルと密接に関係する。しかし以下に述べることは、よしんば国が予知を行う様な事態が起こったとしても同じことが言える。先ず、最初のタイトルの直下地震は勿論話題の関東直下型地震のことで、関東に住まいする者にとっては喫緊の課題で、私たちは関東直下地震を対象とする観測ネットワークをすでに構築している。しかも、いろいろな観測項目を融合した複合観測を駆使し予知精度の向上をはかるだけでなく、研究的にも「地圏ー大気圏―電離圏結合」の解明に大きく貢献し、最先端だと自負できる。次のサブタイトルである「誰でも予知できる」は、私たちのシステムを用いれば、どこでもだれでも地震を予知できるという意味だ。日本の他地域でも、外国でもだ。最後のサブタイトル「生き残る戦略」とは、従来のBCP(企業継続計画)とは決定的に異なる著しく進んだ減災のための「災害リスクマネジメント」の提案だ。不意打ちを食らうことなく生き残ろうというものだ。日常防災に加えて、地震の一週間前に地震予測情報が出るため、その一週間集中的に人命を守るのみならず、知的財産(情報)も救う入念な準備を行うということだ。このようなマニュアルはいうまでもなく業種によっても異なることから、種々の業種との協力的連携が不可欠である。また、もちろん社会の最小単位として個人、家庭に対しては同様のものが考えられる。私たちの地震予測情報があって初めてこの種の災害リスクマネジメントが可能になり、発災後の迅速な回復につながることは言うまでもない。初めて、(1)防災、(2)予知、(3)発災後迅速処理を三位一体とする災害リスクマネジメントを実現する時代に突入するのだ。
 さらに、この本の販売には従来の出版法とは異なり、いろいろな連携企業の宣伝、紹介などが掲載され、協賛企業の募集、事前予約が行われており、すでにかなりの反応があるとのことである。


#19 セレンディピティとは(2016/6/24)

 セレンディピティ(Serendipity)という言葉は、私が現役教授の時大学院生には頻繁ではないが話した覚えはある。最新の調布ネットワーク(電通大の会報誌)の中で退官教員のご挨拶という欄があり、そこに本年3月で退官された元電子工学科の唐沢好男先生がセレンディピティについて書かれていたので、私もこれについて書くとする。唐沢先生は無線通信の分野では世界的に知られた先生で、先生が「セレンディピティ」バカとまで言われていたこともあるので。
 私はこの言葉を誰からか教えられたのではなく、だいぶ前の事ですがある論文の中で「serendipity」という言葉にめぐりあいました。初めて見聞きする言葉なので、色々調べた所大変気に入った言葉になったのです。「偶然に訪れる幸運をつかみ取る能力」とでも定義できます。どの分野でも大事だとは思いますが、とりわけ科学技術の分野では大変重要な能力で、予想外のものを発見する可能性があるのです。この言葉自体、イギリスの政治家、小説家であるホレス・ウォルポールが1754年に生み出した言葉であり、彼が子供の時に読んだ「The Three Princes of Serendip(セレンディップの三人の王子たち)」(セレンディップとはスリランカのことです)という童話にちなみ、Serendip+Ability(能力)の造語なのです。その童話では、王子たちが旅の途中いつも意外な出来事に遭遇し、彼らの聡明さが故彼らがもともと探していなかった何かを発見するという話なのです。
 実は、私は学生、大学院生にはあまりこの言葉を教えなかったのにはそれなりの理由があります。セレンディピティを付けなさい、磨きなさいと言われても、実際にどうすればよいのかは明確な回答がないと思うからです。具体的にどうしたら良いか?先ず、研究でも仕事でも原因不明の何か、気になることに思い当たることがある時には、それを徹底的に追及することです。この大前提の次に重要になってくるのが、いわゆる“構えのある心(the prepared mind)”です。上で述べた王子たちの聡明さは実はこの構えの心のことで、彼らはこの心を持ちあわせていたということです。この構えのある心とは、やさしく言うと幅広い素養、知識、経験を身に着けることだと思います。一般的に学者とは、特定の限定された分野を深く掘り下げることを良しとする風潮が強く、広く浅い知識は何の役にも立たないと考えがちです。そこで、私は次のように勧めています。例えば若い人が学位を取得した後には、視野を広げるように心がけることを勧めています。自身とは異なる分野でどんなことが進められているのかという好奇心の類が大事になってくるのです。すると、もしかして自身が今気にかけていることが意外に重要な発見につながっていることになるのかも知れません。


#18 新元素の発見(2016/6/20)

 最新の日本発の科学的貢献として、理化学研究所/九州大学チームによる新しい元素の発見という快挙をあげることが出来る。元素の発見は欧米に独占されており、アジア初、勿論日本初の発見であり、原子番号113番の命名権を得、「ニホニウム」の案が示されたことは大変嬉しいことだ。日本人の無垢な探究心の成果として、心から祝福したい。
 中学や高校での化学の授業での元素の周期表、即ちメンデレーエフの周期律表だ。ドミトリー・メンデレーエフはロシアのサンクトペテルブルグ大学の出身なのだ。元素の周期律表を作成し、それまでに発見されていた元素を並べると周期的に性質を同じくする元素が現れることを確認し、数々の元素の存在を予言したと言われる。
 10年以上前の事、私がまだ現役の時代に、サンクトペテルブルグ大学主催の国際会議(地球物理、地震予知も含む)で1時間の基調講演を依頼され、女房と一緒に出掛けた時のことだ。私の現役時代には、同大学理学部とは大変密な共同研究を行って来た。1999年に私たちはULF磁場データに臨界解析であるフラクタル解析を世界で初めて適用し、前兆的ULF電磁放射の存在を確認した。今ではこの種の臨界解析は流行となっている。こんな縁で私が現役である間だけ、電通大と同大学との姉妹大学連携を行った。通常250年以上の歴史を誇る世界一の大学とも言われる大学が、100年程度の歴史の大学と連携することは通常考えられない事だ。姉妹大学締結後交換留学として私の研究室の博士課程学生(実は女性)を1年間預かっていただくなど、永らく共同研究が続いている。その国際会議の際、同大学の大学、副学長(副学長は地球物理の共同研究仲間)を表敬訪問したが、まず欧州の大学は概してそうだが、大学本部の重厚な建物に圧倒された。次に案内された2階の廊下には、同大学が輩出した著名な学者、科学者の写真が多数飾られていた。しかし、とりわけ私の目に留まったのが、本メルマガの主役のメンデレーエフと電波の大家ポポフだ。ポポフはマルコーニと同時期に同大学で電波の伝送実験を行った電波の先駆者である。
 実は、メンデレーエフは日本とも浅からぬ因縁があるようだ。メンデレーエフの長男(海軍少尉)は1891年ロシア帝国皇太子が来日した時にその一行に加わっていた。皇太子が沿道警備の巡査に切りつけられた有名な大津事件では、現場の写真を撮っていた。長男は長崎に数回寄港し、日本人タカとの間に娘をもうけた。長男は若くして亡くなったため、その後メンデレーエフがタカに養育費を送り続けたとの事である。
 晩年メンデレーエフは社会啓蒙書を執筆中に、日露戦争(1904年)が勃発した。列強ロシアが負けるなどとは夢想だにしないメンデレーエフは、日本人を強烈にこきおろす。「本質的に独創性に欠け、これまで世界に何の貢献もしなかった」と。私たち日本人研究者もオリジナリティの高い仕事に向けて奮闘しようではないか。


#17 “短期予知”と“中期予測”(2016/6/7)

 2016年5月16日産経ディジタルの「iRONNA」という欄に私の記事が出ました。「地震は予知できる」というタイトルです。この中では、私がいつもお話ししていることの繰り返しですが、(i)地震予知不可能論(国の結論)、(ii)地震の短期予知とは、(iii)前兆としての電磁気現象とは、(iv)地震予知学と地震学とのちがいを真面目に記述しています。更には、(v)地震予知という言葉がここ1-2年で社会にかなり浸透していること、(vi)地震予知の将来像で締めくくっています。実は、4月の熊本地震直後に日本地震予知学会の事務局に次のようなメールがかなりの数届いたのです。「地震が起こった後に、偉そうな顔をしてテレビに出、活断層の話を滔々としても意味はない。地震予知は事前に言うものでは」「国のお金を無駄使いしてる」という趣旨のものです。これらの苦情はわたしたちも考えるべきことも含まれているとはいえ、地震予知学と地震学の本質的ちがいを理解されていないことによるものです。更にもう一点、最近また短期予知と中期予測とが混同されているように強く感ずるため、このメルマガではもう一度両者のちがいをわかり易く書きたいと思います。
 (1) 短期予知は私たち「地震予知学」が目指すもので、「いつ、どこで、どの位の規模(マグニチュード)(これらを地震の3要素という)」の地震が起こるのかを予知するものです。人類の命を救う唯一の手段ですが、非常に困難な課題でもあるのです。
 (2) 中期予測とは過去の地震のデータベースに基づいて、統計的に「南関東ではここ30年間でM7(マグニチュード7)クラスの地震が起こる確率は70%」というものです。関東地区はいつ地震が起こってもおかしくないということです。しかし、その確率が1%程度の熊本でも地震は起こったのです。残念ながら、中期予測では1週間先のことはなにも言えないのです。
 (3) 中期予測の更なるわかり易い解説
地震の多い千葉県を例に取って説明しよう。千葉県では震度(脚注)4以上の地震は2001年~2010年の10年間で32回発生したので、平均間隔は3652日/32=114日(3.8ケ月)となる。ここで、この震度4以上の地震が定常ポアッソン過程に従って(ランダムに)発生すると仮定する(ちょっと難しいのですが)と、平均間隔(=114日)以内に震度4以上の地震が発生する確率を計算すると63.2%となる。私たちの短期予知の対象とする期間1週間を仮定すると、発生確率は10%にも満たない。このことを言い換えると、ある人が何の根拠もなく、千葉県で3.8ケ月以内の震度4以上の地震が起こると言っても、6割は当たるということです。
(4) 私たちの電磁気的手法を用いた短期地震予知(即ち、1~2週間先の予知)の確率を見てみよう。例えば地震との因果関係が確立している電離層乱れの観測(VLF/LF送信局電波のネットワーク観測)では地震の3要素の判定基準を如何にとるかにもよるが、6割を超える確率で予知出来ている。この数値は上で述べた中期予測の値と比較して、如何に有用であるかはご理解いただけると思う。

注:震度はマグニチュードとは異なる。マグニチュードは科学的量で、地震の放出エネルギーです。一方、震度は主観的な量で、地震の揺れの大きさをある定まった規準に照らして人間が判定する体感震度です。当然のことながら、その場所の地盤の状況に著しく影響されます。


#15 2016年熊本地震に想う(2016/5/12)

 また地震学では予測されていなかった場所、九州熊本(及び大分)において大地震が起こった。国の地震調査推進本部が発表する中期予測(ここ30年でマグニチュード(M)7以上の地震の起こる確率)によれば、熊本活断層地震の確率予測は1%にも満たないものだった。地震学的には複雑な活断層活動によるとのことで地震学者たちは興奮していると、メディアの人から聞いた話である。今回の地震に際して思いついたことを書く。

(1)地震の呼び名
 最初にM6.3の地震(しかし震度は7)が4月14日に発生し、その後4月16日にM=7.3の地震が発生した。後の地震がそれまでの最大マグニチュードよりも大きいため、これが本(主)震と呼ばれることとなり、それに伴ってこれより前のもの、M6.3も含めてすべてが前震になった。本震後の地震はすべて余震という事になる。英語では、foreshock, main shock, aftershockという。地震学でのこの呼び名自体が一般の我々には混乱を招くものだ。即ち、すべての過程が終了しないと、どれが前震、主震、余震かを言えないのが地震学である。さらに、前震という言葉自体、あたかもこれは用いれば地震予知につながるかもという錯覚も引き起こすのではないか。すべての地震が私たちにとっては地震であり、一連の“地震活動”とでも表現した方が良いのではないかと思う。

(2)地震中期予測の全国マップ
 国の地震調査推進本部が出している地震の中期予測全国マップをみなさんは見た事があろう。太平洋側は、北海道、東北から四国、九州まですべからく60~90%と極めて高い確率の赤色で占められ、海溝型地震の危惧が高まっていた。とりわけ四国沖の南海地震だ。然るに、今回の熊本地方は断層による直下地震で確率的には1%にも満たなかったが、実際にはM7が発生してしまった。この様な確率図は科学者だけが使えば良いことで、この図を見ると熊本地方の人は自分たちは大丈夫だと勘違いする危険性が高いといえないか。今回の熊本地震の発生を鑑み、「日本中どこでもいつか地震は起こる」という基本的な考えが防災上では欠かせないもので、これを徹底することではないかと思う。

(3)短期予知の重要性とその問題点
 今回の熊本地震も4月4日~9日に前兆が出ており、事前に九州に地震が来ることは予測を出していた。しかし、私たちの予測Mが実際より小さかった事はあるにせよ。この予測のはずれは、明らかに私たちのVLFネットワークに九州北部にVLF受信点がなかったせいである。わたしは最初のベンチャーを2010年に設立し、実質的に4年間地震予測の配信を続けてきた。4年間の実績として、65-70%の予測確率を達成し、社会からも一定の評価を得たものの、いくつかの課題も浮き彫りになってきた。今回の熊本地震の例でもわかるように、小さなベンチャーがどこで起こるかもしれない日本中の地震を相手にすること自体無理なことであり、各地方地方にその地方専用の観測網を作るべきだと考えるに至っている。私もこの地震予測情報配信ベンチャーを6月末に辞し、電通大発ベンチャー(株)早川地震電磁気研究所が主体となる新しい研究・事業をスタートする。私たちは関東直下型地震だけを対象とした観測ネットワークを構築中である。従来その因果関係も確立している電離層(下部)の乱れを検出するVLFネットワークだけでなく、電離層上部のモニター、大気圏ELF放射や地圏からのULF放射の受信、見通し内VHF伝搬異常などの複合システムを採用する。このような複合観測の重要性は学術的には指摘されているものの、その実施には至っていないのが実情である。わたしたちはこの第一歩を踏み出したい。研究的には、地震予知学の最終目標である地圏・大気圏・電離圏結合のメカニズムの解明を目指し、これが引いては実用的地震予測精度の向上につながることは疑いない。 


#16 新著「地震予知衛星を飛ばせ」の紹介(2016/6/1)

 朝比奈桐子さん(ビッグムーン社)執筆による2016年4月に出版されたばかりの本をご紹介します。本のタイトルは「地震予知衛星を飛ばせ」です。このタイトルに皆様驚かれるかもしれませんが、地震予知、地震予知学の学問分野ではすでに人工衛星が重要な観測手段となっていることもあり、更には日本もフランスに続いて地震予知衛星を飛ばしたいという強い願望も込められているのです。
 著者の朝比奈お姉さまは元気の良いというよりは、きわめてエネルギッシュなお姉さまです。まず、基本的に地震予知、とりわけ短期予知が大変重要な学問であるとの認識に立っておられ、地震予知に強い興味と関心を持っていただいています。2014年に設立した日本地震予知学会も応援いただき、本書では学会員の多くの方々が登場しています。更に、学会の年末に開催される学術講演会での質疑応答なども生々しくその雰囲気を伝えていただき、学会長として大変助かります。本書の所々で学会への愛情に満ちた表現があり、感激です。更に、地震予知に携わる世界中の学者のことも書いていただき、フランス、イタリア、ロシア、アメリカ、台湾、インド、中国などの研究者の様子も伺え、地震予知学が世界的に活性化している学問分野であることもご理解いただけると思います。
 最後に本書の重要な一点は、この本がディジタル本であることです。従来の紙ベースの本の終わりを想定して、タブレット端末などで本を読む方式なのです。新しい出版方式による、地震予知に関する斬新な内容が盛り込まれた本で、ぜひ一度お読みいただきたくお勧めいたします。


#15 2016年熊本地震に想う(2016/5/12)

 また地震学では予測されていなかった場所、九州熊本(及び大分)において大地震が起こった。国の地震調査推進本部が発表する中期予測(ここ30年でマグニチュード(M)7以上の地震の起こる確率)によれば、熊本活断層地震の確率予測は1%にも満たないものだった。地震学的には複雑な活断層活動によるとのことで地震学者たちは興奮していると、メディアの人から聞いた話である。今回の地震に際して思いついたことを書く。

(1)地震の呼び名
 最初にM6.3の地震(しかし震度は7)が4月14日に発生し、その後4月16日にM=7.3の地震が発生した。後の地震がそれまでの最大マグニチュードよりも大きいため、これが本(主)震と呼ばれることとなり、それに伴ってこれより前のもの、M6.3も含めてすべてが前震になった。本震後の地震はすべて余震という事になる。英語では、foreshock, main shock, aftershockという。地震学でのこの呼び名自体が一般の我々には混乱を招くものだ。即ち、すべての過程が終了しないと、どれが前震、主震、余震かを言えないのが地震学である。さらに、前震という言葉自体、あたかもこれは用いれば地震予知につながるかもという錯覚も引き起こすのではないか。すべての地震が私たちにとっては地震であり、一連の“地震活動”とでも表現した方が良いのではないかと思う。

(2)地震中期予測の全国マップ
 国の地震調査推進本部が出している地震の中期予測全国マップをみなさんは見た事があろう。太平洋側は、北海道、東北から四国、九州まですべからく60~90%と極めて高い確率の赤色で占められ、海溝型地震の危惧が高まっていた。とりわけ四国沖の南海地震だ。然るに、今回の熊本地方は断層による直下地震で確率的には1%にも満たなかったが、実際にはM7が発生してしまった。この様な確率図は科学者だけが使えば良いことで、この図を見ると熊本地方の人は自分たちは大丈夫だと勘違いする危険性が高いといえないか。今回の熊本地震の発生を鑑み、「日本中どこでもいつか地震は起こる」という基本的な考えが防災上では欠かせないもので、これを徹底することではないかと思う。

(3)短期予知の重要性とその問題点
 今回の熊本地震も4月4日~9日に前兆が出ており、事前に九州に地震が来ることは予測を出していた。しかし、私たちの予測Mが実際より小さかった事はあるにせよ。この予測のはずれは、明らかに私たちのVLFネットワークに九州北部にVLF受信点がなかったせいである。わたしは最初のベンチャーを2010年に設立し、実質的に4年間地震予測の配信を続けてきた。4年間の実績として、65-70%の予測確率を達成し、社会からも一定の評価を得たものの、いくつかの課題も浮き彫りになってきた。今回の熊本地震の例でもわかるように、小さなベンチャーがどこで起こるかもしれない日本中の地震を相手にすること自体無理なことであり、各地方地方にその地方専用の観測網を作るべきだと考えるに至っている。私もこの地震予測情報配信ベンチャーを6月末に辞し、電通大発ベンチャー(株)早川地震電磁気研究所が主体となる新しい研究・事業をスタートする。私たちは関東直下型地震だけを対象とした観測ネットワークを構築中である。従来その因果関係も確立している電離層(下部)の乱れを検出するVLFネットワークだけでなく、電離層上部のモニター、大気圏ELF放射や地圏からのULF放射の受信、見通し内VHF伝搬異常などの複合システムを採用する。このような複合観測の重要性は学術的には指摘されているものの、その実施には至っていないのが実情である。わたしたちはこの第一歩を踏み出したい。研究的には、地震予知学の最終目標である地圏・大気圏・電離圏結合のメカニズムの解明を目指し、これが引いては実用的地震予測精度の向上につながることは疑いない。 


#14 「4月18日は発明の日」(2016/4/25)

 皆様は「4月18日が発明の日」だとご存知ですか。今から126年前の1885年(明治18年)4月18日に、現在の特許法の前身である「専売特許条例」が初代特許庁長官の高橋是清によって公布されたことを記念して、「発明の日」が制定されたのです。正直を言えばこのことを私も知らず、ドクター(サー)中松さんからのパーティ招待状で知ったのです。私が学生だった頃には、授業の中で特許の話など聞いた記憶は全くなかったのですが、私の先生の先生、名古屋大学空電研究所の創立者、金原淳先生からは、いつも「新しいことをやりなさい」と言われ続けてきました。先生のこの御助言がある意味特許に繋がっているのでしょうか。
 私の研究テーマはご存じのように、EMC(環境電磁工学)と言う純工学的分野もあるものの、多くは雷であったり、宇宙にあったり、どちらかと言うと理学的要素の強い学問分野に従事してきたため、特許などは程遠い存在でした。しかし、本メルマガでは特許に関し、私が思いつくことを数点書きます。
 先ず、かなり昔ですが、大手電機メーカーの方を教授として迎えたいという大学の話です。通常大学教授採用には学術論文の発表業績が一番のキーポイントですが、その方はメーカーに長らく勤めておられたためか、発表論文は数えられるほどしかなかったのですが、驚くことに特許が100件を超えていたかと思います。教授採用には年齢程度の数の論文があれば一応の基準をクリアしているとするのですが、教授会においてこの特許をどう評価するかが議論の対象になったと思われます。私は単なる傍観者でしたが、その方が教授に採用されている事実を考えれば、特許が学術論文と同等であると評価されたのだと思います。勿論、大変な議論がなされたと推測できます。なぜなら、若し私がこの議論に参加していれば、どちらかといえば反対の意見を述べていたと思うからです。やはり特許と論文は大いに異なるものだと考えるからです。
 私も特許を2件持っており、ともに地震予知に関係するものです。お金につながる特許はきわめて少ないとも聞きますが、地震予知は実学なので特許は取っておいた方が良いとの勧めもありましたので。一つ目はもう10年以上も前の出願です。VLF送信局電波を受信して電離層の乱れをほぼ1週間前に検知して地震予知を行う手法で、現在事業化しています。もう一つは数年前に申請したもので、これが高周波(VHF帯)での地震前兆電磁ノイズを利用するもので、携帯電話の基地局でのパワーコントロール信号、あるいは通信不能に関する情報を用いて地震予知を目指すものです。皆様が携帯電話をかけない時にも、皆様の携帯と基地局との間では情報のやり取りをし、皆様が電話した時にどれ位の強度の電波を使用するかを評価しているのです。地震の1週間前から地震の起こるまでの間は、VHF帯の電磁ノイズが発生していることが学術的に分かっており、このノイズのため強い強度の電波を使わないと通話できないのです。かかる情報が基地局には残っているのです。ところで、特許の審査方法をよく知りませんが、どうも複数の人の合議性ではなく、どの審査官に当たるかにより採択が大きく左右される感が強いのです。ちなみに、私たちのこの特許申請に関しても、申請後類似のものが採択されているとの理由で拒絶通知が届いたのです。私は電気通信大学の知財スタッフに反論するのも時間の無駄だと申し出たのですが、彼らが強い反論書を約1年前に送ってくれたのです。実は、数か月前特許受理という通知が突然届き、大きな驚きです。まさしくこれは、うちの優秀な知財チームの執念の賜物でしょう。この特許にどこかのキャリアが興味を示してくれれば良いのですが。


#13 「ガリレオX!」(2016/4/11)

 前回のテレビ出演の話の続きとして、昨秋出演した科学番組「ガリレオX」について記す。科学番組に取り上げてもらうのは初めての事であり、前回紹介したバラエティ番組とは全く異なるものであり、ここで紹介したい。
 ワック(Wac)というテレビ番組企画制作会社のディレクターから、地震予知を科学番組として企画したいのだが、ご協力願えないかとの電話連絡があった。願ってもない申し出で、即取材は合意した。先ず地震予知の最前線を知りたいとのことで、私が1時間ほど地震予知全般及び地震予知学(地震学との差異を含めて)を講義した。講義中の種々の質問から事前にかなり勉強の上訪問されていることが伺え、幾分不明確な点もはっきりしたとのことだった。その後、この企画を如何に進めるかを話しあう段階に。実は、このワックという会社は、出版ビデオパッケージの制作と販売、テレビ番組の企画及び制作をおこなうメディア企画であると同時に、私が(うちの女房は私よりも)好きな月刊雑誌「Will」、「歴史通」を発行する出版社でもあるのだ。いわゆるニッチな会社である。数回にわたり、両者の企画構成に関する協議の結果、私たちが提案した形に近いもので進めることになった。
 本企画は「地震予知(学)はあくまでサイエンスである」ことを強調し、地震予知学が地震学と全くの別物である事を視聴者にご理解いただくことが最大のポイントだ。先ず、上田誠也先生(日本地震予知学会名誉会員、東大名誉教授)に先行現象を徹底的に研究する地震予知学と過去の地震だけを調べる地震学との違いをお話しいただく。続いて早川が、地震に伴う各種電磁気現象、とりわけ地震に伴う前兆的電離層の擾乱について、1995年の神戸地震の事例をまじえて説明を行う。最後に一般の聴視者向けも考慮し、麻布大学の山内さんに動物の前兆的異常行動と地震との因果関係を話してもらうという構成だ。出来上がった番組は2015年9月27日(土)と10月4日(土)の2日にわたり午前11時からの30分間BSフジより放映され、「永久保存版」だというご意見も含め、好印象の感想が多く寄せられ、充分満足できる企画だったと思う。ご希望な方には録画のコピーをお送りできます。
 この企画会社は大手のスポンサーに支えられしっかりとした基盤があり、他からの干渉を受けないことが最重要事項だ。例えば、普通のテレビ局ではディレクターの提案、企画が上層部にて没になることが極めて多いのだが。とりわけ、地震予知に関するものについては。ワックのディレクターは充分な検討の上、独自の企画、制作ができ、しかもそれをテレビ局から放映できる力があるのだ。私たちの番組でも数ヶ月にわたり時間をかけた取材やインタービューに基づいていることが強みだ。ワックに最大級の感謝だ。この種の科学番組ならぜひ出演したいと考えている。


#12 「テレビ出演!」(2016/4/1)

 前任地名古屋大学時代には、雷からの大気雑音、宇宙での雑音が研究テーマだったため、社会との関わりは極めて少なく、テレビ出演など考えたこともなかった。更に、30~40年前には、上の先生からは、テレビに出る教授は大した人ではないとも言われていた時代だ。
 私は1991年に国立大学電気通信大学へ赴任してから、地震予知研究を始めたのだが、それまで従事していた電気・電子工学や宇宙物理分野とはすこぶる異質な学問分野であることを経験する事となった。地震予知という学問は、(1)学問的に充分高くなければならないこと、(2)極めて社会的、政治的であることを気付かされた。とりわけ、(1)に関しては、地震学からの批判も強く、学術的に前兆と地震との因果関係の検証が不可欠だ。1995年の神戸地震での前兆的電離層擾乱の発見を学術的論文として発表し、メディア、即ち新聞、週刊誌、テレビなどとの接触が始まる事となった。
 ここではメディアのうちテレビだけを取り上げ、新聞などの紙媒体との付き合いについては別の機会に書くことにする。神戸地震後、テレビ東京の夜の番組WBS(World Business Satellite)で私たちの地震前兆電離層擾乱が取り上げられ、私は将来的には地震予測情報の配信を目指したいと述べたと思う。2011年東北大震災後、私たちの地震予測情報配信が開始された事もあり、再びWBSに取材され、担当ディレクターが20年前の取材を覚えていたのだ。テレビの出演も、最初はお昼時の主婦向けのワイドショー番組(例えば、昼ナビ)、続いて午後5-6時の報道番組、そして夜のバラエティ番組(ダウンタウンなう、ジョッブチューンなど)へと進んできた。やはりテレビ局はあくまで「国民に受ける」とか、視聴率の上昇に眼が向いていることを取材される側が先ず念頭に置くべきだ。従って、こちら側の考えを明確化しておくことが肝要だ。即ち、(1)取材の目的が明確か?(2)地震予知学に関するものかの2点に重点をおいて対応する。昨年(2015年)当初に、あるテレビ局から電話連絡があり、テレビ生出演を打診された。「??タックル」という有名な番組で、地震予知の人間として私を最初に打診しているとの事。(2)の条件は満足するが、(1)についての議論となる。内容は結果的に、「地震は予知できない」派と「出来る」派のバトルを望んでいるのだ。かれらの目的は明確だが、私が出るようなものではないと感じた。ちなみに出来ない派は誰が出るのかと聞くと、東大の外国人教授との事。いろいろ話した結果、その場で断ることにした。どんなバトルが行われたかはその番組を見ていないので知らないが。こんな1例だけでなく、テレビ取材、出演の打診の約半分くらいはこのような状況だ。
 テレビ取材は例外なく、「1週間後の放映で、至急対応してくれないか」という要請だ。先ず、数日にわたって、私たちの会社及び会議室において、いろいろな取材およびインタビューだ。何度も何度も。更に、こんな資料が至急欲しいなどの電話要請がうちの若い浅野君に殺到し、浅野君はその対応にてんやわんやだ。続いて、一日テレビ局に出向いてリハーサルだ。そして、本番の日を迎える。夜の番組にもかかわらず、昼前後より来てくれとのことで、きわめて長時間の拘束となり、大変疲れるものだ。しかし、それなりの効果があることも。例えば、2015年6月のフジテレビの「ダウンタウンなう」の出演の時のエピソードだ。この番組では、地震全般に関すること、地震などの防災に関する事、そして私の地震予知という三本柱だったが、やはり地震予知が最大の売りだと思っていた。フジテレビ及びダウンタウンとも低調とのことから、いつものこの番組の視聴率は7.0%前後とのことだが、驚くことに私の出演時にはなんと8.5%に上昇したのだ。局およびディレクターたちは大喜びで、来週から毎週地震予報をやってくれないかと提案されたが、これは如何せんお断りした。
 前回のメルマガでも述べた様に、地震予測情報の配信と社会との関わりは考え直す時期に来ていると思っており、また以上述べたテレビ出演の効果なども勘案し、そろそろテレビ出演も卒業する時ではないかと考えている。


#11 「3.11に想う」(2016/3/25)

 東北大震災から2016年3月11日で5年だ。もう5年と感じられる人もいれば、まだ5年なのかと感じる人など様々であろう。私個人としては大変な5年だったというのが率直な印象だ。1995年の神戸地震も大災害で、被災された方は忘れられないでしょう。しかし、東京に住む者にとっては、揺れた訳ではなく、震度5強という激震を体験した3.11とは全く違った感じだ。勿論、私たちは神戸地震の時、前兆的電離層の擾乱の発見し、地震予知の可能性を示し、学問としてやるべきとの確信に変わったのだが。神戸地震直後には一過的に多くの新聞、週刊誌などが電波の異常など電磁気現象を取り上げ、一時的に地震予知(短期予知)への関心、気運は著しく高まったものの、1年後には完全にゼロの状態に落ち着いたこともよく記憶している。
 それでは2011年地震はどうだったか? 海の中での巨大地震で津波の問題だった。私は津波は基本的に逃げるしかないと考えていたので、海域の(海溝型)地震の予知には注意を払ってこなかった。まず学術的側面から述べる。地震により電通大の8階の私の居室も壊滅状態にあったが、直後3ヶ月間エレベータが停止する中、集中的に調べたことがある。3.11以降太平洋での地震、地震学では余震と称するものが多発したが、これらの地震に対しても陸域(断層型)地震と同様な電離層擾乱が出ているか否かを。その結果、陸域の地震同様、海域の地震にも約1週間前に電離層が乱れていることがわかったのだ。実はある講演会で、こんな質問がある年配の人から投げかけられたためだ。「1995年の神戸地震のような陸域の地震は予知できても、3.11の様に海の中で発生する地震は予知できないのか?」「できれば、それに伴う津波も予知できるのでは?」と。その結果、最近では私たちは陸域地震はもとより、海の中の地震の予測も提供するようにしたのだ。これは、学術的のみならず、実用的にも大事なことで、3.11地震の最大な贈り物といえよう。次に、地震予知への関心、防災意識に関しては、5年の経過でかなり薄れてきているものの、神戸地震の時とは異なりそれなりに持続していると言える。その最大の理由は、地震に伴う福島第一原発の大事故であろう。この廃炉作業は数10年のオーダの時間がかかることであり、地震を忘れられないからだ。 2015年を私は「地震予知」元年と位置付けている。2015年には好きでもない度重なるテレビ出演、メディアの取材、また「日本地震予知学会」のいろいろなメンバーによる努力により、地震予知と言う言葉がかなりポピュラーとなってきている。また2014年の「日本地震予知学会」の設立も予想以上の意味があったようだ。従って、2016年が「地震予知」の真の意味でのスタートだと考えている。地震予知をサイエンスとして成熟させ、社会に定着させるという。
 本年3.11前後でのメディアの反応を見てみよう。勿論、私たちを大々的に取り上げてくれた新聞もあったが、全般的には「地震はいつ来てもおかしくない」「津波は逃げるしかない」という当たり前の事がほとんどだ。それらの番組では、「予知(短期)」は全く取り上げられていない。言うまでもなく、人生はいかに備えても、必ず3.11の如き大きな危機(自然現象だけでなく、テロなど人工的破壊)には遭うということを、義務教育のうちからしっかり教え、更にそれに耐える精神を作ることが社会の義務だと思う。
 上記の防災の概念はすこぶる大事な事であることは否定しない。しかし、何年にもわたって緊張し備えることは不可能なことは明らかであり、そのために私たちは1~2週間先の予測を行う短期予知をめざしているのだ。勿論、現時点にてその精度は不充分な事は重々承知しているが、全く何の情報もないのに比べれば、6~7割の精度は大きな意味を持つと言える。上記の中期予測と私たちの短期予知の違いを十分理解し、融合することが望まれる。  最後に、民間ベンチャとして実用的地震予測情報配信を開始して4年程度経過したが、これについて一言。わたしたちに続いて、GPS衛星を用いた地殻変動測定(これは中期予測だが)による同種会社による配信も始まっている。私たちにせよ、もう一社にせよともに数万人の登録(即ち、お金を払う人)であり、このように一方的に情報を配信する手法では10万人に達することはなかなか考えられないと思う。地震予測情報の減災、防災への活用を進める中、次のような素朴な疑問を感ずることもある。日本人は真に「地震予知」データを欲しているのか?日本人は、自然にくるもの、例えば地震では死んでも良いという変な死生観があるのかとも。地震予測情報は真に意識の高い法人、個人だけを対象とすることも考えられ、地震予知情報の配信を根本から考えることにもなる一年では。しかし、その一方で、ここ数年で私たちを実効的にご支援いただく複数の会社の出現、さらには個人として応援したいとの申し出もあり、大変勇気づけられることも起こっているのだ。 


#10 「原宿サロン!」(2016/3/14)

 昨年(2015年)メルマガが中止していた4~5ヶ月の期間にも、いろいろな団体からのご招待による講演会が続いた。その中でどうしてもご紹介しなければならないのが、「原宿サロン」だ。
 2015年7月22日(水)にその原宿サロンでの私の講演会を開いていただいたが、2015年の初頭に突然のメールによる講演の依頼があった。原宿サロンの簡単な歴史と最近の講演者のリストが添付されていた。先ず、驚いたのは、最近の講演者にはメディアで超有名な方ばかりが顔を並べ、京都大学山中教授、例のiPS細胞でノーベル賞を受賞された方、またサッカー協会理事の川淵さんなど。また、取り扱うテーマも経済からサイエンスまで、多岐にわたっている。先ず私のような有名でもない人の話で良いのかと思ったが、色々な所で講演の機会をいただけるのは大変有りがたいことで、お引き受けした。
 原宿サロンとは「異文化交流、異文化融合のための出会いの場」として1978年より発足しているもので、異業種交流として最も古いとか。数十年前の一時期「異業種交流」というのが流行語のように使われ、その類の会合に、国内各地に、呼ばれたことが思い出された。会合の情報を事前に集めるよりも、直接にお会いして顔を見ながら会話することが、ずっと大事だと最近つくづく思う。そのため、いつも通り事前の予備知識なく訪れたのだが、驚くことばかりだった。  少々早めに来てくれとの事で、原宿サロンがいつも開催される北青山の会場へ出向いた。会場の控室に通されたが、サロンの代表今野由梨さんと数人の幹部と20分程度歓談した。最初に今野代表に失礼ながら率直な質問をした。「私のような無名な人を呼んでいいのですか」と。すると代表曰く「ちゃんとチェックしていますので」との返事だった。地震予知の重要性を十分に認識され、その最前線をお話しいただきたいと。その趣旨は明快だ。
 私の講演の前に、ご自身の中国でのベンチャー関係の国際会議の報告、さらにその後の中国国内の大学や団体での講演の報告を話された。私だけ存じあげなかっただけで、知る人ぞ知る、今野代表はすこぶる有名な方のようだ。1960年代後半に女性として初めてベンチャーを立ち上げ、例えば[子ども110番]など。ベンチャーという言葉などない時代に、しかも女性が起業するなど。なんと挑戦的な事か。その成功にて国内だけでなく、国外でも色々な役職につかれているのだ。ベンチャーの母とも呼ばれており、約10年前にNHKで彼女の特集が放送されたとのことだ。お歳をお伺いして、更なる驚きだ。私は足、腰など不具合があるのだが。私たちのベンチャーは苦戦しているとお話しすると、「頑張る」しかないと一笑に付された。今野代表は極めて「前向き」のお考えの持ち主だが、そのような単純な言葉では言い表せないパワーを秘められている方だ。
 招待講演として、約1時間「地震予知の最前線」について約100人の会員に対して講演を行った。会議後の宴会ではそれこそ異業種の企業の方々ともお会いでき、地震予測情報をいかに活用するかで多くの質疑応答が飛び交い、すこぶる有益だった。極めて意識の高い方々の集まりで、その後もご協力いただいている企業もあるのだ。


#9 シグナルとノイズ(2016/3/1)

 最近もいろいろなメディアの取材や本出版のためのインタビューなど、忙しい日々が続いている。来訪者の一人から次の本を紹介された。本のタイトルは「シグナルとノイズ」。このタイトルだけを見たら、皆様は私の著書かと思われるかも。事実、私には「地球環境とノイズの意外な関係」(技術評論社、2009年)と題する著書があり、その中では信号(シグナル)とノイズ(雑音)のことを詳しく述べている。私の数十年にわたるノイズ研究を一般の方に知ってもらうための啓蒙書だ。例えば、地震の前に発生する電波は通信には邪魔者でノイズなのだが、地震予知に携わる私たちにとってはシグナルなのだ。
 豈図らんやこの本の著者は、ネイト・シルバーというアメリカの経済アナリストで、2012年のアメリカの大統領選の結果を完璧に的中した人物として有名との事だ。しかも、この本は六本木ヒルズ界隈の経営関係者の間では大好評との事だったので、すぐに購入して読んでみた。経済活動から自然現象、テロリズム等多岐な分野での予測を取り扱っており、これが「予測学」という副題がついている所以であろう。自然現象では(1)天気予報と(2)地震予知が入っていた。しかし、読んでみると、予想通りこの本はあくまで「統計学」に準拠した本なのだ。多くの統計学者は他の学問分野の専門家でもあったりすることが多く、統計学は極めて実学の側面が強いようだ。「どのように肥料をやれば農作物の収穫量が増えるのか」という要請などから発しているのだ。それに対して、私と統計学との係わりはと言えば、昭和40年前後に電気/電子工学を学ぶ時期において、将来は統計学が極めて重要になるから勉強しておけという事だった。私は好きな科目であったのだが。応用統計学はその後のコンピューター時代の基礎となる情報理論につながっているのだ。実は名古屋大学電気/電子工学科はもともと別の学科なのだが、両学科に入学した学生はほぼ同じ事、例えば電磁気学、電気回路、電子回路、半導体工学などを勉強するのだが、両学科間での唯一の違いがあった。それは、私たち電気工学科の学生が発送配電(いわゆる強電だ)を勉強している時に、電子工学科の学生が勉強したのが「情報理論」なのだ。情報理論は、1980-82年仏国にて共同研究した時に独力で集中的に勉強し、人工衛星上で観測された自然電波の到来方向を[統計学、情報理論]を駆使した手法を提案した。私にとってはあくまで研究上有用な「統計学」で、実学の面は全くないのだ。
 さて、本を読んだ印象としては、(1)先ず“予測学”という新しい方向性を提示している点は大変興味深く、著者の将来を見据えた眼力には感心せざるを得ない。しかし、(2)その内容はすべて統計に基づくもので、例えば「地震予測」に関しても、従来の中期・長期予測そのものであり、地震予知(短期)はできないことが強調しているのは、残念だ。ここ20年にて飛躍的に発展している私たちの短期予知を本の著者はご存じない事は理解できる。しかし、個人的には地震の短期予知を更に拡張し、病気の予防なども含めた「予知学」は充分考えられるし、これこそが真の「予知学」だと言えるのでは。この予知学という名前は幾度となく私の地震予知講演会ではその重要性を指摘し続けている。


#8 2015年の2冊目の本!(2016/2/23)

 昨年(2015年)10月にその年の2冊目の英語の本を出版した。1冊目の本は「Earthquake Prediction with Radio Techniques」(John Wiley, USA)で、その出版経緯はすでにメルマガに書いている。
 この2冊目の本は、「地震の前に電離層の乱れがどうして発生するのか」という地震予知学の究極のテーマを論じた、純学術的な書籍だ。ロシア人のSorokin教授、 Chmyrev教授との共著だ。ちょっと難しい話なので、ご勘弁を。
 如何に電離層が乱されるかのメカニズムは現在複数の仮説が提案されている。私たちはすでに2000年直後に、地圏の影響がいかに電離層まで及ぶかの可能性をすでに述べている。1つは地震前のひび割れに伴い、地中からラドンが放出され、この放射能により大気が電離され、これが大気伝導度の変化につながり、その効果が電界を通して電離層を変化させる。この仮説はロシア人のプーリネッツ博士が提唱し、しつこく今も言い続けている。第2の仮説は、モルチャノフ、早川らが提唱したもので、地中からはラドンだけでなく、電気を帯びたエーログル(ゴミ)が放出される。即ち、これらの放出により大気粒子がゆさぶられ、その振れが大気振動として電離層まで伝わり、電離層の乱れとなる。最後が、最も新しい説だ。米国フロイント教授が唱えるもので、地下は圧力が加わると、プラスの電荷が地表にでてくるというpositive hole carrier説。すべて仮説なのだ。どの説の提唱者も自説が有力だと主張したいのだが、その検証には至っていない。1週間後ある場所で地震が起こるとわかっておれば、そこに各説の重要な物理パラメータを一緒に測定できれば、どの説がいいのかわかるのだが。
 この2冊目の本は実はより有名な出版社に出版提案を出したのだが、本も論文同様査読者のコメントをもらうのが常だ。ところが、査読者が上記3つのメカニズムの一つの提唱者の所に廻り、私たちの新説は絶対認められないとの強い反発で没になったという経緯だ。やむなく、別の出版社を探す羽目になり、新興出版社の米国NOVA社が引き受けてくれたのだ。第1著者のSorokin教授はここ10年いろいろなテーマ、勿論地震電磁気現象だが、私と共同研究を続けている優秀な先生だ。この本の論点は明確で、従来のプーリネッツ説には多くの疑問点があり、電界の地上及び衛星観測結果との矛盾点があることを示し、全く新しい説を提案している。上記3仮説とも、地震1週間程度前の地下でのひび割れにすべて起因しているのだが、地下からはラドンだけでなく、電気を帯びた(帯電した)エーロゾル(ゴミの如き)が噴出することとなる。この噴出が電気起電力(電流源)として最も重要な役割を果たしているとするもので、これにより(1)地震の前には大気電界にほとんど大した変動がないのにもかかわらず、(2)電離層内には有意な電界が発生することも説明できるのだ。早川、モルチャノフの大気振動説とも異なる原理だが、地表での小さな振動が高度を上昇するにつれ、電離層内では顕著な現象として見える点では考え方として共通しているのだ。科学者も謙虚な姿勢で他説にも注意を払うべきだと思うのですが。


#7 中国の更なる出来事(2016/2/23)

 前回のメルマガでは、中国のお医者さんの事を書いたが、もう一回中国の出来事をお話しする。
実は、中国の科学者との交流は1980年頃から始まった。その当時、私は名古屋大学空電研究所において地球の高層大気(電離圏や磁気圏)プラズマ中でのいろいろな波動、例えばホイスラやVLF/ELF電磁放射の研究に従事していた。低緯度ホイスラの伝搬特性を調べるため、国内での多点観測を実施すべく、大型バスに乗り四国、九州などへ出掛けたり、また欧州でのVLF放射の多点観測の実施など多忙な時期だった。
最初にお付き合いしたのは、北京の研究者たちだ。最初にお会いしたのが、地球物理研究所のカンクンチュー(K. K. Tschu)先生で、大変尊敬できる先生だった。先生のもとでは数人の優秀な研究者が在籍し、しかもすべてアメリカに留学した経験のある方々だ。数年前のことだ。私が北京の別の研究所で地震電磁気現象の講演会がある事をお知りになり、ご親切にもご参加いただき、久しぶりに再会したのがシュー(wen yao Xu)先生だ。私とほぼ同じ年代だ。出版したばかりの地球物理学の学術書の謹呈を受けたが、残念ながら中国語なのだ。
 更に、北京地区では複数の大学でも講演した。その当時の講演のやり方はと言うと、まず私が英語で話し、それを通訳が中国語に翻訳するのだ。大変時間のかかる作業だ。しかし、学生たちの意欲あふれる目の輝きはいまも思い出される。また、毎回講義の最後には,孔子の論語の言葉で締めくくった。文化大革命で孔子は封印されていたため、学生たちは孔子の事を知らない上に、孔子の話を外国人である日本人から聞くなどとはいかに不思議だったろうか?
 さて、これからが今回の本題だ。その後も中国科学者との交流は続いたが、武漢大学との共同研究の際に、思わぬ事態が発生した。もともとの共同研究の目的は、低緯度ホイスラの南限の調査だ。反対半球の雷由来のホイスラは低緯度へいくにつれ受信されにくくなるのだが、どの緯度で受信不能になるかを調べようとするものだ。このテーマは当時のホイスラ研究の最先端課題で、これを中国の地形を最大限活用し、中国国内多点(緯度方向に4点程度だったと記憶している)にて観測しようとするものだ。日本製の新式のレコーダを駆使した1ヶ月ほどの観測も順調に終了、帰国の数日前に事件発生だ。首をかしげるよりも、頭へ来る事態だ。Liang教授グループの助教授が登場したのだ。どうも共産党員の様で、教授を前にすさまじい剣幕でしゃべるのだ。学長と相談したが、私たちに観測データを渡せないと言うのだ。本当に学長が言ったのかは定かではないが。勿論、共同研究を良くするためには、学問的な事であれば激論をかわすことはいとわない。そこで私はLiang先生、その助教授と観測に参加した数名の中国人学生を交えて議論することを提案。最初に私がLiang先生との事前合意事項について話すのだが、全く無視して不可能の一点張りだ。すると助教授の話は別の展開だ。これが言いたかったのか?戦争中の日本軍の蛮行だの、お前ら(日本人)が仕事が出来ているのは機械がよいからだの。さらには、戦争のことを考えれば、データなどもらえると思うな、機械はすべておいておけ、などすさまじい剣幕だ。しかし、最低限答えらえることは答えた。戦争中の日本の中国への進出は遺憾だが、私とは関係ないこと。機械が良くなくても、中国所有の現有のものでもアイディアさえあれば、新しい方向性は出せるなど・・・述べた。その後、中国人学生もいたが、わたしも負けじとテーブルをたたいて学長と相談して直ちに返答をと、ボールを投げ返した。私はもともと短気な気性のため、「何事も一歩引く心、他を思いやる心など」と常々諭されていたが、これはなかなか難しいことだ。年を取った今なら、少しはうまく対応できたかも。共産党員とはあれほど力のあるものなのかと、データのコピーがもらえなければ何のために来たのか、私たちは大変不安だった。1日経ち、学長の許可が出たとして、録音テープのコピーを手渡された。方針転換の理由など一言もなしに。Liang先生はごく普通の西洋式の学者なのだが、この助教授は共産党員という立場を通して国の意見を代弁しているのか。やはり、こちらも主張ははっきり言うべきと感じた。私たちもデータのコピーを解析し、彼らも同じものを解析し、その後共著にて2編の論文を出版したのだが。忘れられない共同研究になった。 


#6 中国のお医者さんはすごい!(2016/2/1)

 最近5年程度、中国のハルピン工科大学のチャオ(Qiao)先生と共同研究を続けている。ハルピン工科大学は中国が世界的大学、とりわけ宇宙理工学分野での創造的研究を目指して設立した大学だ。同大学の第2キャンパスが山東半島の威海(英語表記はWeihai)に創立されて以来、チャオ先生は学長を長く務められ、最近学長は辞められたが、同大学の押しも押されもせぬ存在であることに変わりはない。
 チャオ教授はレーダー工学が専門で、私とほぼ同じ出身だ。最近は電波を用いた地震予知が将来の課題として重要との認識から私たちとの共同研究が始まったのだ。すでに興味深い共同論文4~5編を発表している。
 昨年(2015年)も9月中旬に威海に4泊5日にてご招待をいただいた。グループの若い人たちのため2日間午前、午後集中講義4コマを終えた後に、大事件の発生だ。講義を終え、夕食を妻と一緒にホテルのレストランで取ることにした。メニューの注文の仕方はこんな風だ。ホテル1階のお店に海鮮料理の材料が並べられ、そこで“これとこれ”という風に注文する。その後別室のレストランへ出掛け、料理が振る舞われるという仕組みだ。威海は海に近いため、海鮮はいつも美味しいのだが、多分その夕食で食べたカキが犯人ではないかと疑っている。その夜、下痢、嘔吐が始まり、更にその激しさが増え、次第に耐えられない程に。意識も朦朧と。実は翌日は講義も終わり研究室全員でピクニックに出掛ける事になっていた。見かねた妻が、ホテルのフロントへSOSを。しかし、北京と違いフロントのお姉さんは英語がよくわからない様子。しかし部屋へ来てみれば、状況はすぐに把握でき“救急車”を呼んでくれた。到着までに1時間もしただろうか?よく覚えていない。できるだけ救急車のお世話にはなるまいと決めていたのだが。救急隊員2人とドクター1人、ナース1人が到着したが、ドクターは極めて冷静で、聴診器を当てて音を聴き、質問として「以前心臓病にかかったことがあるか?」と。その後、車いすに乗せられ、救急車にて30分程度にて市の市民病院に着いた。かなり意識がもうろうとして何をされたのかもよく覚えていないが、各種の血液検査、便の検査などと初期処理を受けたと思う。病室ではお尻に一本注射も打たれた。ナースも極めてテキパキと手際よい。残念ながら空きベッドがなく、廊下のベッドで半日以上過ごす羽目になった。いわゆる映画に出てくる野戦病院の如きだ。6時間以上にわたって各種の点滴が続いた。日が明けた頃、チャオ先生他が驚きの様子で到着し、ドクターと話をしたようだ。一日にわたる市民病院でのドクターとナースの対応は素晴らしかったと驚くばかりだ。私も最近は不具合が多く、頻繁に病院を訪れるが、日本では聴診器を当てられたり、触診など全く経験していない。勿論、もうろうとする中、どんな検査がなされたか、またこれが医学的に適切なものであるかを判断できる立場にはないのだが。
 翌日のお昼近くになってようやく立ち上がり、歩ける状態にまで回復し、退院の最終診断を下す別のドクターの所で病状、その他の対応を聞いた。中国語なので、チャオ先生が一一通訳していただいた。原因はよくわからないものの、食中毒の可能性が高いこと。更に、もう一点左肺下に少々気になる点があると。実は後者の点は1年程前に30年来受けていなかったX線検査を受けたのだ。どうも左肺下に少々問題があるかもとの事からCT検査も受けたのだ。最終的には問題なしだったのだが,何かあるのかも。この事件の全体の印象として、中国のドクター、ナースとも大変優れているとの感を強く受けた。聴診器、触診などが医者の基本的な要素として確実に浸透しているようにみえ、また彼らがすべての人に適切に対応しているようにみえた。実は私が寝ていた廊下の向かい側のベッドは、いわゆる浮浪者と見られる人が横たわっていたが、この人にも分け隔てなくナースが対応しているのは見えていた。大変なご迷惑をかけ恐縮だったが、貴重な清々しい経験だった。


#5 新年のごあいさつ:年末の「日本地震予知学会」講演会について (2016/1/12)

 新年明けましておめでとうございます。>
昨年、2015年は「地震予知」の啓蒙に明け暮れた1年とも言えよう。大きな会社、団体からの講演依頼も続き、大嫌いなテレビ出演も多く、「地震予知、即ち短期予知」が広く一般に知られるようにもなってきたと言え、地震予知元年と位置付けられよう。2016年に入っても、この種の講演などは可能な限り続ける所存である。
 更に2014年に「日本地震予知学会」が設立されたことで、社会にはそれなりの影響を与えていると感じている。昨年(2015年)末(12月21日、22日)には、学会の第2回学術講演会を電気通信大学にて開催した。初回同様、何人の方が来ていただけるのか心配で、前夜は良く眠れなかった。当日の朝も仲間たちと心配で一杯で、準備を行っていた。しかし、開場の9時前からすでに多くの方にご来場いただいて、ほっと一安心だった。初日は80名前後、2日目も70人前後と会場は溢れんばかりの熱気だ。更に、感激したのは非会員の参加者が予想以上に多かったことで、学会にとっては極めて喜ばしいことだ。
 33件の発表があったが、とりわけ4件の特別講演は参加者に多くの貴重な情報を提供いただいた。道本先生(ウェザー・サービス(株))は「雷の発達とそれに伴う空電」をご講演いただき、地震電磁気観測での妨害となる雷関係現象をご紹介いただいた。平田先生(名古屋工業大学)は電気工学における「生体と電磁波の相互作用」について初歩から最前線の話までをお話しいただいた。地震前の動物異常との関連において極めて有用なご講演だった。続く小泉先生(滋賀県立大学)(今給黎さんとの共著)は気象庁の震度データベースを用いた中期予測を紹介され、この予測手法と私たちが提案する短期予知手法と比較することにより、地震学者とのより建設的議論が出来るのではとの有益なご指摘だった。最後の末廣先生(海洋研究開発機構)は地震現象に関する既知の経験則を説明する物理数理モデルを基礎にして、地震前の色々な異常現象を説明していただいた。地震学の最先端の講演に接し、地震電磁気現象との連携が不可欠だと感じた。
 すべての発表を総括してみると先ず、研究領域が電磁気だけでなく、地表面運動(地震変動)、動物の異常など幅が広かった事。また、短期前兆だけでなく中期前兆も発表された事。また、統計的研究(統計的有意性)を議論するなど、大変有意義な会合であった。しかし、今回は各々の現象のメカニズムの解明に関するものが少なかったと思われ、次回にはメカニズム解明を目指す発表が増えてくることが望まれる。


#4 阿藤快さんを悼む (2015/12/11)

 2015年11月14日、俳優・タレントの阿藤快さんが亡くなられたとの報道を接し、すぐに頭をよぎった事を書く。
 私よりも数歳若く、あのお元気な方がなぜ、というのが最初の驚きだった。死因は大動脈瘤破裂胸腔内出血との事、たぶん何らかの前兆があったのだと思うが。テレビの報道によると、弁護士を目指していたが、俳優の道に変わられたようだが、ほとんどの人が最初目指した方向とは異なる人生を歩むことは世の常ではないか。
 阿藤さんは強烈な記憶があるため、メルマガに書かせてもらおう。2011年の震災後、多分2012年だったかと思う。TBSテレビの昼の番組「ひるおび」の取材を受けた時のことだ。まだ、私が電気通信大学内インキュベーションセンターへ移る前で、電通大の西2号館8階に部屋を借りている時だった。「ひるおび」取材が大挙して訪問された。ディレクター、テレビカメラマン5~6人とインタビュアーの阿藤さんだった。テレビに出る時には、「どうして電磁気現象を用いて地震予知か」を説明するため、プラスチック製の下敷きをゆっくり折り曲げる話を幾度となくしてきた。その時も女性ディレクターが買ってきたプラスチックの下敷きを用いて説明をしてくれとの要請だ。しかし、最近のプラスチック製の下敷きは私たちの小中学校時代のものとは比べものにならない位良く出来ていて、何度試してもヒビ割れもすらしないし、勿論折ることもできなかったのを覚えている。インタビューの阿藤さんの強面さとは裏腹に、すこぶる的確な質問をされた。それほどスケジュール化されたインタビューではなかったが、彼の最後の一言に私たちも感激した。「今日の話はメチャ面白かった。昨日の話は全く面白くなかったが。」聞いてみると、前日は国立研究機関で地震学の話を聞いたそうだ。推測するに、地震の中期予測の如きで、「南関東でここ30年にM7クラスの地震が起こる確率は何%」という話がほとんどだったのでは。阿藤さんはすこぶる頭の回転の早い人だとの強い印象が残っている。激励の握手をして別れたのを今も良く覚えている。数多くのインタビュアーから取材を受けたが、またインタビューを受けたい人だった。
 ご冥福をお祈りする。 


#3 The Irago Conference 2015に出席して (2015/12/1)

 過日(2015年10月22日、23日)、 Irago Conference 2015という国際会議にご招待を受け、楽しい時間を過ごすことが出来た。このIragoとは、愛知県田原市にある伊良湖岬のことで、恋路ヶ浜、島崎藤村の詩などで有名な所だ。Iragoの名を冠したこの国際会議は、豊橋市にある豊橋技術科学大学が2011年に始めたもので、今回が5回目の開催との事だ。最近は電気通信大学も一緒に主催し、さらにその他の大学からの参加も呼びかけている。
 この会議の発案者はSandhu先生で、2015年度より豊橋技術科学大学から電気通信大学へ赴任された方で、豊橋時代に学長、副学長とのチャットから始まったとの事だ。私にも数人でのこの種のチャットから生まれた国際会議がある。Irago会議は大学院生の国際化が一番の目標だったようだ。その後、「科学者、技術者、政策立案者など、基礎科学や応用分野にわたる様々な分野の専門家が参集し、分野を超えた相互理解を醸成し、人類が直面する地球規模の問題の解決に向けた議論をする「異分野融合のプラットフォーム」の提供」という崇高な目的が掲げられている。若い科学者、大学院生が世界的に著名な研究者などと直接議論する場を提供するものだとも言える。
 私の予想に反し、参加者は全体で160名、半数は大学院生であと半数が教員だ。招待講演者は外国人も含め約10名とポスター論文(学生の)が約100件という大規模なもので、驚くほどだった。半年以上も前に電通大元電子工学科(現先進理工学専攻)中村淳先生がわざわざ私の会社まで来られ、Irago Conferenceでの招待講演をお願いしたいとの強い要請を受け、日程帳を見るとその週だけは空いていたこともあり、気軽にお引き受けしたものだ。もう一つには、1991年電通大に赴任したが、その前任地である名古屋大学空電研究所(豊川)時代に豊橋に20年住んでいた事もあり、最近の豊橋周辺を見たかったこともある。中村先生も本会議の重要人物であった。私はいつもの「電磁気を用いた地震予知」の話を25分(+5分質疑応答)話す機会を得られたが、多くの大学院生に何か残ってくれれば幸いだが。ある先生から「感動的なお話」だったと言われ恐縮した。私個人的には、電通大レーザセンターの中川賢一先生の “Observation and controlling the quantum world by supercold atoms” という講演は極めて興味深いものだった。同じ大学でも学科、専攻が異なると全く知らない事も多く、この種の会議も意味があるのかと思う。口頭発表は、招待講演の他に学生(院生)セッションが設けられていた。7~8件の発表があったが、おそらく選別されていたのだろう、すでに内容も良く、英語もなかなかのものだった。全員による投票により、電通大の女子学生が第1位を受賞した。仕事も魅力的で、英語も迫力があり有望な院生だ。100に近い数のポスターもすべて見て回ったが、おもしろいものもあったが、研究の意義などが明確でないものも散見された。
 最後に一点重要なポイントを述べたい。私もIWSE(International Workshop on Seismo Electromagnetics)(地震電磁気と地震予知)という国際会議を調布にて4回主催したり、多くの国際会議にも関与しており、国際会議を成功させることがどれだけ困難なものであるかを知っている。成功に最も重要なものは、主催者の成功への強い思い入れがすべてだと思っている。今回のIrago Conferenceでは、豊橋技術科学大学の学長をはじめ、上層部の強烈な思い入れ、気迫がひしひしと伝わってきたことを述べたい。宴会では久しぶりに伊良湖名物の大あさり焼き、手筒花火なども堪能した。次回第6回は電通大が担当になるとの事。どうなることか?


#2 岩手県宮古市を訪ねて

 2015年10月上旬、2011年の東日本大震災後の被災地の宮古市を訪問する機会を得た。数ヶ月前知らない方よりの突然のメールがあり、宮古市でのアマチュア無線連盟の例会で“地震予知の最前線”についてお話し願いたいとの事だった。地震予知の啓蒙のためと考え、また宮古は仙台の少し上ぐらいの所という安易な認識で、即座にOKの返事を出した。メールを返信後、秘書と若い研究者の2人から“ダメダメ”と撤回するようにたしなめられた。宮古まで超長距離であり、最近の私の体調も気遣っての事だったことは言うまでもない。岩手県の県庁所在地盛岡まで東京から新幹線でも2時間半から3時間かかる。更に、盛岡から宮古までは山地を走行するため、車で1時間半以上かかるとのこと。
 前泊していた盛岡のホテルまで講演依頼者であるアマチュア無線連盟岩手県支部の責任者である野田さんがご親切にも車で迎えに来てくださり、宮古まで連れて行ってくださった。1時間半の車中でいろいろな話をすることが出来た。彼は東北地方のテレビ局で報道を担当していたが、最近は独立してテレビ番組などを製作する会社を立ち上げられ、アマチュア無線関係者で何か社会貢献できないかと考えられていた。防災には以前から関心が高かったが、いつも起こってしまってからの話にはほとほとうんざりしていたため、我々の地震予知の話を聞き、ぜひ講演をお願いしたいとの事で突然のメールになったという実情のようだ。人との出会いとはこんなものではないだろうか。しかし、一番の楽しみだ。
 講演会では100人内外の皆様に興味を持ってもらえ、更に私からの提案として、“アマチュア”の方々のご協力により総務省がアマチュア無線のために開放した136kHzの電波を用いた地震予知のための全国的ネットワークの構想などを提案した。また、私の依頼で宮古市の上層部の複数の方々にも私の話を聴いていただき、市政に役立ててもらえないかと考えた。
 ここでの多くの方との対話で感じたことが一点ある。盛岡をはじめとする北上盆地と宮古周辺とは独立した地域圏を形成している事とも関係すると思うが、同じ岩手県とはいっても盛岡に住む人と宮古周辺に住む人との間では地震(津波)に対しての意識にかなりの差があることだ。宮古の方は一度被災しており、もう次の地震は自分たちの所には来ないと感じているとの印象を強く持ったのだ。そこで私は次の事を申し上げた。一度来たものはまた来ると考えるべきで、市として、町として“地震予知”は防災対策、政策の重要なものであると。
 私の宮古に対する知識は乏しく、三陸海岸を代表する都市の一つで、本州最東端(魹ヶ崎という(魹は何と読むかお分かりだろうか?))を擁する自然環境の豊かな漁業と観光の町というくらいなのだ。講演会後、震災後の宮古の市街と周辺を野田さんの御好意により見て回った。私など震災直後の時期に被災地を見る勇気などなかった。テレビを通して宮古周辺の大変な映像も多く見てはいたが、実際その現場に立つと何ともやりきれない。極めて多くの更地が存在するが、すべて住宅だったとの事だ。私が現在見ている風景は2011年震災前とは全く異なるものなのだ。壊滅的被害だったのだろう。宮古は、湾の両岸が奥に進むにつれて狭くなる形状の特異性から古来多くの津波被害の歴史がある。日本最大級を誇った防潮堤も破壊された。今後三陸海岸には、国、県による超長距離の巨大防潮堤を建設する計画があるが、考えものだ。海が常時見られる環境にて、地震予知と地震(津波)に対する啓蒙教育に徹底することの方がずっと建設的ではないかと思う。


#1 メルマガの再開! ノーベル賞受賞を祝して

 本年6月に「地震解析ラボ」の諸事情によりメルマガの「教授の随想」を中止せざるを得なかった。その後多くの方から「教授の随想」の継続を願う声があり、電通大インキュベーションセンターのWebサイトに別の形で続けることにした。数ヶ月ではあるものの、一度筆を置くと、再開するにはそれなりの力を要する。ここ数ヶ月でも皆様にお知らせしたいことは山ほどあるが、今回は日本のノーベル賞受賞を祝すこととしよう。

 今年の自然科学分野のノーベル賞は医学・生理学賞で大村智氏、物理学賞では梶田隆章氏が受賞された事は大変喜ばしい事である。またお二人が全く異なる手法にて受賞した事も興味深い。梶田氏は素粒子という基礎科学にて、人間の生活には全く役に立たないが、科学者の“知”への挑戦だ。他方、大村氏は微生物を用いた薬開発というまさしく実学なのだ。多くのノーベル賞は数十年前の業績に基づくもので、日本の科学技術力の現状を反映しているとは言い難い。

 日本の現状の不安としては、1つの科学技術力の指標となる科学論文数の推移だ。日本の論文数は1990年代に増加を続け、米国に次いで世界2位だったが、今世紀に入り横ばい状態で、5位に転落。理由は簡単で、お金と関連している。長引く不景気で国の研究開発予算が増えないためだ。それに伴い、不安定な環境で働くことを嫌う大学院生の減少だ。一方で、科学分野の世界でも中国の存在感が増している。

 日本がこの状況において如何に対抗するか?小生の考えは単純だ。若い研究者に対して、“短期的評価”を優先させ、短期的成果志向の政策が一番の問題だと言えよう。地震予知では“短期予知”が本命だが、研究業績評価では、中期(例えば、5~10年)評価で良いのではなかろうか。一時代前の日本にはそのような余裕があったように思う。真に優れた研究は今日の様な性急な成果主義のもとで生まれたものではない。さもないと、若手研究者は後追い論文にて数を稼ぐ事に終始し、何か新しい芽を探したり、少々リスキーな学問には興味を示さない。実は、これらの萌芽的であったり、挑戦的分野こそがノーベル賞の可能性が高いのではないだろうか。